ウソのような、、、

方便ということばがあります。ウソも方便というように、大抵の場合、独立した言葉として使われることは少ないような。

仏教において方便とは、真実に引き入れるためのたどるべき道(教え)のことをさす場合があります。

例えば、①いい行いを積めば、その分だけあの世で幸せになれる。

②何度も何度も何度も念仏を称えれば仏になれる。

それを信じるか信じないかはともかく、仏教とはそういうものじゃないのと思われるかもしれません。しかし、浄土真宗においては、それができない私のために、阿弥陀仏の方から救いとってゆく、それが仏のもっとも大きな願いであると味わい、自らを省みて生きていこうよ、というスタンスなのです。

親鸞聖人は幼少から青年期にかけて、①②の修行をされましたが、自らに仏になる種を見出せず、比叡の山を下り、法然さんのところで、阿弥陀仏の救いに出あい、1201年、29歳のときに帰依したと書に記されています。

聖人にとっては①も②も決して無駄ではなく、必要な道であったということでしょう。

ところで、最近、うがい薬が話題です。吉村大阪府知事は、「ウソのような本当の話」と。しかしうがい薬にはコロナに効くというのは根拠なしと各方面から指摘されています。

うがい薬は、仏教がいうところの方便、つまり真実につながってゆく道ではなかった。どうやら誤りのようです。

だいたい、ウソのような本当の話って、本当の話より、ウソだったという落ちになることが多いと思うのですが。

平和の鐘、戦争の鐘

8時15分、平和の鐘をつきました。

1945年8月6日、午前8時15分、アメリカにより広島市に投下された原子爆弾は10数万人の命を奪いました。その痛みを、その事実を忘れずに記憶しましょう。

「戦争を終結させるため」という理屈をアメリカは今も掲げ続け、現在は核兵器は抑止力であるという立場、さらには先制使用もありうるとの立場に立ち、核兵器の小型化などを進めています。日本政府は核抑止力を肯定し、核廃絶の条約に被曝国でありながら反対しています。その事実を知り、記憶しましょう。

世界的なパンデミックの前に、各国が軍事力や軍事・防衛に莫大な予算を注ぎ込んでいることはこのままでよいのでしょうか。その事実を記憶し、どうすれば良いのか考えましょう。

当寺院の鐘には、「昭和十七年 第十三世代 供出」と刻まれています。聖戦により大東亜に平和をもたらすという時流のなかに当時の浄土真宗もありました。戦争の鐘の事実を記憶し、平和の鐘を鳴らしましょう。

次は8/9 午前11時2分につきます。

宗教を教えることについて

きょうは午前中、25回忌の法事でした。お参りの方も声を出して『阿弥陀経』を読まれました。クーラーもよく効いて、暑さを感じることもなく、夏のお勤めも熱中症の心配なくできそうです。

お盆について短い話をしました。『盂蘭盆経』には目連尊者のお母さん・青提女(しょうだいにょ)が餓鬼道に落ち、釈尊の力を借りて救うようすが記されています。

浄土真宗では盂蘭盆経は読みません。というのも阿弥陀仏は私たちを餓鬼道に落とさないために働き続けているからです。

しかし、私たちのありようはどうなのでしょうか。

貪(むさぼり)という煩悩に引きずられて、よろこびを失い、不足だけで生きている「いのち」を餓鬼といいます。そこに浸かって生きているのが偽らざる私の姿ではないかと。

そのように自らを見つめてみたときに、餓鬼道に落とさないぞと働き続ける仏の慈悲をありがたく感じられるのではないでしょうか。

といったことをお話ししました。

お参りになった方が、「今日のような話を学校で子どもたちが聞けたらいいでしょうなあ。日本は学校で宗教を教えたらいけんことになってるけど」と。

これは中央仏教学院の講義で知ったことですが、イギリス、ドイツ、トルコ、インドネシア、タイ、韓国の公立校に宗教科の授業があるそうです。(韓国は制度上はあっても、実際にはない)

トルコ、タイ、インドネシア、ドイツの多くの州では、それぞれの信仰に応じた講義形式だそうです。

イギリスでは、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、シーク教、ユダヤ教、そして仏教を学びます。小学校から中学校まで「宗教」は必修。大切にしているのは、相互理解ということです。また、いま宗教者は何をしているのか、から学ぶそうです。

イギリスのような宗教教育は、日本でも求められているのではないでしょうか。歴史の一コマとして創始者や出来事について教えるのが日本の宗教教育ですが、いかに生きるのか、そして世界の人たちを知る、という意味でも有益ではないかなと思います。

ナモの日記(8月)

ナモです。


まいつき4にちがあたいのおとうばんだそうです。12がつ4にちに、いまのおうちにきたからだそうです。
そして、あじろのおかあちゃんのおなかからでてきたのはひとつまえのなつの、いまごろでした。あたい、1つになったそうです。

あかちゃんのころから、おひさまがかんかんにてりつける日も、おそとにいたので、なつのあつさもへっちゃらです。

あさはやくおきるのがとくいなので、おいたんとおばたんがねんねしているあいだに、いろんないたずらをしてやります。
このまえのよなかは、おなかがペコペコだったので、ごはんのはいっているひきだしをあけて、そのなかにあった、カリカリのふくろをひっちゃぶいて、たべてやりました。

おきて2かいからおりてきたおいたんが、気がついて「じけんだ!」とさけびました。それをきいたおばたんがいそいでやってきて、あいたカリカリのふくろをはかりにのせて「ぬすまれたのは30グラム」と、いいました。
そして「ねこの手で、ひきだしをあけられるなんて、びっくりやな」と、くすくすわらいながら、おいたんとはなしていました。
あたいがやったと、どうしてばれたのか、ふしぎです。

けさも、おげんかんのかびんをかしゃーんとひっくりかえしたら、おばたんがしんぱいして、おきてきました。おばたんは、ついでにおにわにでて、くさひきをしましたが、かたつむりのなる木を拾ってきました。


おいたんは、「『かたつむり どこでしんでも わがやかな』 これは、こばやしいっさだよ」といいました。

はやおきのあたいがいると、いいことがあるでしょう?

みなさんもあつさに気をつけて、おすごしください。

大儀なのを勤めるのが…

町内を回ってお盆の宅参りの中止案内を届けました。

8月はお寺にとって、ほんらい1年で一番忙しい季節です。県内にコロナ警報が発令された場合は中止すると役員会で決めていましたので、致し方ありませんが、やはり中止は残念です。田後で初開催となるお盆の法要もできなくなったことも残念でなりません。こういうのを脱力というのでしょう。やる気が湧いてきませんでした。

そんな私を、まず励ましてくれたのは、熱心なご門徒さんであった源左さんのことばです。

たいぎなのを勤めるのが 勤めだけのう

通知の案内を全ての門徒さんに届けるのは結構手間ですが、源左さんのことばをかみしめつつ、重い腰をあげたのでした。

たいぎは大儀からきているのでしょうね。重要なこと、苦労が大きいことから、大変なこと、めんどうなことといった具合に。

町内を走っていると網代・田後の海岸線を走ったり、山間地の銀山では家々に植えられた草花をながめたりするなかで気分も晴れてきました。

お盆の最中は初盆のお勤め、すでに入っている法事は勤めますので、暇というほどではありませんが、時間を有意義に使えたらと思います。

さて、あしたはナモの日記の予定です。ご期待ください。

お寺の掲示板(8月)

3日前に何をしていたか、何を食べたのか、きっちり説明できる人は少ないと思います。人は大半の出来事を忘れつつ、生きているのではないでしょうか。

けれども、8月は記憶しないといけない、そんな思いから、「八月を記憶する」としました。

先人が遺した戦争の記憶を私たちの記憶に。

いま世界が直面しているパンデミックを記憶し、次の世代へ。

平和とひとのいのちを大切にする社会へ、たとえそれが少しずつであっても、ゆっくりとした歩みであっても、諦めず、お互いに努力しましょう。

網代の清掃日

きょうは網代地域のいっせい清掃の日です。地域の掃除の後はご門徒のみなさん十数人が道場境内の清掃にきてくださいました。

作業に集中していて、写真を撮り忘れ!

玄関先の石の間からたくましく生えていた草がきれいに刈り取られています。

話題はコロナ。みなさんニュースをよくご覧になっているようです。

お盆まいりの中止もみなさんにお伝えしました。「暑い中歩かれるのは大変だろうけえ、近所の人にはいっとくけえ」と話される方も。

中止の案内とご門徒さんへの手紙をこれから各戸に届けたいと思います。

お盆参りは中止とします

鳥取県東部に新型コロナ警報が発令されたことを受け、この夏のお盆参りは中止に、16日の本堂での法要は寺族を中心にしたお勤めにすることとなりました。

朝から鳥取市内のご門徒さんあての案内をつくり郵送作業をいま終えたところです。

全国的に、そして鳥取県でも感染が広がっています。

東京の医師会は都内1400箇所に検査を拡大して、感染震源地(エビセンター)を明らかにするとしています。現状は、検査を受けていない無症状の感染者がまわりに感染を拡大している状況のようです。

人口100万人あたりのPCR検査実施数で日本は215の国・地域中で158位ということですから、感染拡大が十分つかめないままに事態は悪化しているということのようです。

子どもたちは今年夏休みが短くなっています。国会は今開かれず安倍首相は夏休みの状況です。

鳥取の平井知事は昨日、夜11時から記者会見し、県・鳥取市の担当職員の方々も会見で説明責任を果たしていました。こんな夜中でなくてもいいのではないか、身体は大丈夫かなと心配にもなります。

ですが、いま行政も医療機関も、感染拡大を防ごう、いのちを救おうと全力です。そのために行政や医療機関はあるのだなと私なども見ていてハッとさせられるのです。

東京の医師会長さんは、国会を開いてほしいと声をあげていました。こんなことが言われること事態、嘆かわしいことであると思います。首相には、この苦難のなかで8月を迎える人たち、この事態に立ち向かっていのちを救おうと全力を傾けている方たちに、心を寄せて欲しいと切に願います。

国会を開いて、政府の責任を、どうか果たしてください。与野党、ここは力を合わせて苦難に立ち向かっている方たちが励まされる施策を講じてください。

自業自得のワナ

鳥取県東部で、新型コロナウイルス感染症の広がりが見られます。感染された方に対して、「自業自得だ」との批判がインターネット上に見られます。悲しいことです。

もともと、「自業自得」は『正法念処経』(しょうぼうねんじょうぎょう)というお経の中にある言葉です。

「業」とは行為のことです。自分の行為に対しての結果を、自分自身が受けるというのが「自業自得」の意味でしょう。

私自身は、この言葉は決して安易に使ってはならないと考えています。

浄土真宗本願寺派は、「業」についてどのような註釈を行っているのか、改めて確認してみました。
「江戸時代の説教などでは、現在の貴賤、貧富や、心身の障害も、すべてその人の過去世の業の報いであると教えた」
「政治的に作り上げられた封建的な身分差別までも、すべて個人の業報であると説くことによって、社会的身分制度を正当化するような役割を果たしてきた」

「現実の矛盾や差別は歴史的社会的につくられたものであり、それによってもたらされた不幸を、被害者である本人の責任に転嫁し、その不幸をひきおこした本当の要因から目をそらさせてしまうような業論が説かれるならば、それは誤りである」

ーー引用は、『浄土真宗聖典』1560ページより

極めて率直な記述です。また、私自身、踏まえなければならない立場であると再認識しました。

そんなことを思いつつニュースを見ていると、こんな話題が。

香港の民主化運動のリーダーの一人で香港大学准教授の戴耀廷(たい・ようてい)氏が同大学から解雇をされたそうです。それに対し、中国政府の香港出先機関「中国駐香港連絡弁公室」は、「完全に自業自得だ」と談話を発表しています。

真の原因は、たい氏にあるのではなく、「一国二制度」という世界への公約をなきものにしている中国政府にあります。

石原慎太郎氏は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)のことを業病とツイッターで記したことをニュースで知りました。このような表現を使えるところに、氏の心の荒廃を見る思いです。

「自業自得」を私たち自身が戒めの言葉として自らに向けて使うならともかく、人を責めたてる言葉として使われる時、注意が必要です。そこに、この言葉のワナがあると思います。

思わぬ事態に

裏山からキリの木が倒れてお墓を覆うような格好に!

先日、剪定をお願いした業者さんがすぐ来てくれ、

あっという間に解体作業は終了。ホッとしました。

キリの高さは10メートルほどでしょうか。小さな樹木では決してないので、廃材の山となってしまいました。

私は長雨による倒木かと思いましたが、それだけでなく、近くには猪があけたと思われる穴が。業者さんによると、「猪が掘り返し、そこに長雨が続いて倒れたのでは」とのこと。

お寺の裏山は傾斜がきつく、このところの異常気象で山崩れがいつか起こるのではないかと心配になります。町役場にも、一度調査をしてもらえないかと先ほどお願いに行きました。それがどうなるにせよ、お寺として対策を講じなければならない時期に来ていると思います。

と、ちょっと疲れたところに、裏山からひぐらしの大合唱。いろいろなことが起こりますが、自然に翻弄されたり、癒されたりしながら暮らしているんだなあと気づくのでした。