今日は何の日?

5月21日は、親鸞聖人の誕生日であると伝えられています。


生まれた年ははっきりしています。本願寺に所蔵されているご自筆の六字名号には、ご自身の年齢を84歳、そして康元元年10月28日と記されています。西暦に置き換えると1256年です。ここから逆算して誕生年は1173年(承安3年)となるのです。

今は満年齢で年齢を数えますが、当時は数え年です。生まれた年が1歳、正月が来ると歳が一つ増えます。ですから誕生日というのはほとんど意識されていなかったようです。

親鸞聖人の誕生日は江戸時代の中頃より4月1日であるとされるようになりました。真宗の一つの派である高田派が古い記録にあったというようになり、この誕生日が広がっていったようです。4月1日は旧暦ですから、明治以降、太陽暦に換算して5月21日を親鸞聖人の誕生日としてお祝いするようになったのです。

うちのお寺では親鸞聖人の誕生日のお勤め(降誕会=ごうたんえ)はしていません。先日の永代経法要と合わせてお勤めすればよかったのですが、すっかり頭から抜けていました。

ということで今日は網代道場に用事があったので、ひとり降誕会のお勤めをしてきました。

道場の庭にバラが咲いていました

ナゾの足あと

草を抜こうと畑に来てみると立派な足跡がありました。タヌキにしては間隔が広いような。土の凹み方をみても小動物ではなさそう。去年もやってきたイノシシかも。

昨年は球根を根こそぎ掘り起こしていました。掘り起こす力は相当なもので、落とし穴のような大きな穴をあけることもあります。

この辺りだとイノシシが、さらに山の方の集落ではシカの被害が大きいようです。なにしろ柵の上からジャンプしてシカは進入してくるそうですから。

お釈迦様はシカ相手に説法したそうですが、このあたりではシカやイノシシは害獣と呼ばれる存在です。里山が減り人の活動が減るとそれだけ害獣が身を隠せる領域が増えて、人の近くまでやってきてしまうというわけです。私の幼かった頃は野生動物をほとんどみかけることはありませんでしたので、この数十年ですっかり変わってしまったのでしょう。

あるお寺さんが、山で樹木葬をするようになり、里山の再生にもつながったという話を読んだことがあります。

動物たちだって、出てきたくて出てくるわけでもないのでしょうから、どうしたものかと考えてしまいます。

継職法要から1年たちました

坊守です。
おとつい、5月17日午後に永代経法要を本堂で行いました。寺族と役員さん2人の密を避けての実施となりました。


正信偈をあげ、住職が「寝ながらつくった(本人談)」という法話では「阿弥陀さんの教えに感謝し、つないでいこう。それは念仏者の【生き方】を意識して、この社会がよりよくなる方向につとめること」という呼びかけでした。このコロナ禍で、社会のあり方を考える機会がたくさんあります。「永代経法要ってなんだっけ?」という、そもそもも学んだのでありました。

そのあとは、田後へ。
法要前日、仕事に出ている間に、手作りの素敵なマスクをたくさん持ってきてくださった檀家さんがおり(ここにもすでに、誰かのために働こうという方がおられるのです)、お礼かたがた、おさがりのお菓子と、久しぶりに焼いたバナナケーキを届ける目的で。


「たどり着けんで。迷うで」という住職の声を背に、家を出て…路地と路地と路地の中でやっぱり迷いました。スマホのナビゲーションも「徒歩3分」と教えてくれるだけで、地図が出ません。
あちこちの路地に頭を突っ込んでニンゲンをさがし、軒先でくつろいでいた方がいたので助けを乞いました。戻って消火栓を目印にまがりなさい、と教えてくれ、2分も歩かず到着。


お礼に行ったのに、ピンクのカスミソウひと抱えの返り討ちにあってしまいました。

お花は寺の玄関にいけました。ちょうどこの19日で、住職を継いで1年になりますので、華やかに。
1年…右往左往する間にふっとんでいきました。住職の手伝いを少ししたくらいで、やっぱり坊守より「坊守らず」や「坊モレ」の呼び名の方がフィットするのではないか、という感があります。
それでもお寺のことは楽しい。これが、門徒さんがいてくださるおかげであることは、間違いありませんから、みなさんに感謝をささげます。

サツキ咲く5月です

今日は朝から網代でお墓への納骨と自宅でのお勤めでした。故人は毎朝、3つのお仏飯をお供えすることを日課にされていたそうです。仏壇から過去帳をお借りして法名を記入してお返しすることにしました。


家から出るとお隣のご門徒さんから、「道場の草引きの手伝いをするけえ、またいってくれたらいいでー」と声がかかりました。掃除の日を決めて、近隣のご門徒さんに助けていただいて作業しようと思います。

道場に立ち寄ると、ツツジは散り、サツキが咲き始めていました。緑の葉にピンクの花。コントラストが見事です。梅雨の時期には紫陽花が咲いてくれそうです。

あす5月19日の誕生花はサツキなのだそうです。

この花は白丁花? であってますか?

葬儀会館での出来事

午前、この1週間で2件目となる葬儀です。午後には寺族を中心とした永代経のお勤め、終了後すぐに葬儀の後の還骨のお勤めです。

通夜・葬儀とも市内の葬儀会館です。この業者さんは、ご遺族から生前のエピソードを聞き取り、写真なども借りて短い映像とナレーションで故人の姿を伝えています。葬儀当日には、その姿をしのび、社員の方がつくった短歌が掲げられます。

昨日は、廊下でその映像に重ねたナレーションに耳を傾けました。遺族の方にも喜ばれているそうです。

昨日のお通夜が終わり会館の方に「深く学ばされました」とお伝えしたところ、「西法寺さんはお通夜の際、法話の原稿をいつも出されますよね。目を通して聞きながら涙されている方もいらっしゃいましたよ」とおっしゃられるので恐縮するばかりでした。

きょうも精一杯、お勤めさせていただきます。

図書館を利用する

これまで図書館を利用することはほぼありませんでしたが、地元の方が書かれた本で読みたいものがあり、昨日、岩美町の図書館に行ってきました。新しくなったばかりで大変きれいな建物でした。新型コロナウイルスとの関係で今現在は閲覧スペースは閉鎖されていました。平日は午後7時まで開館しているので、学校帰りの勉強スペースとしてもいいなと思います。

「読書の記録」という通帳のようなものも勧められるままに作りました。機械に通すと著書名と著者名が記帳されます。子どもたちはこういうのも嬉しいでしょうね。

町の歴史を頭に入れていきたいと考えているので、ちょくちょく利用したいと思います。

マスク購入券が届きました

鳥取県からマスク購入券が届きました。県のホームページによると、1回で購入できるのは2セットに変更したとのことですから、合計40枚購入できるようです。私は坊守手製の布マスクがあるので買う必要はないかと。余れば県が備蓄用に買い取るそうなので、それもよいかと思います。

こちらは裏面です

買い物にいっても、マスクと手の消毒が必須になっています。コロナウイルスは1回収束しても第2波の恐れもありますから、これからはマスク装着が日常になるのでしょう。

鳥取県は緊急事態宣言は解除されましたが、不要不急の外出の自粛は引き続きアナウンスされています。葬儀に関しては、火葬場への遺族の入場も少人数に限られる状況です。事実上、家族葬しかできない状況です。コロナウイルスは葬儀のあり方にも大きな影響を与えています。私もお経を読む際にマスクをつけるようにしています。

すっかり忘れていましたが、政府支給のマスクはいつくるのでしょうか? 

道場の掃除の続き

中断していた網代道場の草を徹底的に刈り取って庭がずいぶん片付きました。畑も綺麗になったので、今年もひまわりを植えようかな。そして、山ではウグイスがいい声で鳴いています。

道場の前には岩美町の史跡が建っています。作家尾崎翠さんがここで代用教員を勤めながら創作活動に打ち込んでいました。ここまで来られる観光客は滅多にいないと思いますが、住所は岩美町網代191番地となります。

定額給付金の申請書が届く

昨日、特別定額給付金申請書が岩美町役場から届きました。写真は記入例です。

私はマイナンバーカードで申請しました。iPhoneから申請したのですが、なかなかうまくいかず。同じところでつまずいた方たちが解決法をネット上で紹介していたのでその通りやってみるとできました。(プライベートプラウズをオフにする。オンにしていると先に進みません)

当初はやる気のなかった政府を動かして実現した給付金です。有効に活用したいと思います。

マイナンバーカードを持っている人にはオンライン申請が推奨されていましたが、ニュースによるとオンライン申請に不備続出で確認作業に手間取り、郵送を呼びかけている自治体が多いそうです。こういうことに慣れていない方は手書きでされた方がよいと私も思いました。

オンライン申請の場合、暗証番号を2つ記入し、キャッシュカードを撮影してアップロードするといった、なかなかハードルの高い作業が必要です。

それにしても、政府が莫大な予算をかけすすめるマイナンバーカード。利用者はひろがっていませんし、いざという時にもまともに使えないとは、、、。

役場からの通知にはこんなチラシも。

葬儀をつとめました

大正、昭和、平成、そして令和と百年近い生涯を閉じられた方の葬儀を勤めました。普段は西暦しか使わない私ですが、葬儀の日はこちらの方がしっくりくるから不思議です。

いつも自らにいっていることではありますが、もう一度。大将時代に生まれた男性は1500万人、うち7人に1人が戦死しています。当然、女性も大変だったのです。大正生まれの若者たちが、日本の戦争の最大の犠牲者であり、加害者の立場にも立たされてしまったのです。ご門徒のお宅で過去帳をめくってみると、戦死した方の名前を見つけることがよくあります。昭和19年以降に亡くなった方が多い。敗戦濃厚のなか、若い命を戦争が奪った現実を知らされます。

大正に生まれた方たちが私たちの世代に託したことは、一体何なのか、記憶し、忘れないようにしないといけません。