道に迷って見たもの

坊守です。
仕事で県中部に行ったのですが、帰り道、北栄町の中に迷い込みました。
任務終了後で心のヨユーがあったせいか、「方向さえ違わなければ帰れるもん」と呑気に走っていたら、白い鳥がたくさん降りている田んぼがありました。
アヒル?太ったサギ?なんだろな…と、近づいてみると、かなりビッグサイズ。


畔にクルマを停めて窓をあけると、姿も声も明らかにハクチョウでした!野生のハクチョウを見たのは初めてです。
灰色のは幼鳥。
「みにくいアヒルの子」のお話になった子ですね。

鳥取にはハクチョウが渡ってくるのですね。
道を間違えて良かった!

香港の抗議活動に思う

香港の若者たちの抗議活動の背景に通織教育があると報じられています。社会的な課題をテーマに学び、討論し、自分で考える力を育てる教育です。朝のNHK-BSニュースが詳しく報じており、興味深く見ました。

テキストでは、香港社会と政治参加、民主選挙とは何か、などなど、具体的にわかりやすく解説されているようです。


ただし中国においては共産党一党支配における民主というのが民主の概念です。警察トップを強硬派の人物に交代したのも心配です。


民主を大切にして声を上げた若い人たち。

民主の名を語り弾圧する中国政府。


怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。」『ダンマパダ』(『真理のことば・感興のことば』岩波文庫P.10)

中国政府が弾圧をただちにやめ、平和的な解決の道に進むよう切にのぞみます。

恩を報り、報せること

報恩講の翌日、前日おまりになった80代のおばあちゃんから次のような電話がありました。

「若かった頃、お姑さんから、『家事はいいからお寺にお参りしてきなさい』と言われた。昨日はそのことを思い出していた。私は家族にそういう風にいってきただろうか。だから、長生きして、伝えていかないとと思った」

親鸞聖人が86歳で詠んだ和讃にこうあります。
「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし」

到底、恩を返すことはできないけれど、次に続く人たちに報せていこうとの気持ちを親鸞聖人は込めています。

おばあちゃんのお母さんへの思いも同じではありませんか。

恩を報り、恩を報せる。

おばあちゃんに教えていただきました。

除夜の鐘・修正会のお知らせ

報恩講も終わりひと息。

今年は実に、のべ64人の方がお参りでした。田後の薬師さんにたくさんお参りしていただき、近年にない報恩講になったと思います。

ありがとうございました。

お知らせにもあるように大晦日は恒例の除夜の鐘をつきます。ついで零時より元旦会を1/2に網代・田後で修正会をお勤めします。

大晦日は甘酒もありますので、ぜひお越しください。

岩美町チャンネルで放映されました

10月13日のこころのコンサートの様子が岩美町チャンネルで放映されました。

大須賀ひできさん

大須賀さんは、「9回目となると、家に帰ってきたような気持ちで、リラックスして演奏できます」とインタビューに答えていました。

コンサートには遠く宮城県から来られた方も。

あらためまして、みなさんありがとうございました。

気が早いですが、10回目のコンサートは2020年11月21日(土)午後1時半より開催しますので、よろしくお願いします。

田後で初の報恩講開催!

2019年報恩講3デイズ、お寺→網代と巡り、ラストは、田後(たじり)でありました。昨年までの報恩講は2日間でしたが、今回1日増やして、初めてこの地でのお勤めでした。
網代のような道場はありませんので、漁港を見守る薬師堂さんをお借りしての開催です。

本堂の椅子を門徒さんに運んでいただき、案内看板を書き、我が家の仏壇の阿弥陀さんを助手席に載せてGO!

初めてなので、皆さんどのくらい来られるか見当がつきませんでしたが、22人も来てくださいました。正信偈も声が揃いました。

法話は、住職が担当。
百歳で往生された門徒さんの葬儀を勤めるにあたり、故人が毎日お家で「ナマンダブ」とお勤めされていたことをご家族からうかがって「寺で待つのではなく、寺が出向かねば」と、心を動かされたことが、今回この地で報恩講を行うきっかけだったと前置き。
「阿弥陀さんのご恩に報いるとはどういうことか〜」というお話へ。

終わって拍手が出たので「学習会じゃないです!」と住職が焦ったのが面白かったです。

今日のパウンドケーキは、小豆とバナナを入れて焼きました。

網代の報恩講をお勤めしました

本日は網代での報恩講です。17人がお参りです。椅子は15。最近の法要で足りなくなることはなかったのでありがたいことです。

講師は昨日に続いて佐々木俊教さんです。

修行の道では真実がつかめない私に、仏のかならず救うぞの願いが届けられている。その安心が、目覚めが南無阿弥陀仏のお念仏です。

「身に染みた。心に響いた。すぐに忘れてしまうんだけど」とあるご門徒さん。だからこそ一度聞いたら忘れない南無阿弥陀仏はありがたいなぁと思うのでした。

報恩講1日目

本日、肌寒いなか報恩講のお勤めです。25人がお参りでした。

講師は出雲・覚専寺住職の佐々木俊教さんです。

人の噂話は嘘でも面白いのに、自分のことは本当でも腹が立ちます。そのお粗末な、お恥ずかしい私を見つめ、生きていかなければなりません。その私に、自他平等の仏さんの慈悲が届いている。だからこそ仏さんの真似事であってもさせていただく生き方を歩みましょう。

老いて死ななければならない道を私たちは歩んでいます。生死出ずべき道がどこにあるのか、苦とどのように向き合って生きるのか、親鸞聖人の生涯から聞いていきましょう。

熱のこもったお話しでした。

お昼のお斎をみなさんといただきました。

報恩講の準備中

あすから3日間、西法寺の報恩講です。ただ今、その準備中。

普段とお飾りも違います。蝋燭立と花瓶が2つずつとなります。写真ではまだそうなっておりませんが。

15日は午前9時45分から。お昼を挟んで3時までです。16日午前9時半から網代道場、17日午後1時半から田後薬師堂とつづきます。

5月に植えた皇帝ダリアが報恩講を前にして、ついに開花しました。

マンツーマンの法事

本日、お一人でお参りの方と法事でした。土日は仕事が休めず、平日しかお参りできないのでとのこと。ことし2人目となるお一人でのお参りです。

実は私の立場からいうと少人数の方が落ち着いてできます。30人くらいいらっしゃると集中できなくなる方もいて、それが前からわかるので結構焦るのです。

今日の方は、「私は信心がないので」とおっしゃいます。浄土真宗の信心は、私が頑張ってそのお手柄で得るものでなく、阿弥陀さんの一方的な働きです。

死ぬまでむさぼり、怒り、愚かさから離れられない私に南無阿弥陀仏の念仏を授け、必ず救うと私たちによびかけつづける仏さんです。

自分を見つめ、どこかで思い至ると、あれはだめ、これは敵などと自分は垣根を作って生きているんだなあと気がつかされるのではありませんか。私を見捨てず、呼び続け、呼び覚ましてくれる如来様がおられたのだと目が覚める。これが信心であり、だからこそ賜ったものなんです。そんなことをホワイトボードも使ってお話ししました。

「それって私のためにあるような教えですね」とお参りの方がそうおっしゃいました。