震災と原発事故から9年

東日本大震災と原発事故から9年、震災関連死を含めると犠牲者は2万2000人、原発事故の影響で、避難指示が解除された自治体の居住率は28%と、帰りたくても帰れない方が多数いらっしゃいます。

私自身は当時、東京に住んでおり、当日は亀有駅前にいました。当日の夜、寝台列車で鳥取に帰省する予定でした。12日が祖母の法事であったからです。昼間、仕事から帰って駅前を歩いていた時に、経験したことのない激しい揺れを感じました。街灯がぐにゃぐにゃと揺れていたことを今もよく覚えています。

東京はその日、「帰宅難民」が多数生まれ、計画停電のため公共交通機関はマヒしました。翌日、私は出勤することができませんでした。

原発事故も起こり、なんとも言い難い不安な日々が過ぎていったわけですが、3月17日より宮城県仙台市に出張することとなり、山形空港経由で仙台市に向かいました。

被災地で見たことや体験したことを一言ではいえませんが、今ある事は、実は当たり前のことではないということを深く学ばされました。また、被災者のためにと遠くからボランティアに駆けつけたり、物資を運んでくださる方々の姿にふれ、どう生きるのかを深く考えさせられました。

原発再稼働反対の大きな市民運動が起こり、友人から誘われてその運動にも参加するようになり、出会った方たちから多くのことを学びました。

それらすべてのことが僧侶となった今の自分に生きていると思います。

改めて犠牲となられた方々に哀悼の意を表するとともに、被災者のみなさんにお見舞いを申し上げます。

名乗りをあげる

法名というものがあります。亡くなってからつけられると思われている方が多いかもしれませんが、法名は生前に授かることはできます。浄土真宗本願寺派では、西本願寺でのおカミソリ(帰敬式)をへて、生前法名をいただきます。私も、僧侶になる際に釋大朗という法名をいただきました。

ご門徒さんのなかにも生前法名をお持ちの方がいらっしゃいます。
「諦」(たい)という文字の入った法名を拝見する機会がありました。
「あきらめる」という意味で一般的には使われる言葉ですが、「諦」は明らかにする、真実という意味がもともとあります。

仏教を開いたブッダは、四諦という真理を明らかにされました。
①苦諦 この世は苦(思い通りにならないこと)に満ちたており、思い通りにはなかなかならない人生を私たちは歩んでいるという真理。
②集諦(じったい) その苦しみには原因(欲望や執着や怒りなど)があるという真理。
③滅諦 その原因を取り除くことができれば、苦もまた取り除くことができるという真理。
④道諦 その原因を取り除くためには8つの方法(八正道)があるという真理。

真実を目指すことを諦めず、歩んでいってくださいという意味なのかなあ、大きな一字であるなあとしばし感心させられました。

私の大の一字は、大乗仏教からとられたものです。大乗仏教は、自らのいのちを他者のために活かすことを大切に考えています。

昔は元服すると名前は変わったのでしょうが、今は途中から名前を変えることはほとんどないと思います。親からもらった名前を大事にしつつ、仏様から授かった名前に見合った生き方を目指す。そんな方が増えるといいなあと思うのでした。

コロナウイルスへの対応として

今月16日の彼岸法要を超縮小モードでとりおこなうことにしたのは残念ですが、対応すべきことには向き合って必要な決断をしていかないとあかん、ということも学んでおります。

今週末から当寺の玄関にも手指消毒スプレーを置きました。半月前くらいから、手指消毒剤かせめてエタノールをと、あっちこっち探し歩きましたが、在庫無し。掃除用に買ってあった奇跡の(?)1本が出てきたのです。10日くらい持つでしょうか。


なお、手すりや扉、テーブルや椅子など、多数が触れるモノについては、消毒液で拭くことにしました。
お勤め後のお茶の時間については、当面は、お茶碗を紙コップにさせていただきます。

また、布マスクも玄関に置いておきます。土曜に法事にお参りに来た小学生が「ぼく、マスクがない」と玄関口で言ったのです。この日は、小さい甥っ子用につくった布マスクの余りを、お裾分けしました。
そんな調子だったので、未使用のてぬぐいやハンカチを材料に、夜の間にマスクを増産、今朝、玄関に追加を置いたら、子ども用が欲しかった方が多く、あっという間に10個、引き取られていきました。

春の彼岸法要について

3月16日に予定している春の彼岸法要は、寺族を中心としたお勤めにしたいと思います。新型コロナウイルス感染に関わる状況を鑑みてのことです。参詣をご予定してくださっていたみなさんには申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願いします。

手作りパンのお供え

法事に来てくれた小中学生に坊守手製のマスクを差し上げました。法事のあとにお宅でおときをいただいたのですが、中学生のお子さんが休みを利用して焼いているパンをお土産に持たせてくれました。「ありがとう。お仏壇にお供えするから」と約束したので、帰ってからお供えしました。

そういえばパンをお供えしたのは初めてのことてす。仏さんからのお下がりとして、ありがたく頂戴しました。

坊守は「めっちゃうまかったなあー。やるなあ中学生」と喜んでおりました。

ネコのお見舞い

坊守は、今日は風邪で仕事を休みました。私は風邪を引けない仕事ですので、もらわないようにマスクをしています。


布団に入っていたところ、さっそくお見舞いの訪問があったのだとか。

ナモです。ウチにきて丸3ヶ月経ちました。少し大きくなったかな? 最近は食欲旺盛です。


ナモは部屋に上がって枕元の体温計や、水をチェックしたのちお役御免と思ったのか、先に寝てしまったそうです。

坊守は「首元があたたかくて良い」と、無礼を許しています。ネコかわいがり?

キャンセル4万4000人

1月下旬からおとといまでの県内宿泊予定者のキャンセルが44000人にものぼるそうです。報道によると中部・西部が多いようですが、県東部でも2000人近いキャンセルです。過去の自然災害でもみられなかったような落ち込みで、新規予約もほとんど入らない状況ということです。

西法寺のある岩井は温泉地です。旅館業に携わっている方たちの不安はいかばかりでしょうか。

各種イベントの中止で、音楽家のようなフリーランスとして活動する方たちが苦境に立たされています。

政府は雇用調整助成金の対象事業者を「コロナウイルス感染症の影響を受ける事業者」に対象を拡大するとしています。鳥取県は自営業者が政府の支援から漏れた場合は、独自の支援をするということです。

正規・非正規、自営業者、フリーランスとして働く方たちの不安を取り除くため、政府・与野党、そして自治体関係者の方たちに期待したいと思います。

和顔愛語 わげんあいご

お世話になっている業者の担当Oさんが郷里に帰ることになり、あいさつに来られました。

年齢をうかがうと47歳。私が家に帰ることを決めたのも47歳でしたから、他人事とは思えません。

私の場合は、帰っても仕事がありましたし、おかげさまで多くのみなさんに支えられております。

この時期は、人生の進路を決めたり、あるいは変更したりという岐路に立たれている方がたくさんいらっしゃると思います。

『無量寿経』に「和顔愛語」(わげんあいご)という言葉が出てきます。お経では、「和顔愛語にして意(相手の思い)を先にして承問す」とあります。相手の身になって穏やかな顔で接し、優しい言葉をかけ、自らが先んじて動くという意味となります。

受け止める側にできることは、よく来てくれたと歓迎し、新しい生活になじめるように気を配ることではないかと思います。私もそうした人たちのおかげで、こちらにかえってから3回目の春を迎えようとしています。

Oさん、故郷に帰られてもお元気にお過ごし下さい!

おこうなぎ 御講凪

「俳句の本に住職のことを詠んだ句が掲載されただが」と電話をいただいたので、朝、網代のMさんのお宅にうかがいました。

俳句のことはさっぱりわかりませんが、ちょっとうれしいような。

『花鳥子』という句集もはじめてみました。高浜虚子の曽孫さんが花鳥句会を主催されていて、全国の句会に参加されている方の作品が掲載されるそうです。

Mさんの三句目にある御講凪(おこうなぎ)。親鸞聖人のご命日(陰暦11月28日)頃の日和のことだそうです。御講とは、報恩講のこと。凪がついているのは、その頃は穏やかな晴天がつづくことから来ているそうです。

報恩講は季節の言葉にもなっていたのですね。いいことを教えていただきました。

潜在保育士、出動しました

坊守です
引き続き、コロナ問題で職場の方はバタバタです。

行政も対策を懸命にしてるんだろうと思いつつ、医療や介護現場からは当事者として必要な発信をせねばならず、緊急の要望をしました。
通常でも無保険状態であったり経済的困難という理由で「医療機関に行けない」という方は居ます。そういう「受診抑制」が今のような緊急時にも生じてしまうと、感染拡大にもつながりかねませんから、医療にアクセスしやすい措置を、ということと、休むに休めない業種の労働者や事業所の支援が必要!
という二本柱でまとめました。

そして事業所は、「はよう対処せよ」と、机をたたいてるだけではいきませんから、今日からスタッフのための臨時託児所を開きました。週末に決めて今朝からですから、会議室に急ごしらえしたものです。
さらに、保育スタッフも急ごしらえ。保育士資格(ペーパー保育士です)のある私にも「午後から入れるか?!」と、出動要請が来ました。
保育所バイトや子ども会のお姉さんをしていた20年前の感覚をたぐりながらの半日…。

迎えにきた保護者から、朝は知らない子たちと過ごす不安でベソをかいていた子が多かったことも分かりましたが「明日も来たい!」「学校より楽しい!」と叫んで帰る子もいて、ホッ。
7時前に最後の子を見送って(やっぱりドクターでした)、これを春休みまで続けるのは容易ではないぞ、と、同じく保育士資格を持つ同僚と話しました。


手のあいた職員がみる、といっても5時以降は時間外になりますし、かといって管理職の人数も限られていて、こんごも夕方からの時間帯に出動することがありそうだな、と。
そんなこんなの努力、いまのところ、とりあえずすべてが事業所の自腹です。後追いでもいいから、公的援助、要ると思うなぁ。