スズメバチには悪いけど

網代の道場の軒下にスズメバチが巣を作りました。ご近所には小さなお子さんもいらっしゃるので、駆除することに。

業者さんは防護服を着込んで作業にあたりました。これだけ防護しても刺されることがあるそうです。「蜂のひとさしというのはミツバチだけで、スズメバチは何度も刺してくるから危険です」とのこと。スズメバチは周期的に大発生する年があるそうです。

この数年、岩井のお寺、そして我が家、今度は網代道場とスズメバチにすっかり気に入られてしまったようです。

いずれも鳥取ダスキンさんにきていただきました。同社では創業者の意向で始業前に『般若心経』を読むそうです。ひとしきり仏教談義にもなりました。

午後からは屋根裏に住み着いた動物の駆除の予定があるとのこと。ほんとうにご苦労様です。

植木徹誠さんのこと

8月16日、今年は小さな規模となりましたが、初盆・盆会・戦没者追悼法要を行いました。

戦没者追悼法要は、先々代の13世釋法隆(祖父)が始めたものです。私が小学生の頃、往生しましたがら経緯について話を聞いたことはありませんが、少なくないご門徒を戦地に送り出したことに恥じ入っていたのではないかと想像します。というのも、釋法隆は、お寺の鐘を供出した時のてん末を手書きの書に残していますが、そこには祖父の悔しさがにじんでいたからです。

戦没者追悼法要にあたり、一冊の本を読みました。
『反戦僧侶植木徹誠の不退不転』
真宗大谷派の僧侶である大東仁さんによるものです。

昨年観た『戦争は罪悪である』という映画に植木徹誠さんと思われる人物が登場していました。どんな方だったのか知りたいと思っていたのですが、本の存在を知り、購入した次第です。

植木は、治安維持法で4年間の間、投獄された真宗大谷派の僧侶であり、俳優・植木等さんのお父さんです。

大東さんは平和と平等を求めた徹誠の実践を紹介しています。
治安維持法違反で拘束されていた時の調書なのでしょう。『三重県特高課司法警察官の「意見書」』の中に徹誠の発した言葉が刻まれています。

「人間ハ世界中皆同ジ関係ニアルノヤデ、戦争ヲシテ殺シ合ヒスルト云フ様ナコトハ馬鹿ナコトデ、本当ニ人ガ人ヲ殺スト云フ様ナ事ハムゴタラシイ事ヤ」

「宗教家ガ戦争ヲ弁護スルノハ矛盾シテヰル。宗教家ガ戦争ヲ弁護スルトハ恐入ッタ。元来宗教家ハ戦争ニ反対スベキモノデアル」

大東さんは「いのちは『不殺』であるべきであり、いのちは『平等』である、という浄土真宗の教えを語った」と記しています。

82歳の時、倒れた徹誠は、病床で「等、俺はあの世に行っても親鸞に合わせる顔がない。俺は恥ずかしい、恥ずかしい」と語ったというのです。そして最後の言葉は「ありがとう、ありがとう。おかげで楽しい人生を送らせてもらった」であったそうです。

数は少ないとはいえ、こうした僧侶がいたこともまた、記憶しなければなりません。

地元の郵便局っていいな、と思う

岩井の集落には郵便局があり、ちょくちょく利用する機会があります。というのも、お寺の支払いは、本願寺に納める賦課金その他、郵便振替用紙で送金する機会が非常に多いからです。

うちのお寺はこれまで振替口座を持っていなかったので、この度開設する手続きをしました。お寺も法人ですから、必要書類その他、準備が必要です。窓口の方が親切に教えてくださり、「暑い中何度も来てもらって」と「つぶらなカボス」までいただきました。贈答品として窓口でキャンペーンしている飲料品です。

この間、簡保の不正販売では信頼を失う事態もあったわけですが、郵便局は地域にとってなくてはならない存在です。

歩いて100メートルほどのところにある地元の郵便局、これからも頼りにさせていただきます。

あっ、「つぶらなカボス」、程よい甘みと酸味でおいしかったです!

きょうは県庁へ

坊守です。

きょうは私の「お仕事」関係の話題で。県内ではコロナの感染者がしばらく出ておらず、少しホッとしていますが、先週までのお盆の人の往来で、これから2週間また感染者発生の可能性あり…と、ゲンバはピリリとしています。

そんな医療機関にはいま、感染症との攻防と並行して、不安材料がもう1つのしかかっています。それは、経営への打撃です。

先日、県の病院協会が県知事に要望したことが報道されていましたが、感染症が流行し始めた3~5月の医業利益は約4億円の赤字(前年同期は約4億円の黒字)になるそうです(県内38病院から回答を得た経営調査)。患者さんの受診控えや、急がないでよい手術延期などが主な要因のようです。救急患者さんも、春は大幅に減りました。
 協会は、県知事に対して国の財政支援制度を早く創設することや、国が進める感染症患者を受け入れる病院への緊急包括支援交付金をスピーディーに交付するよう、国に要求してほしいと求めたそうです。

今日、わたしの職場からも県庁に行き、困っている!と、伝えました。県内の全病院に情報を寄せてほしい、と協力依頼し、集まったデータをみると、回答した病院22カ所の8割が「4月の収入は前年同月比を下回った」ことが判明しました。
医療機関の収入は国が決める診療報酬がメインで、そこが抑えられてきましたから、もともとギリギリで運転している場合が多く、そこに今回のコロナで、感染対策費用など、出て行くものばかりが増えています。

県は「病院を潰すわけにはいきません」と発言されたのですが、支援は「国策である」との姿勢。「潰すわけにいかん」の言葉が実効性のあるカタチになることを期待しています。

お寺が地域の社会資源であるように、病院もなくてはならない社会共通資本なのですから、地域を守るために、国には本気で動いていただかないと。コロナ感染は収束したが、気づけば医療機関がバタバタと倒れていた、ということも起きかねません。
それじゃあ、困る。

ぬくもりとして遺る

ちょうど今日がお亡くなりになってから四十九日めとなる方の満中陰法要と納骨法要がありました。

「ケガをして入院し、家にいないことはあったけど、帰ってこないということはこれまでなかったですから」と息子さんはおっしゃいました。

お盆参りや春に毎年おこなっている宅参りでは、仏間にちょこんと座り、手を合わせ、念仏する姿がありました。もうその時間を持つことができません。

亡き方は、この仏間で私に、「仏さんを大事にしないといけないと家族にいっているんです」と話されたことがあり、きょうはそのことばを思い出しながらお経を読みました。

亡くなるということは無になるということではなく、私たちにことばとして、ぬくもりとして遺っていくのではないか、と思うようになりました。みなさんはこのお盆に亡き方のことを思い出したり、墓前で話しかけられたりされたでしょうか。

日中のうだるような暑さが過ぎ去り、網代のお墓は涼やかな風が吹いていました。

「私に話してくださったことを忘れずにこころに留めて、これからもお勤めさせていただきます」。お墓の前でそう誓い、岩井に帰りました。

お盆の法要をお勤めしました

寺族を中心としたお盆法要をお勤めしました。この1年間にご往生された方の法名と名前を読み上げるとともに、先の戦争で亡くなった方たちの遺影を掲げ、不戦の誓いを新たにしました。

ずっと戦後を続けることができるかどうかは、私たちにかかっています。

妹、そして姪っ子たちが法要の準備を手伝ってくれ、今日も参ってくれたのは嬉しいことでした。

法要終了後は納骨堂前で短く読経しました。

まだまだ暑い日が続きそうです。コロナと熱中症に気をつけつつ、この夏を過ごしていきましょう。

八月十五日

「八月十五日の正午から午後1時まで、日本じゅうが、深閑として声をのんでる間に、歴史は巨大な頁を音もなくめくったのであった」

宮本百合子『播州平野』より。

終戦記念日の鐘をつきながら、この有名な一節をかみしめました。私自身は戦争を知らない世代ですが、終戦というよりも敗戦と言った方がより正確ではないかと思います。

この時代に命はどう扱われたのでしょうか。

軍人勅諭によれば鳥の羽より軽いとされた臣民の命。軍人の戦死者のうち半数は病気や餓死であったとの研究があります。戦争が長期化し、人口が増えないなか1939年に作られた結婚十訓には、「悪い遺伝のない人を選びませう」「産めよ殖やせよ国のため」などのことばが並びます。大正に生まれた男性の7人に一人は戦死しています。終戦当時の男性の平均寿命は23.9歳に過ぎませんでした。

先日、あるご家庭の法名を拝見したのですが、戦死者につけられた「忠」の一語が眼に飛び込んできました。国のために死ぬことを真宗もまた忠としてたたえたのです。恐ろしいことです。

戦後75年の終戦記念日。

これからも人の世が続く限り平和の鐘として鳴らし続けられますように。願うだけでなく、私もできることをやっていきます。

初盆のおつとめ

お盆参りはとりやめましたが、初盆を迎えるご家族の希望に沿ったお参りをしています。例年だと初盆のお勤めもごく短時間ですが、ことしは約25分のお勤めです。「正信偈」を駆け足で読み、少しだけお話をして次のお宅へ移動です。昨日と今日を中心に10軒うかがいました。

ずいぶん上手に読まれる方がいるので、「お上手ですね」と声をかけると「しょっちゅうお経のCDをかけているので」とのこと。

別の家では、私よりも速いスピードで読まれるおばあちゃんがいらっしゃったり。

可愛い声で「なーまんだーぶー」と念仏をとなえてくれた小学生の姿もありました。

「暑い中、ご苦労さんですなぁ」とにこやかに迎えてくださった方の笑顔にもふれ、うれしくなりました。この方は、数ヶ月前に奥さんとお別れになって初のお盆を迎えられました。

悲しい別れを体験されたみなさんが、この初盆に何を思われているのかなあ、どのような気持ちでいらっしゃるのかなあと想像してみると、いのちは決して粗末にしてはならないな、と思わされます。

昨日きょうは、みなさんのおかげで気持ちの入った読経ができたように思います。

初盆のお勤めを、来年以降も少し丁寧に勤めることができないか、スケジュール再検討の余地がありそうです。

お盆のお花 残り物に福?

坊守です。
昨日からお盆の態勢をとるべく、半日リモート会議に出た以外は、お寺の仕事をしています。といっても、お盆参りは初盆で希望された世帯限定〜という方針で動いていますので、大人数のご飯作りや白衣の洗濯大会はナシ。
今日は本堂のお荘厳とお花立てに注力しました。

ところが、です。今朝、いつもの花屋さんに行くと、おじさんが眉間にシワをよせ「売る花がない」と第一声。お店の中は、お花いっぱいでしたし、おじさんも白い百合に囲まれていました。きけば、この夏はこれまで経験したことのない数のお花の予約が入り、花はあるのに売ると足りなくなる状態だと分かりました。
大きな菊だけ売って下さることになり、30本確保して、大急ぎで別のお店へ。ところが、見当をつけて行った先も次々と花切れでした。
最後にのぞいた道の駅で、ハスの花が何束か残っていて飛びつきました。
道場から切ってきたソテツを真(しん)にして、ハスをメインに、白い花をあしらうことに。花瓶の口元は、我が家の前庭からとってきたチャボヒバで。
選択の余地がなかった花材の割には、素敵に仕上がったのではないか?と、ほくそ笑んでおります。残りモノ、万歳!笑

それにしても、本堂裏の数時間の格闘により、足が棒です。

香港での人権抑圧に思うこと

香港警察が10日、民主活動家やジャーナリストを逮捕し、11日の夜、保釈されました。

容疑は香港国安法違反です。同法は、(1)国家分裂(2)政権転覆(3)テロ活動(4)外国や境外(台湾)勢力と結託して国の安全に危害を加える行為–に対し、最高刑で終身刑の刑罰を科します。実際の行為だけでなく、威かくや扇動しただけでも罪になります。恐ろしい法律です。

仏教では貪り、怒り、愚かさを三毒といいますが、残念なことに中国政府は首まで浸っているとしか思えません。ここは国際社会が声を上げ、なんとかこの暴挙を食い止めてほしいと切に願います。

ところで、日本でも戦前、治安維持法という法律がありました。最高刑は死刑です。自由と民主主義、戦争反対の思想・行動は犯罪とされました。小林多喜二さんのような著名な方が拷問により殺害されました。

戦争に加担した浄土真宗は、それら思想犯を天皇制に回帰させる教誨師の役割を担っていました。これは、本当に恥ずべき歴史であると思います。

仏教の根本精神は命の平等を説くことにあります。

それに反する動きが国の内外で起こる時、仏教徒の一人として、決して無関心ではいまい、そう思っています。