お墓に上がるのも大変です

昨日、暑い時間帯に納骨をされたご家族がありした。集落の墓地のいちばん上にあり、みなさん汗だくになっての納骨でした。熱中症対策でお茶は準備していきましたが、蚊取り線香も必要でした。

お墓は、何代もの方たちが納骨されている古いお墓でした。

ヘビ、ムカデ、ハチなどの歓迎を受けつつ掘り起こして納骨しました。

手を合わせているとあたりはヒグラシの合唱です。

年配の方にとっては、ここまで上がってくるだけで大仕事のようでした。ご遺族のなかて地元に住んでおられる方はほとんどいません。

家族の形が変わり、お墓のあり方が変化するのも仕方がないことです。

ご門徒のみなさんが困らないよう、西法寺も納骨堂のご案内をしっかりとしておかなければと思うのでした。

いっしょにお経を読む

今日は葬儀がありました。暑い一日でクーラーのない本堂での最後のお勤めはお茶で水分、飴で塩分を補給していただいてからはじめました。

葬儀では、手作りの経本を手にとっていただくようにしています。読み上げる内容は、ルビ付で全て記載してあります。それは、ぜひいっしょに声を出して欲しいからです。今日はお参りの中学生の方が途中から若い声でいっしょに読んでくれ、頼もしく感じながらのお勤めでした。

年配のお参りの方のなかには、節回しが難しい念仏や和讃(親鸞聖人がつくった詩文)もいっしょに唱和してくださる方もいらっしゃいました。

お経は僧侶のためにあるのではなく、みんなで読むためにあるということを教えていただいた葬儀でした。

葬儀は悲しみをともにする時間であるとともに、亡き方への感謝を胸に刻む時間であると思います。葬儀で声を出してお経をあげることは、悲しみと感謝を表明すること、そう私は受け取っています。

葬儀は少ない方がいいのですが、そうもいきません。なるべくみんなでお念仏する、お経を読む、そうなるように改善、工夫を続けたいと思います。

戦前の手紙に思う

きょう、ご門徒の方から戦前の御文章を貸していただきました。御文章とは室町時代の蓮如上人の手紙をいうのですが、貸していただいた御文章には、戦時中の勝如上人の消息が収められています。内容をひとことでいうならば忠君愛国の精神をもって生活しましょう、そんな手紙です。

初めて目を通し、びっくりしました。これは戦争を肯定し、推進する恥ずべき歴史の証人です。阿弥陀さんや浄土を戦争推進の道具として使うところまで堕落し、国家神道にのまれたのが当時の真宗だったのです。

そして肝に命じました。歴史の事実を知らなければ、苦しい局面に立たされた時、都合よく教えをねじ曲げかねないのが私たちである、ということをです。

お盆の法要で、私は戦前の消息を一つ読み上げてみようと思います。

子どもたちに教えてもらう

寺子屋を開いて思ったのですが、小学生の子どもたちは実に一生懸命に話をしてくれます。

子どもの世界の話なので、よくわからないこともありましたが、へぇ、そうなの?と聞いていると、もっとよくしゃべってくれます。そうすると、話はさらに細かい話になっていってついていけないわけですが。

彼らには聞いて欲しいことがたくさんあるんだろうなぁと。

あと、お寺はそれなりにスペースがあるので、子どもたちは元気に走り回って遊んでいました。ちょっとしたスロープなんかは滑り台にして遊んでいるわけです。

今日、あるお父さんが、「僕らの子ども時代と違い、アニメは5時半からの再放送じゃない。好きな時間にユーチューブで動画を見て、ゲームをして夜更かししている。外で遊びまわることもあまりないんですよ」と話していました。

うーん、お寺を子どもさんたちが駆け回って遊べる場にできたらなぁと。こんど子どもたちに声を聞いてみなきゃ。

寺子屋を開きました

今日の午前中、寺子屋を開きました。

小学生18人が参加し、まず習字に取り組みました。

真剣な表情です。

続いて流しそうめんの時間。

子どもたちが一番喜んでいたのは、そうめんといっしょに流したプチトマト。

仕事で参加できなかった坊守のアイディアでしたが、面白かったようです。プチトマトの奪いあいでした。

ご門徒の方が作ったトウモロコシをお土産に、元気に帰って行きました。

今日は、西法寺の仏教壮年会の企画です。

壮年会は、60代の方たちが中心ですが、お寺を拠点とし、子どもたちのため、地域のためにと力を貸してくださることは本当にありがたいことです。

これから皆さんと相談しつつ、会の取り組みを広げていけたらと思います。

私個人の願いは、海の方たちの協力をいただいて地引網とバーベキューなのですが。

もちろん、仏教や浄土真宗について、もっと親しんでもらえるようなことも考えていきたいです。

そうめん流し準備完了

地元岩井のみなさんのチームワークで流しそうめんの準備が完了しました。

竹の節をくり抜き、余った竹で器をつくり、

子どもさんたちが食べやすいように低い位置をそうめんが流れるように微調整。

あすの寺子屋には15人ほどが参加してくれそうです。あまり暑すぎず、雨が降らないといいのですが。

子どもさんたちにとって楽しい一日になりますように。

8月になりました

ふだんの月は土日ほぼ法事が入りますが、8月はお盆参りの時期でお寺は忙しいことをよくご存知の門徒のみなさんは前倒して7月にしてくださる方が多く、ご配慮ありがたく思います。

今週末は3日に寺子屋、4日にお寺の責任役員の会議、午後からは鳥取の養源寺さんの企画に参加、5日はあいさつまわりとスケジュールが盛りだくさんです。

きょうは昼間、入院されている門徒さんのお見舞いにも行きました。こちらが恐縮するほどの歓迎でした。坊守がお見舞いにとつくったアロマオイルをたらした匂い袋も、「いい匂いですなあ」と笑顔に。

老いや病気は避けることができません。痛みや苦しさを取り除くことはできないけれど、話をきくことはできます。

私が専業でできるのもご門徒さんの支えがあってこそ。お寺に来られるのをまっているだけでなく、こちらから出かけて話を伺う姿勢を忘れないようにしたいものです。

「われら」について

お盆参りの段取りをつけるために、今日もパソコンの前で格闘しています。

その合間に、古い本ですが、本願寺が30年以上前に発行した『続ともにきく われらの法座』という本をめくっています。著者は藤田徹文さん。本願寺派の伝道院部長を勤められた方です。

「みんなが『われら』と連帯するところに浄土真宗がある」

「『われら』は、親鸞聖人の教えの中心的課題」

「浄土真宗のお寺があるということは、そこに御同朋という暖かい社会が築かれていくことでなければ」

「あの人ら、他人、敵というようなことがなくなる社会が開かれていかなければ」

「そういう役割をどこかで失ってきた私たちの教団がもう一度、本来の御同朋・御同行というところへ帰っていきましょう」

藤田さんの指摘に、ガツンときました。あなたは何のために僧侶になったんですか?と問われる思い。

親鸞聖人は、「いし、かわら、つぶて」のような「われら」であるとし、社会の底辺の人たちに暖かい眼差しを向け、自らもその立ち位置で生きられました。そんな底辺で生きることを強いられた人々が、阿弥陀仏から賜った信心の中に生きることで、「こがね」となると説かれています。

そこには身分、貴賎など人間が作り出した区分けを超えた人間の尊厳や平等を見つめる視点があります。実は、浄土真宗を私自身が見直したのは、この「われら」意識にありました。2年前、中央仏教学院で先生から教えられ、鎌倉時代にこんなことを考えていた人がいたのかと唸らされたのです。

お勤めを実務的にしてはならないなあと反省。

お盆参りは年中行事ですが、暖かい関係づくりの機会でもあると意義を捉え直して勤めないと!

布袋葵が咲きました

暑い、ダルい…

眉間に皺を寄せて玄関を出ると、目の端に爽やかなブルーが飛び込んできました。ホテイアオイが咲いたのです。

今までもなんどか栽培していましたが、だいたい水面で消滅してお別れ。開花は生涯2度目です。この「不意打ち」に、気分良く仕事に出ることができました。

われわれには耐え難い、厳しい太陽光も、彼らにはご馳走です。

また、野生にあっては、彼らが水辺の草食動物たちのご馳走。

繁殖力が強すぎて「青い悪魔」などという怖い別名ももらっているそうですが、我が家の玄関口の古いこね鉢に収まっている限りは、かわいいグリーンです。水面を覆い尽くして水流を止めたり、船の行き来を邪魔することはいたしません。

人が罪人になるかどうかは、置かれた環境に左右されるもんだ、といわれることを、この小さな水草に重ねるのでした。

ホテイアオイが、世界の侵略的外来種だなんて(ちなみに、ワカメもそうなんですって)、へんな感じです。

坊守

お盆参りの準備中

お盆参りの季節が近づいてきました。西法寺では8/11から15日がその期間です。暑い時期で、毎年数キロ痩せます!(すぐに戻るのですが)

岩美町内が主ですが、鳥取市内も50軒近くあります。

きょうは鳥取市の地図を眺めつつ時間の目安をだし、訪問時間の目安を定めました。はがきに記入して明日投函です。次は岩美町内の地図とにらめっこすることになりそう。

2年前、鳥取市内のあるお宅をまわったところ、小学生のお孫さんがたのしみにまっていてくれました。いっしょに合掌・礼拝してお経も本を開いて読んでくれ、びっくりしたことがあります。

自分本位になりがちの私たちですが、仏壇の前に座ると、仏さんに見られている、照らされている私を感じることがあります。だからなのか、ご家族が仏壇の前で手を合わせる生活を送っているご家庭の小さいお子さんや若い方たちは、どこか落ち着いた雰囲気があります。これ、気のせいじゃないと思います。

押し付けてはいけませんが、仏さんとともに歩む生活っていいんじゃないの? という機運を盆参りで少しでもつくれたらなぁという目標をもって、今年は勤めてみます!