ナモの日記(2月)

ナモです

おそらからおちてきた、おにわのしろいもんはだんだんちいさくなったけど、あたいはまいにち、ぬくいばしょにいることにしています。

いちばんぬくいばしょは、おいたんのだっこです。きもちよくてねんねしたくなるけど、あんまりながくはだっこしてくれないから、ニャワン!と、こうぎします。

さむいけど、たのしいのは、
ダブにいちゃんがあそびにきたときです。えんがわにはしっていって、がらすどごしに、おはなしします。にいちゃんは、おうちのなかで、ちょっとおやすみするようになりました(ナモのべっどもつかうのよ)が、そんなときは、あたいはおぶつまにいなさいとおいだされて、おなじえんがわにははいれません。にひきのおおきさが、あまりにちがうので、あたいがけがしたり、ねこかぜをもらうといけないからだそうです。

きょうはこれだけ。みなさまも、おかぜをめさないようにしてください。

ついしん
いつもは、にんげんのごはんにきょうみがありませんが、このまえ、おいたんが食べていたかれいのひものにかぶりつきました。あとできいたら、あたいが生まれた、あじろからきたおさかなだったそうです。だからおいしかったんだわ!

仏教に関する実態把握調査

朝から雪です。予報では朝のうちに上がるとの事でしたが、昼になっても降っています。積雪は10センチほどでしょうか。

今日は会計実務をしたり、執務室の掃除をしたり、『宗教のないお葬式』という本を読んだり、考え事をしたりです。雪かきもしないといけないかもしれません。

本願寺が発行する『宗報』をながめていると、「仏教に関する実態把握調査」の概要が紹介されていました。この調査は全日本仏教会と大和証券が共同で行っているものです。

調査は昨年8月に実施。20から79歳までの男女。6192人からの回答です。

以下、調査報告の抜粋です。

「お盆」の状況に関し、これまで「例年、もしくは毎年、節目にはお盆に読経してもらっていた」人の割合は全体の31.4%でしたが、今年は予定を含め20.2%にとどまり、コロナの影響の大きさが窺えます。

注目すべきは「今後の意向」で、「コロナ禍収束にかかわらず、もしくは収束したら読経してもらう」人の割合が、全体の25.8%にとどまったことです。

コロナ禍で所属寺から連絡を受けたのは全体の約36.5%で、そのうち、満足度が高い約53.9%が、はがきや手紙、電話、寺報にて連絡を受け、「心づかいがありがたかった」等の好意的な受け止めをしています。

「お寺と中心となってかかわっている人」への連絡が59.2%である一方、非同居者(子どもや孫と推定)への連絡は21%にとどまっています。次を継ぐ門徒との関係性を構築するためにも、若い世代への連絡は不可欠です。

所属寺がある人のなかで「法要のオンライン予約」は48%が利用する・利用を検討すると回答する一方、「オンラインツールでのお盆、お墓、お彼岸参り」はいずれも2割程度にとどまり、予約はオンラインで、実際の法要は人を介したリアルでの修行を希望していることが想定される。

「コロナ禍において寺院・僧侶はどのような役割を担うべきか」との問いには、「不安な人たちに寄り添う」「コロナ禍収束を祈る」が上位となり、所属寺の有無や仏教への関心の有無にかかわらず、コロナ禍において僧侶への期待は高く表れています。

調査報告は全日本仏教会ホームページ上で公開されています。
http://www.jbf.ne.jp

オンラインで学びました

オンラインで川崎哲さんの講演を聞きました。主催は浄土真宗本願寺派の僧侶・門徒でつくる念仏者九条の会など。

核兵器禁止条約が1月22日に発効した意義についてのお話でした。

核兵器が投下されてから75年。被爆者のみなさん、広がる核兵器禁止を求める運動が世界を動かし、ついに禁止ということころまで来ました。いかに廃絶に向かっていくのか、これからにかかっています。

規範を作り、それが社会を変えてきたと川崎さんは強調していました。

奴隷制度廃止も、女性参政権実現も、そして最近ではセクハラやパワハラ防止も。運動があり、規範が作られ、社会のルールとなってきたのです。

地雷や生物化学兵器も禁止条約が生まれて以来、その枠組みに入っていない国々も縛られ、事実上使用できなくなっていると川崎さんは話していました。

核兵器禁止という規範のもと、世界100以上の金融機関が、すでに核兵器を開発する企業への融資をやめたそうです。

そんな前進面があるのかと感心しつつ聞きました。

大きな課題は、「投下はひどかったけれども、今の世界を見ると核兵器を持つことは仕方がないのでは」という抑止論とどう向き合うのかです。

川崎さんは、それに関わって、ローマ教皇が被爆地で、核兵器の使用も保有もいけないとスピーチした意義についても触れられました。使用はいけないというのは核保有国も同じ。保有もいけないとなると、核抑止論を否定することになるのです。ローマ教皇の宗教者としての良心と決意に励まされます。

コロナを経験した私達は、いのちや暮らし、平和にとって何が大切なのかを日々、学んでいるのではないでしょうか。

「人々が生きるために必要なものにお金をかけなければならない。核兵器は、気候変動を止めるわけでもない、感染症を直すわけでもない。そんな核兵器にいつまでお金を使っていくのか問われる」

川崎さんのおっしゃる通りだと思います。

被爆者の方が、「日本政府が条約に入ることを求める署名への協力をお願いしたい」と発言されました。まずはここからはじめたいと思います。

お寺の掲示板(2月)

「存在するものは、すべて持ちつ持たれつ」

『コロナ禍の東京を駆ける』(稲葉剛、小林美穂子、和田静香編)という本にあった言葉です。(岩波書店より1900円+税)

都内でネットカフェに寝泊まりされていた方達が、昨年4月の緊急事態宣言で拠り所を失いました。そのSOSをキャッチして奔走された支援者の記録です。

水際作戦と言って、助けを求めにやってきた人たちを締め出し、自助努力を迫るやり方が描かれます。傷つけられた人たちを、支え、行政にかけあい、生活支援につなげる姿が描かれています。支援する方達も感染への不安を抱えつつ、それでも走り回っておられます。

「存在するものは、すべて持ちつ持たれつ」

頭から反対する人は少ないと思います。なのに、私たちの社会は、なぜそれができないのでしょうか。現に困っている人たちに対して、その心を発揮できないのは、いったいなぜなのでしょうか。

○○が待ち遠しい

坊守です

またまた積もってくれた雪は、わりあい早めに消えつつあります。

朝の6時すぎには、野良猫ダブさんが庭先にやってきました。この頃は堂々としたもので、後ろ足で立って、ガラス戸を前足でたたきます。「朝ごはん、まだ?」と言っていることは、猫語が分からない私のような者にも伝わります。

その後は、本堂のお花を立て直し、
ニンゲン2人も朝ごはんをすませて、買い物に行きました。道の駅で茹でたホタルイカが売ってあり、「 嬉しくなってお昼ご飯用に手に取りました。

帰宅すると、網代のAさんがお寺にいらしていると前坊守から電話が。帰りのバスを待ってらっしゃるというので、急いでクルマをまわし、おうちまでドライブしました。「せっかくの休みなのに悪いこと」と、おっしゃいましたが、こういう時間に幸せを感じるタチなので、お礼を言いたいくらいでした。Aさんは、よそゆきのいい匂いをさせていらしたんですが、美容室からお寺に直行したんだとのことでした。

ホタルイカのペペロンチーノを食べたら、残った柚子の収穫をしました(この間は庭に雪が積もり、柚子の木までたどり着かなかったのです)。長くて鋭い棘に刺された住職の指が血まみれ(きゃー)になったりしましたが、1キロほど採れたので、午後からマーマレードづくりを。柑橘類一般はマーマレードになりますが、柚子には柚子向けのレシピがあるそうで、ゆっくり煮詰めました。

さて、きょうの出来事に共通して感じたことがありました。それは「春」。
12月半ばの大雪いらい、寒さにカラダを縮こませるように過ごしていましたが、少し防御をゆるめてもいいかもしれません。


都会で生活していたころは、季節を忘れて仕事に追われがちでした。いまも仕事には追われていますが(笑)、季節をしっかり体感しながらの日々に変わりました。ことしは、春が来る嬉しさも、ひとしおでしょう。

書いて作る

あるご門徒さんとおしゃべりしていた際、「もう一回筆を持ってみたいだが」との声が。「それならいいものがありますよ。本願寺が書写して本にできる正信偈を扱ってますよ」とおすすめしました。本日、手もとに届きました。

私も購入しました。見入ってしまうようなお手本がついています。

完成品は縦の紐綴じになるようです。ところで縦糸と変換すると経糸とも表示されます。これは間違いではありません。もとはインドの言葉「スートラ」(縦糸)を中国で経と訳したそうです。

「正信偈」に、「依修多羅顕真実」とあります。「修多羅」とは織物の縦糸のこと。私にはよくわかりませんが織物というのは縦糸を中心として横糸を編んでいくそうです。その事から縦糸(スートラ。漢字であらわすと修多羅)は真実を顕わす「お経」の意味として使われます。

以上のことは中央仏教学院時代に先生から教わった話です。へぇーと感心したお話でした。

『書いて作る正信偈』は一冊1000円+税です。本願寺出版社より購入できます。以下、注文ページです。

書いて作る勤行聖典 正信偈

これをテキストにした書写会を、なんとか工夫して開催できるようにしたいと思っています。

『武漢日記』を読む

岩井は昨日の夜から雪模様です。

朝の積雪は数センチほどです

1週間ほど前に購入した『武漢日記』をきょうは読むことにしましょう。

この本は中国武漢市在住の作家・方方(Fang Fang)さんが新型コロナウイルスの最初の発生地、武漢から発信した60日間の記録です。都市封鎖の2日後、1月25日にはじまり、3月24日が最後の日です。

2月下旬の日記を読んでいるところです。吹雪に耳を傾けつつ24日分を読んでいると、こんな記述が目に飛び込んできました。

「私は言っておきたい。ある国の文明度を測る基準は、どれほど高いビルがあるか、どれほど速い車があるかではない。どれほど強力な武器があるか、どれほど勇ましい軍隊があるかでもない。どれほど科学技術が発達しているか、どれほど芸術が素晴らしいかでもない。ましてや、どれほど豪華な会議を開き、どれほど絢爛たる花火をあげるかでもなければ、どれほど多くの人が世界各地を豪遊して爆買いするかでもない。ある国の文明度を測る唯一の基準は、弱者に対して国がどういう態度を取るかだ」(140頁)

いま国会が開かれています。私たちの国の政府は、コロナ禍で苦しんでいる人たちにどんな態度でのぞんでいるのでしょうか。

日記には、人々が病に倒れなくなっていく悲しみが、困難の中、支え合い生きる市民への敬意が綴られています。そして真実を隠し、歪める権力者とそれに同調する者たちへの批判が記されています。

武漢で何が起こったのかを克明に記憶した方方さんの『武漢日記』。最後まで心して読みたいと思います。

今年初の習字教室

2週目に予定されていた教室は大雪のため中止となり、きょうが今年初の習字教室でした。

課題は引き続き放哉です。

なぎさふりかえる我が足跡も無く

一日物云わず蝶の影さす

雨の日は御灯ともし一人居る

放哉の句は深い孤独と淋しさをあらわしていると思います。ただ、今のコロナ禍のなかで味わってみると何か安らぎも感じさせられます。そして書いてみるとまた楽しいものです。

習字教室は会員募集中です。第2、第4木曜の午後1時半より。会場は網代コミュニティーセンター。参加費は750円です。

僧侶の意見交換会に参加して


昨日、標記の会がありました。宗派をこえた集まりで、市内の葬儀会社さんがセッティングされた集まりです。昨日で3回目でした。

まず養源寺さんより、インターネットライブ配信のレクチャーと、実際に養源寺さんの援助で年頭の法要を中継した経験が紹介されました。


当西法寺も一応、配信することはできる状況にはありますが、マニュアル化しておりません。いただいた資料をもとにして、復習したいと思います。


葬儀会社の方から最近の話として僧侶抜きの葬儀のようすが紹介されました。「お寺が来る権利はない」と断られた方、そしてお別れ会をされた遺族の事例。葬儀会社としても複雑な思いがあったそうですが、参列された方の感想は、「いままで参加した葬儀の中で一番良かった」。


僧侶が執り行う葬儀は読経中心です。他方、お別れ会のような形態は、故人をよく知る方が心のこもったメッセージを読み上げたり、好きだった音楽をかけたりといった自由度があります。私も若かった時代に僧侶抜きの葬儀を仲間としたことがあります。故人も無宗教の方でしたから、僧侶を呼ぶという発想がそもそもありませんでした。

日本は「無宗教」の方が多いですが、「世間体」という目もあり、宗教儀礼による葬儀が選ばれています。先人から「仏さんを大事に」との教えを受けている方もいらっしゃいます。ですから、取り次寺に依頼してとなる方が郡部では多いでしょうが、それは果たしていつまで続くのでしょうか。直葬は減ることはないでしょう。


鳥取市が永代安置墓を10万円で販売しているという話も聞きました。納骨堂は寺院経営を支える一つの柱になっています。行政による10万円での販売は、お寺にとっては驚異でしょう。永代供養に50万、100万とかけられる人ばかりではありません。


懸命に生きる人たちの苦悩に向き合うことが本来の仏教や浄土真宗の道であると思います。

宗教に期待しない方たちが問題なのではありません。本来の宗教に立ち返り、見直され、つながるお寺を目指していこうとあらためて思いました。