ナモの日記(12月)

みなさま、こんにちは。
きょうはナモのにっきです。

おうちのなかはぬくくて、おにわにあそびにくるトリさんもふえました。

あかるいうちは、おばたんはブウブでどこかにいくし、おいたんはおてらでおしごとしてるので、あたいがおうちのけいびいんなの。
でも、ぱとろーるにあるきまわるのは、ばんごはんのあとにしています。おるすばんのじかんは、まんまるになってねんねしているので、どろぼうがきてもわからないかもしれません。

このごろ、ねっちゅうしているのは、おだいどころのだいから、にかいに、ぴょーん!ととびあがることです。
それで、とびあがったら、かいだんにまわっていっかいにおります。そしてまた、ぴょーん!とじゃんぷします。

「かっこいいね」と、おばたんはいいます。おいたんは「すごい、うんどうのうりょくだね」といいます。

そうそう
あたい、いまのおうちのこになってから、きょうで1年になったの。
からだはちょっとだけおおきくなったくらいだけど「ナモちゃん」て、よんでくれるひとがあちこちにできて、うれしいのよ。
じゃあ、ばいばい

お寺の掲示板(12月)

お陰様 お互い様 ご苦労様

きょうの午前中に50回忌のお勤めがありました。亡き方はお寺のお参りにも熱心に来られていたそうです。その姿が、お孫さんに「50回忌をしよう」と思わせてくれたのかもしれません。

このブログにも書いたことがありますが、みえなくなった恩のことを、「陰の恩」というようになり、「お陰」となり、様をつけて「お陰様」となったそうです。

あなたのお陰で今、私はあるなぁと思い当たる方をお持ちですか。

思い通りにならない人生をお互いに悪戦苦闘しつつ送っているじゃないかと感じられたとき、気持ちも通うのではないでしょうか。

誰かの献身やご苦労によって今の生活が支えられているのではありませんか。

お陰様は感謝 お互い様は共生 ご苦労様は敬意。そのように感じるのです。もっともすぐ忘れて自分中心な考えに陥ってしまうのですが…。

3つの言葉を大事にして、12月を過ごしていきたいと自らに言い聞かせています。

12月1日のこと

朝、網代で配り物をしていたときのこと。お寺のことをいつも気にかけてくださるYさん宅で話をしていたとき、大事なことをうかがいました。

私が小学生の頃、大きな海難事故があり、乗組員の方々が亡くなられました。その事故の日が、きょう12月1日だったのです。

いまから3年前の春、私は僧侶となって岩美町に帰ってきました。4月に宅参りがあり、網代のご門徒さんのお宅にうかがいました。その際、若い方の写真が掲げられていたお宅がありました。

仏壇の前でいっしょに手を合わせた家の方から、「これは息子です。海の事故でなくなりました。まだ二十歳でした。出港を見送りに行った日のことは忘れられません」

そしてこうおっしゃったのです。

「私が朝晩、こうして手をあわせるようになったのは息子のおかげなのかなと思います」

そのお話はとてもよく覚えているのですが、当時は網代の地図が頭に入っておらず、きょう、それはYさんの家であり、Yさんの義理のお母さんであった知ったのです。

本山から度牒を授かれば僧侶にはなれます。しかし、僧侶に育ててくださるのはYさんのお母さんのような方です。

本日、お母さんは不在でしたが、娘さんにお礼を述べてご自宅をあとにしました。

2021年 ナモのカレンダー

ナモのカレンダーを作成しました。

全国のナモファンのみなさん、どうぞ使ってください。

2月の写真は、プチプチトンネルにご満悦のナモです。

12月4日、ナモがウチにやってきて1周年です。月日がたつのは本当に早いものです。


読んでくださっているみなさんへ

昨日、そして今日は、冬の到来を感じる強風が吹き付けています。届け物で田後にきていますが、きょうはしけ模様です。

さて、ホームページの統計情報によると、昨年11月に当西法寺ホームページを訪問された方は331人でした。それが、この11月は1231人となっています。毎日の訪問者も50人をこえるようになりました。田舎のお寺の小さなブログを読んでくださってありがとうございます。

お寺の掲示板サイトをきっかけに見てくださっている方が多いのでしょうか。

思い通りにならないことを仏教では苦といいますが、仏教や浄土真宗は、苦悩の多い時代をともに生きるための力になるものだと思います。

住職、坊守、そしてナモと3馬力で引き続き書いていきますので、これからもよろしくお願いします。

学生さんにお米を送ります

坊守です。
昨夜の雷雨のせいか、起きたら外は大雪…という夢をみました。タイヤ交換もしてへんから、仕事に行かれへん!と途方に暮れていたところで目覚め、現実は大雨ですんだので出勤。
昼からお寺にとって返して、お米の小分け作業をしました。

というのも、コロナの問題が長引く中、生活が大変になっている若者も少なくなく、わたしの職場が関わっている医系学生たちに、年末の食料支援をしよう、ということになったからです。
お米を何十人分も確保するのは、ひとつのスーパーでは足りないので、どうしようかと考えていたら、住職のまちづくりの会の先輩に米農家のYさんがおられることを思い出しました。お会いしたこともない私が、突然相談したにも関わらず、一俵半、かついできてくださいました。


始終軽口をいいながら作業するYさんでしたが、近ごろ行われ始めた大学生向けの食料支援プロジェクトや、町内の子ども食堂にやはりお米を出しておられると知りました。「良いことばっかりしておられるんですね」と、作業した同僚も驚いていました。

10年前のリーマンショックの前後で、日本でも貧困が社会問題になりましたが、雇用環境の変化で、20年前と比べると、ホワイトカラー層ですら、平均的な収入が100万円単位で下がってきていたといいます。
それを受けてここ数年は、一家の大黒柱が細くなった分、奥さんも子どももパートやアルバイトをして世帯を支えるスタイルが急増。「そんなところにコロナのためにバイトやパートの時間が削られるのだから、どれだけ生活に打撃になるか、想像してください」と、先日、講義を聴いた研究者が話していたことも、お米の重さを計りつつ反芻しました。

政府が税金をうまく回すことや「不安定雇用」のあり方を見直すことが、国民の命を守ることになるとおもいますが、それを待っていては間に合わないことに対しては、Yさんみたいにできることをしたいなと思っています。

過去帳を拝見したところ

お通夜、葬儀がありました。
臨終勤行をつとめた際、過去帳を拝見しました。
過去帳というのは、御往生された方の氏名、ご法名などを記載した小さな法具のことです。

最初のページからめくって拝見していたのですが、昭和19年に亡くなっている方がいらっしゃいました。故人のお父さんでした。年齢は30代前半、戦死です。末の妹さんは当才で亡くなっています。当才とは生まれた年に亡くなった、ということです。

遺されたお母さんは、戦後、ご苦労されたことと思います。そして、幼い頃に父を失った故人も、どんなに大変であったことでしょう。

第二次世界大戦に戦死した鳥取県出身者は約1万4000人います。途方もない人数です。

過去帳に記載された戦死者のお名前をみるにつけ思うことがあります。

人間が「怒り」という煩悩に支配された時、どんなに惨たらしいことをしてしまうのか、ということです。

もともと仏教の精神は、「縁起」、つながりの中に私たちはある、ということです。つながりの中に生き、生かされていることを忘れず、平和のうちに全ての人が生涯を送ることのできる社会をめざしていかなければ。

過去帳を拝見して、改めて強く思いました。

ネコの受け念仏

網代のお墓にクロネコが。お墓を改修されたご門徒さんと墓前でお経を読んでいると近づいてきたのでした。お墓の横に座り込んで動きません。しかもお経の節々で、ニャア、ニャアと鳴くのです。

お坊さんがお経を読んだり、説法しているときに、「なんまんだぶ」と念仏を称えることを受け念仏と呼び、それがこんにち使う「ウケた」のもともとなのだとか。

お礼をしようと近づいたのですが、逃げられてしまいました。

久しぶりの「なだばた」です。ごちそうになります。

お礼は三回

「父は、当日、ハガキ(手紙)、そして後日お会いした際と、お礼を三回していました」と、そんな話をしてくれた住職さんがいらっしゃいました。私もその真似をして、年回法要でお参りされたご門徒さんに今年からハガキを送るようになりました。

もう一点、お礼としてはじめることがあります。昨年冬のお寺の忘年会の際に、「法要に懇志をされた方への受取書をだしてくれないか」「領収書でなくてよいから」との要望がだされていたのですが、ようやく作成しました。今年は寺族を中心にした法要が続きましたが、先日の報恩講では多くのご門徒さんから懇志をお預かりしています。

このような形で作成しました。

親鸞聖人の和讃を入れています。西本願寺に賦課金などを納付した際、その受領書に和讃が記されています。これはよいなあと思っていたので、その知恵を拝借しました。

弥陀の本願信ずべし 本願信じる者はみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり

和讃は毎回、違うものをのせたいと思っています。