岩井32℃

今日は朝から大変な蒸し暑さ。吹く風があつい! 午後2時過ぎには気温は32℃まで上昇しました。住職部屋にも今年初めてクーラーをゆるめにいれています。今週は高温がつづくようです。


環境を整え、あす、あさっての通夜・葬儀の準備です。法名を考え、板に墨で記し、通夜の席でお話しする原稿をつくりました。

もう一つ、衣替えです。6月頭の葬儀は冬服でお勤めしましたが、さすがにもう無理です。薄い衣の夏用の七条袈裟、色衣、袴をタンスから出してカバンに収めました。6月から9月末までが夏服の期間になります。

本堂にクーラーがあるおかげで、夏の法要もみなさんにしんどい思いを強いることもなくなりました。近隣の真宗寺院でもエアコンを設置する寺院が増えています。私の知る限りでも今年3つのお寺で設置されました。ご門徒のみなさんもきっと喜ばれていることでしょう。



4年前のことを思い出す

今日は午前中に17回忌と四十九日の法要、午後も1周忌、3回忌の法事がありました。雨のため四十九日の後の納骨は次の土曜に延期に。坊守が、我が家の庭先の紫陽花を仏華にたてました。お参りされた方が、「白い紫陽花、キレイですね」と。雨はゆううつですが、紫陽花の白が映える季節でもあります。

朝、ご門徒さんがご往生されたとの連絡がありました。名前をうかがって思い出しました。ご往生されたご門徒さんから聞いたお話を、4年ほど前にブログで紹介したことがありました。

ここに記さなかったら忘れていたことでしょう。

「姑さんの記憶」、通夜の機会にみなさんにも紹介させていただきます。


人身受け難し

イスラエルは国際法で許されない先制攻撃を行い、
イランからは報復攻撃…。
世界中で心配の声が上がっています。

人の生をうくるはかたく
やがて死すべきものの
いま生命あるはありがたし
(お釈迦さまの言葉)

イスラエルの人も、イランの人も、パレスチナの人も、私たちも、人として生まれることは稀なことです。なのになぜ傷つけあい、殺しあわなければならないのでしょうか。

全世界に対して
無量の慈しみの意(こころ)を起こすべし
上に、下に、また横に
障害なく怨みなく敵意なき
(お釈迦さまの言葉)

簡単ではありません。困難も山ほどあります。

ですが、諦めるわけにはいきません。

蓮の観察日誌①

朝、境内の蓮の甕をのぞいてみると、3つの甕からそれぞれ一本ずつ、花芽がでてきていました。3日ほど前に水をあげた際にはなかったので、ググッと顔をだしてくれたのでしょうか。

花芽がでてから20日前後で開花するので、6月末から7月頭にかけて咲いてくれるはずです。楽しみができました。

昨年は一つの甕しか花をつけてくれませんでした。ですが、それはそれは、きれいだったのです。

昨年の蓮

もし念仏するものがあれば、それは人間のなかでも分陀利華(ふんだりけ)である、とお経にあります。分陀利華とは、白蓮華のこと。念仏を称える人を蓮華にたとえられたのです。

「高原の陸地(ろくじ)には蓮(はちす)を生(しょう)ぜず。卑湿(ひしゅう)の淤泥(おでい)に蓮華を生(しょう)ずるが如し」と『維摩経』にあります。

開花を目にしたら、南無阿弥陀仏と口からでてくるかもしれません。

いわんや悪人をや

今日はひと月ぶりに習字教室がありました。名僧のことばを書きましょうとのことで、先生が選ばれたのはまず親鸞聖人のことば、

「善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」

心清らかになれないものこそが仏さまからすれば、すくいのめあてということです。

はじめて筆で書きました。うまくはありませんが…。

次回は最澄のことば、

「一隅を照らす」

を書きましょうとのことです。

この機会に名僧のことばを味わいたいと思います。

白アジサイを仏華に

坊守です。

梅雨入りと同時に、我が家の猫の小径沿いの白アジサイが色づいてきました。
「白いアジサイなのに『色づく』の?」という読者の皆さんのツッコミが聞こえるようですが、ええ、確かに色づくのです。できたての花弁の色は、茎のような薄緑色をしているのですが、花のかたまりが大きくなるとともに、白くなるのです。

午前は仕事をお休みにしていた今朝、それっと仏華に立てました。

すべて植物は庭から調達。植え付けて四年越しで咲いた御殿場錦(ヤマアジサイ)、特大サイズのギボウシの葉と花、ヤツデ、シダ、剪定したドウダンツツジを真にしました。

御殿場錦
ギボウシ

毎年、本堂にこの白アジサイをお供えしてきたので、2025年も咲いてくれて良かった。これからしばらくの間、白アジサイを阿弥陀さんにお供えしていこうと思います。

顔に出る

山陰も梅雨入りです。

この前の日曜日、とある路地裏で顔見知りの人と出くわしました。カバンから名簿らしきものがのぞいています。

「心にもないことをされているんじゃないですか?」

「わかります?」

「そりゃ、顔に出てますよ」

ひと月あまり先に予定されている参院選の票集めで休日、歩いておられたのでした。

今日は石破首相が現金給付を公約に掲げるとニュースになっています。マイナンバーカードと紐付けした口座に振り込むことも検討するとか。

参院選は政権選択の選挙ではありませんが、少数与党ですから参院選の結果は政権のあり方も左右するかもしれません。

異常な物価高やコメ不足、トランプ政権への対応など、テーマがたくさんあります。

世界では悲惨な紛争がつづいています。ドローンや無人機などAIの軍事分野への使用禁止、これを政治家に公約してほしい。

住職の日曜日

お寺が一番忙しいのは週末です。昨日は午前中法事、午後は役員会と歎異抄輪読会、夕方は逮夜法要と続きました。

早朝、短いお勤めを本堂で。その後、掃除や法事の準備。蓮の葉がずいぶん立ち上がってきました。

午前10時より法事です。施主さんから見るとお孫さん、故人さまから見るとまだ小さいひ孫さんが大勢お参りされました。彼らの関心は生き物です。本堂でクモを発見し、境内では「カエルがいる!」。法事が終わりみなさんで本堂入り口の階段に座って記念撮影です。

お参りの記念撮影。なかなかいいですね!

施主さんのおかさあんは今年87歳とのこと。足腰も達者でお元気です。そのさらにお母さんは107歳で亡くなられたそうです。

法事が11時過ぎに終わり、家に一旦帰ってネコの様子を確認し、坊守が作っておいてくれたおにぎりと唐揚げを腹におさめてお寺に帰って役員会の資料の印刷など。

午後2時より役員会。お寺フェスのふりかえりを少し。「日本海新聞の写真はよく撮れてた」「落語は満員になってよかった」。地元ケーブルテレビでの紹介は来週になるのでしょうか。町内の方はぜひご覧下さい。境内の整備計画についても報告。これは次回(9月)から本格的な相談にということになりそうです。

午後3時過ぎ「歎異抄」輪読会スタート。第13条を読み、意見交流しました。
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」
「もしそうせざるをえないような情況におかれたならば、どんなふるまいもしかねない」、という親鸞聖人の自省の言葉です。またそれが人というものなのかもしれません。

そう考えると、「心が清らかな人しか救いの対象とならない」という教えならば、ほとんどの人はこぼれ落ちていくでしょう。それを逆手にとって、では「悪人を救う教えというのなら、悪い事をすればするだけ救われるのか」。そういう人も当時、現れてしまったのです。
親鸞聖人は、「薬があるからといってどうして毒を飲むのか」と抑止します。

「さるべき業縁のもよおせば」という自身の姿に本当に気づかされたのなら、自身への悲しみと共に、他者への共感、他者を大切にする想いへとつなげていかなければならないのでしょうか。そこに親鸞聖人の本意があるように思います。

夕方5時より逮夜(六七日・むなのか)。次の日曜が四十九日となります。こうしてご自宅での法事を重ねていくと、家族の方たちとのつながりが生まれます。そういう時間を下さった故人さまに感謝なのです。

夕方5時半過ぎに終了。海辺にご門徒さんとご友人の姿を発見。ある方から「西法寺さんはいっつも声をかけてくれますなあ」。しばらく談笑。

午後6時前に日曜の法務が終了しました。

ガタピシ、ウロウロ

坊守です。

きょうは因幡組の仏教婦人会の総会と研修に出席するため、網代仏婦のY会長とともに、青谷まで走ってきました。
会場は、33キロ先のお寺さんです。お寺界隈では、会場と言わずに(会所・えしょ)といいます。
50人以上おられたか、14カ寺の仏婦から集まるのですから、駐車場の手配から案内まで、強い陽射しの中、地元の門徒のさんたちにたいへんお世話になりました。
研修パートの布教使さんは、島根県は江津市から。阿弥陀さんの救いについて、明快なお話でした。
この中で、知った漢字。
「ふすまがガタピシする」の【ガタピシ】
「迷ってウロウロ」の【ウロウロ】

両方とも仏教にちなんだ言葉だそうで、漢字で書けるそうですが、皆さん分かりますか?

がたぴし:我他彼此
ウロウロ:有漏有漏
「有漏」は、何かが漏れているさまですけれど、漏れているのは煩悩、なんだそうなんです。
迷いの本質をついていますね。

午前中から岩美を出て、17時過ぎに戻る1日仕事の報告でした。やっぱり遠い。

帰って猫たちを探すと、頭上をみて、吹き出しました。

「歎異抄」第13条を読む

今日は午前中、17回忌のお勤めがありました。昨年9月1日に解禁した底曳漁はこの5月末で終了です。お参りされた漁師さんにうかがうと、北海道の大ズワイガニの豊漁のあおりを受けて今シーズンのカニの価格は例年よりも安かったようです。

この間、お墓じまいの相談も受けていました。集落の墓地は高いところにあり、お母さんがお参りすることが難しくなっているそうです。平野部に7月に移すとのことで、来月の頭お墓じまい、そして新しいお墓の前で建碑(けんぴ)法要を勤めさせていただくことになりました。

法事が終わり、明日の役員会の準備と「歎異抄」の予習です。

「歎異抄」は輪読して質問・感想を出しあう形で進めています。第13条、第14条が明日の輪読の箇所になるでしょう。

特に第13条は後半のハイライトの部分といってよいでしょう。こういう下があるところです。

(現代語訳)「またあるとき親鸞聖人が、「唯円房はわたしのいうことを信じるか」と仰せになりました。そこで「はい、信じます」と申しあげると、「それでは、わたしがいうことに背かないか」と、重ねて仰せになったので、つつしんでお受けすることを申しあげました。すると聖人は、「まず人を千人殺してくれないか、そうすれば往生はたしかなものになるだろう」と仰せになったのです。

もちろん「できません」と唯円は返答します。

それに対する親鸞聖人の言葉は…。

原文と現代語訳、そして解説文に目を通しました。さて、どんな感想が出されるでしょうか。