ぬくもりとして遺る

ちょうど今日がお亡くなりになってから四十九日めとなる方の満中陰法要と納骨法要がありました。

「ケガをして入院し、家にいないことはあったけど、帰ってこないということはこれまでなかったですから」と息子さんはおっしゃいました。

お盆参りや春に毎年おこなっている宅参りでは、仏間にちょこんと座り、手を合わせ、念仏する姿がありました。もうその時間を持つことができません。

亡き方は、この仏間で私に、「仏さんを大事にしないといけないと家族にいっているんです」と話されたことがあり、きょうはそのことばを思い出しながらお経を読みました。

亡くなるということは無になるということではなく、私たちにことばとして、ぬくもりとして遺っていくのではないか、と思うようになりました。みなさんはこのお盆に亡き方のことを思い出したり、墓前で話しかけられたりされたでしょうか。

日中のうだるような暑さが過ぎ去り、網代のお墓は涼やかな風が吹いていました。

「私に話してくださったことを忘れずにこころに留めて、これからもお勤めさせていただきます」。お墓の前でそう誓い、岩井に帰りました。

お盆の法要をお勤めしました

寺族を中心としたお盆法要をお勤めしました。この1年間にご往生された方の法名と名前を読み上げるとともに、先の戦争で亡くなった方たちの遺影を掲げ、不戦の誓いを新たにしました。

ずっと戦後を続けることができるかどうかは、私たちにかかっています。

妹、そして姪っ子たちが法要の準備を手伝ってくれ、今日も参ってくれたのは嬉しいことでした。

法要終了後は納骨堂前で短く読経しました。

まだまだ暑い日が続きそうです。コロナと熱中症に気をつけつつ、この夏を過ごしていきましょう。

八月十五日

「八月十五日の正午から午後1時まで、日本じゅうが、深閑として声をのんでる間に、歴史は巨大な頁を音もなくめくったのであった」

宮本百合子『播州平野』より。

終戦記念日の鐘をつきながら、この有名な一節をかみしめました。私自身は戦争を知らない世代ですが、終戦というよりも敗戦と言った方がより正確ではないかと思います。

この時代に命はどう扱われたのでしょうか。

軍人勅諭によれば鳥の羽より軽いとされた臣民の命。軍人の戦死者のうち半数は病気や餓死であったとの研究があります。戦争が長期化し、人口が増えないなか1939年に作られた結婚十訓には、「悪い遺伝のない人を選びませう」「産めよ殖やせよ国のため」などのことばが並びます。大正に生まれた男性の7人に一人は戦死しています。終戦当時の男性の平均寿命は23.9歳に過ぎませんでした。

先日、あるご家庭の法名を拝見したのですが、戦死者につけられた「忠」の一語が眼に飛び込んできました。国のために死ぬことを真宗もまた忠としてたたえたのです。恐ろしいことです。

戦後75年の終戦記念日。

これからも人の世が続く限り平和の鐘として鳴らし続けられますように。願うだけでなく、私もできることをやっていきます。

初盆のおつとめ

お盆参りはとりやめましたが、初盆を迎えるご家族の希望に沿ったお参りをしています。例年だと初盆のお勤めもごく短時間ですが、ことしは約25分のお勤めです。「正信偈」を駆け足で読み、少しだけお話をして次のお宅へ移動です。昨日と今日を中心に10軒うかがいました。

ずいぶん上手に読まれる方がいるので、「お上手ですね」と声をかけると「しょっちゅうお経のCDをかけているので」とのこと。

別の家では、私よりも速いスピードで読まれるおばあちゃんがいらっしゃったり。

可愛い声で「なーまんだーぶー」と念仏をとなえてくれた小学生の姿もありました。

「暑い中、ご苦労さんですなぁ」とにこやかに迎えてくださった方の笑顔にもふれ、うれしくなりました。この方は、数ヶ月前に奥さんとお別れになって初のお盆を迎えられました。

悲しい別れを体験されたみなさんが、この初盆に何を思われているのかなあ、どのような気持ちでいらっしゃるのかなあと想像してみると、いのちは決して粗末にしてはならないな、と思わされます。

昨日きょうは、みなさんのおかげで気持ちの入った読経ができたように思います。

初盆のお勤めを、来年以降も少し丁寧に勤めることができないか、スケジュール再検討の余地がありそうです。

お盆のお花 残り物に福?

坊守です。
昨日からお盆の態勢をとるべく、半日リモート会議に出た以外は、お寺の仕事をしています。といっても、お盆参りは初盆で希望された世帯限定〜という方針で動いていますので、大人数のご飯作りや白衣の洗濯大会はナシ。
今日は本堂のお荘厳とお花立てに注力しました。

ところが、です。今朝、いつもの花屋さんに行くと、おじさんが眉間にシワをよせ「売る花がない」と第一声。お店の中は、お花いっぱいでしたし、おじさんも白い百合に囲まれていました。きけば、この夏はこれまで経験したことのない数のお花の予約が入り、花はあるのに売ると足りなくなる状態だと分かりました。
大きな菊だけ売って下さることになり、30本確保して、大急ぎで別のお店へ。ところが、見当をつけて行った先も次々と花切れでした。
最後にのぞいた道の駅で、ハスの花が何束か残っていて飛びつきました。
道場から切ってきたソテツを真(しん)にして、ハスをメインに、白い花をあしらうことに。花瓶の口元は、我が家の前庭からとってきたチャボヒバで。
選択の余地がなかった花材の割には、素敵に仕上がったのではないか?と、ほくそ笑んでおります。残りモノ、万歳!笑

それにしても、本堂裏の数時間の格闘により、足が棒です。

香港での人権抑圧に思うこと

香港警察が10日、民主活動家やジャーナリストを逮捕し、11日の夜、保釈されました。

容疑は香港国安法違反です。同法は、(1)国家分裂(2)政権転覆(3)テロ活動(4)外国や境外(台湾)勢力と結託して国の安全に危害を加える行為–に対し、最高刑で終身刑の刑罰を科します。実際の行為だけでなく、威かくや扇動しただけでも罪になります。恐ろしい法律です。

仏教では貪り、怒り、愚かさを三毒といいますが、残念なことに中国政府は首まで浸っているとしか思えません。ここは国際社会が声を上げ、なんとかこの暴挙を食い止めてほしいと切に願います。

ところで、日本でも戦前、治安維持法という法律がありました。最高刑は死刑です。自由と民主主義、戦争反対の思想・行動は犯罪とされました。小林多喜二さんのような著名な方が拷問により殺害されました。

戦争に加担した浄土真宗は、それら思想犯を天皇制に回帰させる教誨師の役割を担っていました。これは、本当に恥ずべき歴史であると思います。

仏教の根本精神は命の平等を説くことにあります。

それに反する動きが国の内外で起こる時、仏教徒の一人として、決して無関心ではいまい、そう思っています。

阿弥陀さんのお引越し

きょうは阿弥陀さんのお引越しのお手伝いをしてきました。

仏壇をしまわれたご門徒さんより寄贈された御本尊(阿弥陀さん)と脇掛を、この度、仏壇を購入されたご門徒さんのところにお届けしたというわけです。

サイズが合うのか、若干不安だったのですが、

ピッタリでした。

阿弥陀さんの新居が見つかってよかった!

いっしょに『正信偈』を読み、仏壇と阿弥陀さんについて少しお話をさせていただきました。

ご門徒さん、ぜひ大事になさってください!

ご門徒のみなさんへの手紙

全国的に厳しい暑さが続いています。

本来なら昨日からお盆参りの予定でしたが、県のコロナ警報発令のもと中止に。初盆と法事のお勤めを中心としたお盆となりそうです。

10日ほど前にご門徒さんのところに届けたお手紙をブログでも紹介します。来年はこのようなことにならなければよいのですが。

朝、ニュースを見ているとオンライン法事が取り上げられていました。コロナを体験し、仏事のあり方は、簡素化に拍車をかけていくことでしょう。

ウチのような田舎のお寺でも対応が必要なことも生まれることでしょう。どんなことも実務的にしないでこころを込めるという姿勢を堅持して事にあたっていかなければと思います。そのなかから見えてくることもまたあるような気がしています。

長崎の日に原爆俳句を読む

坊守です。残暑お見舞い申し上げます。きょうは8月9日、長崎忌でした。
6日と同じく、「平和の鐘」の一環でお寺の鐘をつきました。役員のMさんも参加してくださいました。

いまから75年前の今日、アメリカは広島に続いて、長崎に原爆を投下しました。3000℃から4000℃の熱線と、街ごと吹き飛ばすような爆風、そして放射線による急性症状のために、その年(1945年)の年末までに約7万4000人が死亡しています(広島の犠牲者は同期間で14万人)。
生き延びた被爆者も、後遺症やいつ発症するか分からない原爆症の恐怖を背負ってこられました。

ここ数年、長崎の日に手にする一冊があります。東京に居たころ、ある看護師さんが私に下さった『松尾あつゆき日記〜原爆俳句、彷徨(さまよ)う魂の軌跡』(長崎新聞新書)です。筆者は尾崎放哉と同じく、自由律俳句の作り手です。長崎の原爆で妻と3人の子どもたちを失い、その体験から原爆句をつくりました。


本書は生き残った長女・みち子さんを看病しながら2人で生活した10カ月間をまとめたもの。挟みこまれた原爆句からは、作者の慟哭とともに、当時の匂いや気温、風までがたちのぼってくるようで、ページを開いている自分が1945年8月に連れて行かれたような気にすらなるのです。


【こときれし子をそばに、木も家もなく明けてくる】

【すべなし地に置けば子にむらがる蝿】


…8月10日に帰りついた自宅跡には、横たわる妻の横で死んだ2人の幼子が。この日、さらに長男が生き絶えたが、3人の兄弟の遺体を炎天下に並べておくしかすべがなかったそうです

【まくらもと子を骨にしてあわれちちがはる】


…子どもには7カ月の乳児もいました。臥せっていた奥さんも終戦を待たずして亡くなります。


【なにもかもなくした手に四枚の爆死証明】

【炎天、妻に火をつけて水のむ】

家族を失ったあまりの寂しさに、何度も自死を考えながら、句を作ることで生きた…と、本人は綴っています。

実は、この本をくれた看護師さんは、あつゆきさんのお孫さんにあたります。長女みち子さんが生き延びて彼女が生まれ、いのちを守る仕事に就いたことも偶然ではないように思います。

いま、地球上にある核兵器は1万3410発。かつては7万発超だったので、ずいぶん減りましたが、まだまだ。保有国は多い順に、ロシア、アメリカ、中国、フランス、イギリスと続きます。「そんなの捨てちゃいなよ」と要求する相手は巨大にみえます。でも、原爆が、ひとりひとりの人生から何を奪ったか〜死んだ被爆者も生きている被爆者も〜を考えれば、核兵器の廃絶は、人類があきらめてはいけない課題のひとつであると思います。

私も、色々な機会に、できることをやっていこうと、あらためて考える1日でした。

納骨のおつとめ

本日は午前と午後に墓前での納骨のお勤めがありました。

仏教徒のお墓の起源は釈尊の遺骨(仏舎利)を納めた仏塔にあります。庶民がお墓を持つようになったのは江戸時代からです。

お墓は、私と亡き先祖とのつながりを考えさせてくれる場です。また、横のつながりというのか、家は違っても同じ地域で歴史を重ねてきた方たちとのつながりを感じる場です。網代や田後地域の墓地に行くと、この人たちと私は決してアカの他人ではなくどこかでつながってるよなぁと思うのです。

そういえば、昨年のこと。盆参りが終わって帰ろうかなという時に、あるご門徒さんと道端で出会い、「お出かけですか」と訪ねると、「お盆は親戚のお墓を参って回るだが」とおっしゃいます。

その方もそうなのですが、亡き人のことをしばしば思い出しつつ、寂しい中にも感謝を忘れない人は心穏やかな人が多いと思います。

手を合わせる行為がすくなくなっているいま、お盆のお墓参りは貴重な時間です。ことしは帰省できないという方も、お盆の期間中に手を合わせてみられてはいかがでしょうか。