ダブちゃんのこと

最近、家に顔を見せるようになったネコ。
坊守が名前をつけました。
ダブちゃん。



なんだか、ダブっとしています。
もちろん、ナモアミダブのダブです。

別の家では違う名前で呼ばれているかもしれません。

野良猫に餌をあげないのは鉄則かもしれませんが、小さな命がこの寒い時期に健気に生きています。人が近づくと逃げてしまうので、家に入れることは難しいかも。食欲はすごいです。

ナモと泣きあってガラス越しの友情(恋?)を深めています。

せめて寒くないように縁側の軒下を居場所にしてくれるといいのですが。

30日から山陰も寒波襲来のようです。それを見越してか、町内のスーパーは混雑していました。

100分de名著に『資本論』

来月のEテレ『100分de名著』はカールマルクスの『資本論』がテキストになるそうです。10年前にも取り上げられていますから、2回目ではないでしょうか。今回の講師は若手の研究者・斎藤幸平さん。

マルクスは宗教を排斥したとか、一度した使ったことのない「宗教はアヘンである」という言葉を持って誤解をしている方も少なくないかもしれません。マルクスの言うアヘンというのは、鎮痛剤として使われていたアヘンのことを指しています。そのように読めば、「宗教というのは鎮痛剤である」ということです。心の痛みを和らげるものということですから、目くじら立てる必要など全くないのです。しかしながら、浄土真宗関係の書籍の中でも、いまだに誤解に基づく偏見を目にすることがあり、苦笑することがあります。仏教では物事を正しく見ることを正見といいますが、そのように見ることはなかなか難しいのかもしれません。

マルクスは商品経済の仕組みを深く分析し、資本主義社会における搾取をつまびらかにしました。封建時代まで搾取の実態は目に見える形であったのです。農民の取り分はこれ、領主はこれ、と実にわかり易かったのですから。それが見えなくなった資本主義社会において、どのような形で搾取ー搾り取られるのか。資本論の最も大事なところの一つですから、番組でも紹介されるのではないでしょうか。

貧困と格差の拡大、地球的規模での環境破壊、現在の投機的なマネー経済のあり方など、真面目に考えようと思ったらマルクスを勉強するのがよいと思います。

例えば、こんなフレーズが出てきます。「資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」

ブラック企業や過労死の実態をピタリと言い当てていると思いませんか。

実は私自身も、マルクスの『資本論』を数年かけて30代の頃に読みました。ソ連や中国のような社会システムはマルクスは全く想定していません。マルクス、そして盟友のエンゲルスは、資本主義の発達した国が、次の社会を作る条件、人々を生み出し、選挙による多数者の合意によって社会を変えていくと考えていました。

世界的な課題が山積する今、マルクスは再評価される時を迎えているのではないでしょうか。

この社会のままで私たち人類の歴史は終わるのでしょうか。そんな壮大なことも考えることができます。何も宇宙だけが壮大ではありません。人類の未来だって、壮大なスケールでマルクスは見通していますよ。

年の瀬です

ご近所では30日からの寒波襲来に備えて雪かきをしている方が目立ちます。

私も朝は雪に埋もれたエアコン室外機周辺の雪をかきました。先日の大雪ではエアコンが全く効かず、外を見ると室外機が雪の中。お寺の裏はいまだ雪の山ですが、少し溶け始めてきたので、ようやく室外機を救出できました。

その後はお寺の仕事をして、町会の仕事を少し。年頭には神社でのお日待ちがあります。酒屋さんにお供え用の御神酒を買いに行きました。

浄土真宗は神祇不拝です。思い通りにならない状況からから抜け出したい、そのために神・仏を拝むことを否定されたのが親鸞聖人です。自分の欲のために神様を利用することはしませんが、神様には敬意をもってお参りすることは大事であると思います。ですから私自身は町会の組長として神社にお参りさせていただきます。

お参りされる予定のご近所さんに、「私は阿弥陀さんに帰依しているので、神社のお参りだけど、なんまんだぶって心の内でつぶやきますよ」と話すと爆笑でしたが、「あんたはお寺だけえなぁ」と理解を得たのでした(たぶん)

神主さんは中学時代の先生でもあります。宮司さんの正装を拝見するのはちょっと楽しみだったりもします。

阿弥陀さんを迎えて

今日は午前に仏壇を購入されたお宅での入仏法要がありました。ことし新たにご門徒さんにもなられたご家族です。

仏壇はご家族にお亡くなりになった方がいらっしゃらなくてもあって不思議ではありませんが、やはり大半はお亡くなりになったことが機縁だと思います。

お仏壇のお飾りについて、いつもお話しさせていただくのは、阿弥陀さんの話です。そして阿弥陀さんが仏壇の主役になるようにしてください、とうことです。

きょうは小学生の方もいました。

「無量って聞いたことある?」と。「わからない」

これは町内の牧谷に住むKくんという中学生から私も教えてもらった話です。無量は数の単位です。一、十、百、千、万…恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、そして最後は無量となるんです。無量は=アミタ(阿弥陀)です。

大人のみなさんの方が驚かれていました。

無量の光、無量のいのちの世界から、私たちに、精一杯生きてください、必ず救いとっていきますよ、と働きつづけておられるのが阿弥陀さんです。一方の私たちは日々、損得勘定したり、つまらぬことで対立したり、喧嘩したりして生きています。仏さんの願いを仏壇の前で噛み締めるとき、「あぁ、これではいけないな」と自身を振り返ることができる、そこに仏壇の意味があると思います。だから阿弥陀さんが脇役になるともったいないです。

といったお話をしました。

他にも質問にこたえていたらすっかり長居をしてしまいました。

私自身も仏壇について学び直す機会となりました。ありがとうございました。

やれなかった、やらなかった

「やれなかった、やらなかった、どっちかな」(相田みつを)

ある仏教関係の本を読んでいたら、この詩のことを知りました。

コロナ禍の中で過ごしてきたこの1年、どうだったかなあと振り返って見ると、やれなかったことも、そしてやらなかったこともあると考えさせられました。

ただ、私の場合は、「やらなかった」と感じるためにも、本来、やれることがもっとあるはず、と言う情報、知恵をインプットしなければならないと思います。

今日の午前中に、因幡組(そ)の組(そ)長さんのお寺・養源寺さんに用事があって伺いました。さまざまな実践を重ねてこられている住職さんです。今日、話を聞いて、「なるほど」と思ったことがありました。本堂の灯明(ろうそく)はLEDで24時間、スイッチが入れられていること、そして本堂入口の引戸のガラスが透明のタイプになっていて、外から灯明に照らされる阿弥陀さんが拝めるようになっていることです。うちは半透明ですから、外から中が見えません。

写真撮るのを忘れた!!!

あっ、これはいいなあと勉強になりました。

各地のお寺の良いところを吸収させて頂いて、真似るところは真似をしていかないともったいないです。

そんな風に進んでいければ、「やれなかった、やらなかった」と言う問いを前向きに捉えることができるのかなと思った次第です。

雪かき日和

今日は寒さも和らいでいい天候です。

お寺の庫裏から鐘撞堂まで、ほったらかしにしていた雪をかきました。あそこまでやれば終わるというゴールがはっきりしているとやる気もでます。

次は納骨堂まで雪かきです。うもってます。

これは短時間全力でかいて、

お参りできるようになりました。

なければ欲しいと悩む

先日、お寺の雪かきを手伝ってくださったご近所さんと除雪機の話題になりグラっと来ました。

というのも、お持ちの除雪機は20年以上前のものをメンテナンスしながら使っているとおっしゃるのです。

大事に使えばそれぐらいの期間使えるということです。

「安いもんじゃないから、よう考えたら」とも。

大雪が降ると除雪に来てくれる業者さんからも先日、「お寺さんは広いけえ、除雪機を買われたらええが」とアドバイスされたところです。

もちろん、毎年降るかどうか分からないし、安いものでもありません。ただ、いまも本堂前には雪が溜まり、年末にさらに積もるようなことがあれば大変です。1、2月のことを考えると不安にもなります。

『無量寿経』に、「田があれば 田に悩み、家があれば 家に悩む。田がなければ 田をほしいと悩み、家がなければ 家がほしいと悩む」という下りがあります。私の今の心境は、まさにこれ。

あしたホームセンターに行って、悩んでみたいと思います。

町内を配達してまわる

西法寺通信第7号、カレンダーなどを手に町内をまわりました。

まず網代へ。

海岸線の道を走って田後へ。あまり雪の積もらない網代、田後にも雪が目立ちます。

お昼からは山間の集落・銀山へ。岩井よりも積雪量が多いです。

そして長谷とめぐって

最後は岩井です。夕焼けで山が赤くなっています。

雪が降ってない間にほぼ配り終わってホッとしました。

今週、大雪になって雪かきはしんどかったですが、ご近所の方と助け合って作業に当たったり、世間話をしたり、お裾分けをしあったりと、有意義な時間でした。

夏には草が伸びて草刈りをする、冬には雪が降って雪かきをする。雪国では当たり前のことを都会暮らしで長らく忘れて生きてきました。それを今回の大雪で思い出しました。

でも、もう雪は降らないで欲しい…。

お布施について

昨日のこと。
岩美町の中央公民館で行われた「奏で」の際に声をかけられました。
昨年の秋にお寺で開いた「心のコンサート」に参加されていた女性です。

「あの時、御住職が、『お布施というのはお金だけのことではないですよ。人に優しい言葉をかけること、被災地の方たちのご苦労を思う心、それもお布施です』と話されたのを、そうなんだ、と思って聞きました。それから私も心がけるようになったんです」

とのことでした。

昨年、そんな話をしていたとは、当人はすっかり忘れているのです。

「無財の七施」というお布施があります。
1、あたたかい眼差し
2、にこやかな表情
3、やさしい言葉
4、精一杯の行い
5、慈しみ深い心
6、人にあたたかい席を
7、人を気持ちよく迎える心がけ

以上の7つです。

いいことを思い出させて頂きました。