小さな仏さんたち

坊守さんから、小さなブッダが彫られた彫刻をプレゼントされました。ありがたいことです。タイでつくられたとのことで、さっそく執務室にかざりました。

一体一体ちがう姿のブッダが彫られています。

親鸞聖人の和讃に、

南無阿弥陀仏をとなふれば 十方無量の諸仏は 百重千重圍繞(いにょう)して よろこびまもりたまふなり

とあります。念仏をとなえる人を、たくさんの仏様が何重にも取り囲んで、よろこび、まもってくださっている、と親鸞聖人は受け取っています。

みなさんに見ていただきたいので、時々、説法に出ていただいて、本堂や集会室にも掲げてみようと思います。

本願寺派のHPがリニューアル

本願寺派のホームページがリニューアルされました。Q&Aのコーナー、仏事のあれこれ、仏教から生まれた日常語の解説など、読みやすく、親しみやすい印象をうけました。

これまでのホームページは、何か調べたいことがあったり、提出するための資料をダウンロードするといった、派内僧侶向けという印象がかなりつよかった気がするので、180度かわっています!

ぜひぜひアクセスしてみてください。

https://www.hongwanji.or.jp/

季節の訪問者

雨が上がり快晴ですが、朝から蒸し暑い。一度は土が見える畑になったけれど、この間の雨で畑は草のみどりで覆われました。少し抜きましたが、一度腰を据えないとダメでしょう。

さて、玄関のインターフォンに小さなおみどりの客さまがおみえです。残念ながら押してはくれませんが。

トカゲ、ヘビも見かけるようになりました。カエルくん、どうかご無事でお過ごしを。

百箇日のお勤め

網代のご門徒であった亡きHさんのご自宅で百箇日のお勤めでした。卒哭といって、そろそろ泣くのを終わりにして新しい生活に踏み出そうという区切りの日でもあります。犬の上に口が2つ並ぶ漢字です。吠えるよりもワンランク上のような。それだけ深い悲しみにも一区切りをつけていこうということなのでしょうか。

このお宅にはワンチャンがいるのですが、お経の前にはワンワンと元気。しかしお経が始まるとなぜか静かにしていて、終わるとまたワンワン吠えます。お経のときは卒哭ですから、えらいワンチャンです。

道を挟んだ反対に住んでいるご門徒Kさんもお参りでした。お寺によく誘ってくれたのがHさんだったそうです。今日は朝3時に起きてラッキョウキリを済ませてのお参りでした。「私は鼻唄でお経を称えている時もあるだが」と。実は私も時々あります。

来週の木曜には何人かの方に手伝っていただいて網代道場の草抜きです。少しずつ集まれる場を増やしていきたいと思います。

道場に植えたひまわり

岩美駅近くの紫陽花ロード。今が見頃です。秋にはコスモスロードになります。

緑の田んぼとオレンジの列車と

ご自宅での一周忌

昨日から大雨です。本日は一周忌のお勤めでした。お亡くなりになる1月ほど前に入院先の病院にお見舞いに行った際、こちらが恐縮するほど喜んでいただいたことを朝から思い出していました。

ご遺族の希望で、自宅の仏間、お仏壇の前でのお勤めでした。ここでよく手をあわせられていたのだろうなあと考えつつ「正信偈」をいっしょに読みました。

必至無量光明土と「正信偈」にはあります。無量光明土とは、生きとし生けるものがみな、お互いに照らしあっている世界です。それがお浄土という世界です。そこに私たちは必ず至ると親鸞聖人は記されています。仏壇の金色はその象徴として輝き、私たちに問いかけてくるのです。

優劣や損得、値踏みをしながら生きるのが私たちのありようです。その私たちをどうにかして助けたいとの仏のお慈悲に触れるとき、少しづつではあるけれども生き方がマシになる、ここに私たちの目指す道があると思って私も生活しています、とお話しさせていただきました。

合掌

雨の休日の過ごし方

坊守です。この土日の法事はすべて宅参りで、わたくしはホンモノの休日をゲット中です。仕事もお寺のことも、通信教育のレポートもない、空白の時間が広がっている。なんて素晴らしいことでしょう。

午前中にしたことといえば、住職の散髪くらいでした。このバーバー自宅は、10年以上続いており、道具は家庭用バリカンと髪切鋏1本。最初はお手本動画をみながら慎重に行っていたものが、このところは髪の向くまま気の向くままのカットです。今月は、頭頂部近くまで5ミリ、頭頂部は少し長めに残す、トンガリ頭に仕上げました。

住職を見送ったあとは、カーペットに寝そべって、インターネットの映画を視聴。なんとなく足の間があたたかいな、と思ったらナモがすっぽり入りこんで寝ていました。

昼ご飯は、鶏ひき肉をバジルやトウガラシで調味したガパオライス。畑からパクチー(苦手な人もおられますが、わたしはタイ料理に欠かせないと思う派)をとってきて、ワサワサ載せました。

コーヒーを飲みながらこんどは住職の観たい映画を流し、そのあとは、頼まれて冬物の白衣をしまう作業。白衣のしまつをするたびに、着物のたたみ方を教えてくれた祖母を思い出します。誰かが残してくれるものは、物質的なものだけではないよな、とかみしめつつ。


ゆっくりと本などもひらいていたら、五時の鐘が鳴りました。

明日は読書と繕いものをしましょう。

中陰のお勤め

先月、ご往生された大正生まれの方のお宅で午前、中陰のお勤めがありました。

葬儀の当日は全国に緊急事態宣言がだされ、葬儀の規模もごく小さくする必要がありました。2週間後の四十九日には、葬儀に参列できなかった親族の方々もお参りしたいという希望のようです。お寺としては、ひきつづき、手指の消毒、マスク着用、椅子を離す、換気を心がけるという対応をとることをつづけています。お参りが大勢となり本堂が密になるようなら、別室のモニター越しにお参りしていただくことをお願いするかもしれません、とお伝えしました。

お墓のこと、過去帳のことなどの質問もいただにました。コロナウイルスとの関わりで中陰のお勤めができず、葬儀の日から次のお勤めは四十九日ということも今年はありました。自宅にうかがう中陰のお勤めは、疑問に感じることを気軽に尋ねることのできる機会でもあると思います。

密に気をつけつつも

先日のお寺の役員会で、新型コロナウイルスを想定した「新しい生活様式」にお寺としてどう対応するのか話になりました。うちの場合、本堂の外陣(げじん)、座っていただくスペースのことですが、36畳の広さです。40人以上ともなるとかなりの密となります。窓を開け放っているので密閉空間にはなりませんが、それでもお互いの距離はありません。

下の写真は昨年のお盆法要です。椅子を40並べていました。いま現在は20脚にとどめています。

この夏のお盆法要、人数を絞ってということも考えたのですが、役員会の際に、本堂でのお勤めや行事を別室で見るようにできないだろうかとの提案がありました。それができれば40人以上参っていただいても距離をとることができそうです。そこで、いまその準備をはじめたところです。一通り必要なものは揃いました。

どうかうまくいきますように。

放哉を書いてみる

今日は習字教室です。今週から尾崎放哉の自由律俳句を書いています。放哉は地元鳥取出身です。句集から好きなものを選び、先生の手本を真似てかきましたが、う〜ん。

傘さしかけて心よりそへる

書いた作品は、第13回全国公募書道展に出品されます。先生によると、「出品すればみんな入選ですから」とのこと。これは冗談だと思いますが、面白そうなので、出品したいと思います。

無量のはなし

今日はある方の納骨でした。お孫さんのTくん(中学2年)も学校を早退して参ってくれました。

彼は先生です。というのも、私が49歳にして初めて知ったことを、小学生のころから知っていて、暗記していたからです。

一から十、百と単位を数えていくと、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量と続きます。お経によく出てくることばです。それが数の単位であったということを私が知ったのは昨年のことでした。

7月発行の西法寺通信で、無量について書きたいと思っていたので、Tくんに書いてもらったのです。

ただし漢字で書くと、単位というのは難しい。音では完璧に暗記しているそうですが、事前に紙に書いて予習をして今日に臨んでくれたのでした。

無量ってどんなイメージなのでしょうか? 無限とは似ているようで違うように思います。無限に広がる宇宙というと、私たちの存在とは関わりなくということでしょう。しかし、無量に例えば光がくっついて無量光となると、私たちの苦しみ悩みがある限り仏は照らし続けるという意味となります。寿命がつくと無量寿命となります。私たちと関係なく仏さんは無限のいのちなのだ、ではないでしょう。生きとし生けるものの悩み、苦しみがある限り、それによりそう仏さんの寿命には限りがないっていうことだと思います。だから無限光とはいわず、無量光、無量寿というのでは、などと考えているのですが、どうなんでしょう。

感無限ではなく感無量。無量の可能性ではなく無限の可能性。無量大でなく無限大。いやー、難しい‥。