カマキリに抗議をうける

残りのひまわりの種を収穫して家に入ると左足に違和感が。目をやると、

巨大なカマキリ

草をこの数日で刈り取ったので、カマキリの住処を奪ったのかもしれません。

カマキリ先生(香川照之さん)の「昆虫やばいぜ」によると昆虫たちは年々減っているのだとか。

https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=19621

カマキリ先生は、地球は生きているということを伝えたい、と言われています。

都会に住んでいるときは忘れていました。いまウチの近くでは昼間、オニヤンマが飛び、アカトンボが舞い、蜂が蜜を集め、ヒグラシやツクツクボウシが鳴き、夜はコオロギの大合唱です。虫たちに囲まれて生活しているといっても過言ではありません。

カマキリの抗議を受け、ごめんごめんとあやまりつつ庭に放しました。

励ましをうけることば

法事では、読経とともに僧侶が仏教の教えをお参りの方にお話する法話の時間があります。約10分ほどの短い時間ですが、何を伝えればよいのか悩むことがしばしばです。真宗では法話のことをお取り次ぎといって、阿弥陀如来の教えを味わうということに主眼があります。目下、私が一番悩み、緊張するのは1周忌です。

1年はあっという間です。とりわけ、予期しなかった別れを体験された方にとって、悲しい、淋しい気持ちが再び沸き起こってくるのが1周忌であると思います。

昨日の1周忌。その前日から本やお経を読んだりするものの、なかなか浮かんできません。それは、悲しみを想像すると、私の言葉などではとてもとてもという気持ちがあるからです。

結局、何をお話ししたかというと、親鸞聖人が書かれた正信偈というお経のなかで、私自身がいちばんこころを揺さぶられる一文についてです。

大悲無倦常照我

だいひむけんじょうしょうが

仏様は、私たちの抱える悲しみに寄り添って、その悲しみを取り除こうと、あきることなく、常に私を照らしてくださる。

もとは平安時代に生きた源信僧都の言葉です。

正信偈を読んでいて、ここにくるとハッとすることがあります。頑張れよっていう励ましを受けているような気がするからです。

亡き人は、仏様のところにいかれて、私たちを照らし、励まし続ける存在になられたと受け取ることができたら。亡き人に、淋しいけれど、でもありがとうと感謝することができたら。大悲をほのかにでも感じることができるなら、私たちの生き様もまた変わっていくのではないか。

そのようなことをお伝えさせていただきました。

お寺の掃除をしました

9月も8日だというのに34℃を計測した岩美町です。

本日は16日の彼岸法要を前にお寺の掃除をしました。

厳しい残暑の中、9人の方が手伝いにきてくださいました。

掃除45分、休憩30分でちょうど良いくらい。

雑草対策として塩化ナトリウムがいいよと勧めてくださる方がいました。そういえば墓地に塩をまいている方を見たことがありますが、あれは雑草対策だったのかと。

みなさんありがとうございました。

猫飼わないかなぁ

労働者の坊守です。土曜は半日で労働から解放されますので、「昼ごはんは、漁協女性部のカフェに行こう」と誘われるままに海鮮丼をいただきました。

何気なく添えてある小鉢もお汁もすべて美味。さらに外には真っ青な空とキラキラ光る海、強めの風とブンブン回るイカの干物。ここにしかない贅沢な時間を味わいました。

食後はまた、住職にいざなわれてとある路地へ。

すると、なんと、

子猫の泉が出現したではありませんか!!

ブログで見ていたあの柄、ご門徒さんのお家のあの子たちです。

暑さを避けて、みんなで昼寝していました。

シャッター音で起こしちゃってごめんなさい。

子猫たちのお母さんごくろうさまです。

住職、猫飼わないかなぁ。

地籍調査に立ち会う

きょうは網代で地籍調査があり立ち会いました。土地の境界と面積を確認する作業です。作業されている方に聞くと網代を今月いっぱい、来月は岩井を調査するとのこと。そういえば岩井は10月25日との知らせが届いていました。

江戸時代は土地の境界は曖昧だったそうですが、明治政府が地租改定により税を年貢から地価にかえました。これにより土地の私的所有が認められるようになったのだとか。

知り合いのご門徒さんの姿も。網代の西法寺道場の敷地のすぐ外側、今は県道になっている土地の一部が亡父の名義になっているそうです。通知が来るまで全く知らなかったそうですが、お寺の近くに父の名前が残るのはありがたいとおっしゃっていました。

おそらく網代の道場は地元の方たちが土地を寄進しつくられたのでしょう。

田があれば 田に悩み、家があれば 家に悩む。

お経にこんな一節があります。それが人というものです。

昔の網代のご門徒さんは土地があれば寺をつくるために寄進されたわけですから、これとは逆といえるでしょうか。

地籍調査に立ち会い、土地の境界線を確定するとともに、境界・垣根を取り払ってお寺を建てた網代の先輩たちの心意気を知るのでした。

スマホを持って行かず、写真撮れなくて残念!

網代の子猫たちは

一旦は涼しくなったものの、この数日、とても蒸し暑い岩美町です。

きょうは網代に用事があって朝から歩いていました。いつも元気なご門徒さんも、「夏バテでいけません」と横になっていたご様子でした。そうかと思うと、「田後まで歩いて行ってきた」とウォーキング帰りの方も。往復6キロ。感心するばかり。先日、2日続けてご法事でお参りされた方は店先で忙しそうに働いておられました。

ご門徒さんのところの子猫たちはどうしてるかなぁと2週間ぶりに行ってみると、

お休み中の子

じゃれている子と、かわいらしく成長しておりました。

いつものなだばたさんで昼食をいただいて、午後は道場の草刈りをして帰ります。

日本と韓国との関係について

お寺関係のある会合に出たとき、発言に立たれた人が昨今の日韓関係を心配していると触れつつ、「韓国が悪い」と述べられました。みなさんはどうですか?

新聞を読んでいると菅官房長官が2日、記者から中国人の強制連行は被害者と日本企業の間で和解しているのに、なぜ韓国との関係では同様の対応をしないのかと問われ、「政府の立場で発言することは控えたい」と述べたとありました。

日本の最高裁が07年4月、裁判上の個人の請求権は日中共同声明により失われたとしながらも、「個人の実体的な請求権までは消滅していない」と判断し、日本企業はその後、中国人の原告と和解しています。

だとすれば韓国との関係も同様のはずですが。

ひまわりの種を収穫

夏のおわり日記。

起き抜けから住職に、「畑を見て」とパジャマのままお寺の耕作放棄地に連れだされ、
刈ってはいけない菊やダリアの株を教えました。
見上げると真っ黒な顔でうなだれたヒマワリ。
タネができてそうだ、と住職と一緒に収穫作業をしていると、3分の1以上、何者かに食われたものもあるではないですか!

犯人は鳥たちでしょう。
「これはタネが熟している証拠やね」
と罪は問わないことにしたのでした。

退屈も仏教語

本願寺が発行している月刊誌『大乗』。気軽に読める記事も多く、毎月、楽しく読ませてもらっています。

私たちが普段使っている言葉のルーツは、仏教にあったことを教えてくれる「仏教語講座」、9月号では「退屈」を取り上げていました。

この言葉、「もともと仏教語で、仏教修行の苦しさや難しさに屈して、仏道を求める心が退き、精進努力する心を失うこと」を意味していたそうです。

そこから、くたびれて気力が衰えること、困り果てるなどの意味になり、さらに転じて、倦怠の意味となり、ひまを持て余すという意味になっていったのだそうです。

えっ?!退屈しのぎになったって?

修行が足りませんよ!

網代の出港祭にでかけて

9月になりました。季節が変わるなぁ、と、感慨にふける間も無く兼業坊守ヒマなしです。

昨夕は、仕事からダッシュで岩美に戻り、住職とともに網代新港に向かいました。4時から出港祭があったからです。ご門徒さんのなかには船主さんもいらっしゃって、「住職と来て」と、誘っていただいたこともあり、初めていってきました。

地元の小学校の子どもたち、町長、県職、そして大勢のご家族。大きな行事だということが一目でわかりました。すでに引退された元漁師のご門徒さんの姿もありました。

9月1日の午前零時が底引き漁の解禁です。夕方5時すぎ、岸壁に係留する綱をはずし、汽笛を鳴らし、見送りの人たちに手を振って、そして笑顔でいっせいに港を出て行くのでした。その姿を見送る人のなかには涙で目を真っ赤にされている方もいらっしゃいます。

これまで、第一次産業に従事する方たちと近しい環境に居たことはありません。西法寺は漁師さんたちの寺なので、もっとみなさんのくらしや仕事を知り、敬意を持ってつきあわせてもらえたら、と、がむしゃらに船に手を振る住職とともに、麦わら帽子を振り回すのでした。

住職は、「この方たちのおかげで私たちは生かされているんだなぁとしみじみと感じた。どうか安全にと見送るご家族の気持ちに胸が熱くなった」と申しておりました。