初七日のおつとめ

岩井は冷たい雨降りです。

午後、初七日のおつとめがあり、『正信偈』をご家族と読みました。

自宅での法要ではご家族から質問をいただくことがあります。

「四十九日までろうそくをたやさないようにしないといけませんか」とのお尋ねです。

「浄土真宗には、いつもろうそくに火がついていないと死者が迷うなどという考え方はないので、消されたらいいですよ。火をずっとつけていると不安ですし」とお答えしました。「それを聞いてホッとしました」とのご返事でした。

他にも、お仏壇にあえてコップなど水をおかなくてもいいのはなぜか、過去帳の使い方など、おたずねいただいたことにお答えしました。

四十九日含めてあと3回、おつとめが予定されています。故人を偲びつつ、故人が用意してくださったこの時間を大切にしたいと思います。

罰則ありきでいいのでしょうか

日本医学会連合の緊急声明

政府・自民・公明が進めようとしている罰則を設ける感染症改定は、恐怖や不安、新たな差別を生み出すことにつながるのではと心配です。

感染拡大がおさまらない中、持続化給付金は今日で終了です。(1ヶ月、伸びたそうです)

入院先が確保できず、自宅で亡くなる方がでています。

病院の経営がたいへんになっています。

次やるべきは罰則ですか?

自己の責任をはたさない人たちが、いま、国民に責任を転嫁しようとしているのではないでしょうか。

ことばで伝えること

お釈迦様は35歳で成道されたと伝えられます。成道とはさとりを開いて仏となることです。


さとりとは、つながりの中で生かされている自分に気がつくこと、であると私は理解しています。「なーんだ、そんな簡単なこと」かもしれませんが、それがなかなかできません。お釈迦様はさとりをひらいたあと、そのまま入滅しようとされました。そのまま死のうとされたということです。なぜならば、「言っても伝わらない」からです。それを思いとどまり、説法を始められたのでした。


ことばで伝えることはむずかしい。けれどもそれしかないのです。


コロナ禍において、総理の語る中身が国民に伝わっているとは言い難い状況です。「答弁は差し控える」「あなたに答える必要はありません」一番議論を尽くさなければならない場で、議論を拒否してきたことと決して無関係とは思えません。


緊急事態宣言をどう実効あるものにするか。新聞を読んでいたら、「利他心」が必要だと指摘する専門家のコメントを目にしました。「『他人にうつさないため』という思いやりの心をどう訴えるかが大切」


お釈迦様なら、いまの菅さんにどんな説法をされるのでしょうか。

網代のネコの泉

ナモが生まれ育ったのは網代のネコの泉です。もちろん私と坊守が名付けた名称なのですが。

網代のご門徒さん宅に届け物があったので、久しぶりにのぞいてみました。

このネコはナモの兄妹。巨大です。
真っ白な、まだ子猫
左右非対称の柄の足がかわいい

メンバーはかなり入れ替わっていますが、合計3匹いました。

網代も相当の積雪だったそうです。そのなかでもネコたちはがんばって生きているようでした。

富ということ

昨日、お通夜でご門徒さん宅にうかがいました。送迎をしてくれたのは坊守です。さて帰宅しようと車に乗るとエンジンがかかりません。バッテリーが上がってしまったようです。

困りました。近くの自動車整備会社に電話しましたが、営業時間外でつながりません。

ご近所のご門徒さんのところに、「○○さん、助けてー」とお邪魔したところ、すぐに軽トラで来てくださいました。

復旧作業をしていただいて、無事エンジンがかかり、ホッとしました。

「お礼なんていいけぇ」

先日、Eテレ「100分de名著」『資本論』をみました。そこで講師の斉藤さんが、富と商品はイコールではないのに、資本主義社会ではあらゆるものが商品化され、それに私たちは踊らされると話していました。マルクスの言うところの商品の物象化です。医療や福祉や図書館などは社会的な富であって、商品化、もうけだけで突き進むと歪みも生まれます。しかし、いまや、あらゆるものが商品化される世の中になっています。そしてお金のあるなしで生活は左右されます。

昨日のことから学ばされました。つながって支え合い、助け合って生きていくこと。これも富なのだということを。

商品の豊かさだけでなく、富のゆたかな社会こそ、コロナを体験した(している)私たちがめざすべき道なのかもしれません。

名前を喚ぶ声

お通夜のおつとめがありました。

Aさんは、亡くなられる1時間ほど前にリモートで映し出されたお孫さんの顔をみて名前をよばれたそうです。お孫さんがそのことを覚えてくれていたらいいなあとお話を聞いて思いました。

親鸞聖人はなもあみだぶつのお念仏を、仏さまの喚び声と受け止めておられました。悩みも苦労も多い人生を皆が生きています。

その私をめがけて喚ぶ声であると。

知らない街を歩いている時に、私の名を喚ぶ人に出会えたらどんなに安堵することか。その感覚に近いのかもしれません。

名という漢字には、夕方に口をあけて喚ぶという意味があるそうです。それに号がつくと、名号=なもあみだぶつですが、もともと号は號を略した漢字だそうです。虎のように大きな声で私に向かって喚びかけつづけてくださっているということになります。

私のことを心配し、大切に思い、名を呼んでくれる人を、そして仏様との出会いを胸に刻んでいくことは別れという悲しみに向き合う糧になるのではないでしょうか。

そんなことを感じさせられた今年最初のお通夜のおつとめでした。

また、またの雪

今朝起きてみると25センチほどの積雪です。

我が家の中庭はゆうに1mをこえるでしょう。

午前に予定していた法事を後日に変更していただいて、昼まで雪をかきました。

地域の雪かきは強力な助っ人に要請。

ユンボで雪をとってもらいました。

それにしても、あと何回積もるのでしょうか。

御正忌報恩講が始まりました

報恩講インターネット中継

親鸞聖人は現在の暦で1263年1月9日に体調をくずし、16日に御往生されました。

「報恩講(ほうおんこう)は、親鸞聖人のご遺徳を偲び、そのご苦労を通じて、阿弥陀如来のご本願によるお救いをあらためて心に深く味わわせていただく法要です」
(本願寺ホームページより)

様々なお聖教、作法に触れることができます。内陣のお飾りも見事です。

コロナ禍のなか、沈みがちな心も、少しは和らぐのではないかと思います。

私も可能な限り視聴します。

報恩講は16日まで行われます。

スケジールは中継ページの下部にありますので、ご確認ください。

雪のなかの訪問者

昨日の夜、勝手口に足跡が。

ダブのものです。寒いなか、ごはんを求めてやってきたのでした。縁の下で寒さを凌いでいたようで、ごはんを食べて去っていきました。雪のなかを健気に生きているのです。

そして本日は雪景色。積雪は20センチほど。

私も8時前から2時間半ほど、雪かきにあたりました。

年末に除雪機を購入したのですが、よく働いてくれます。