お寺の掲示板(2021年3月)

スーパーマーケットでたまに会うご門徒さんがいらっしゃいます。
昨年、おはがきを差し上げた際に、「スーパーの友ですね」と書いたのですが、その後はお互いに顔を合わせることもありませんでした。それが先ほど、やはりスーパーで久しぶりにお会いしたのでした。

「あっ、○○さん、久しぶりです。やっぱりスーパーの友ですね」
「先生ですかな。買い物ですか」

先生はやめて欲しいのですが…。

その方がおっしゃいました。
「葬儀のときに先生が赤い本(経本)をくれて。それから毎日、朝晩、お経を読むようになって。だいぶ覚えましたで。毎日すると習慣になりますなあ」

初めてお聞きした話でした。
4月は地域の宅参りを予定しています。「今度ぜひ、いっしょに読みましょう」と別れました。

3月はお彼岸です。そして、もうすぐ東日本大震災から10年を迎えます。

3月のお寺の掲示板は、このブログでも紹介したことがある中西智海さんの詩を書きました。

「人は去っても その人のほほえみは 去らない
人は去っても その人のことばは 去らない
人は去っても  その人のぬくもりは 去らない
人は去っても  拝む掌の中に 帰ってくる」

ほとけさまとして、私たちのところに帰ってきてくださっている。ご門徒さんは寂しい中にも、そのように感じられて毎朝晩、お仏壇に手を合わせられているのでしょうか。

ジーンときました。

そらしさん

うちのお寺の裏側に大きな杉の木が2本、そしてあいだに一本はえています。

傾斜地にあり、災害の心配もあります。

そこで先日、日頃からお世話になっている大工さんにみに来てもらいました。

「こんど、そらしさんにみてもらうようにしましょうか」

「そらし???」

漢字が全く思い浮かびません。

「空に師ですよ。実は私も最近そういう仕事があることを知ったんです」

なんでも高いところにある木を剪定したり、伐採する仕事だということです。林業の盛んな智頭町を拠点にされているそうです。

伐採するかどうかはまだ決まっていませんが、間近で拝見する機会ができれば、またここで報告します。

ナモの日記(2021年3月)

ナモです。

ぬくい日がふえてきて、あたいはきげんがいいです。

とくに、あさ、おいたんがおきてねんねのおへやからでてくるときが、さいこうのきぶんです。おしっぽがしらんまに、ぴーんとなります。それから「にゃーん」といい声でごあいさつします。
それから、ダブにいちゃんのあさごはんをおいたんがあげるのを、みています。にいちゃんはがぶがぶいいながらたべます。おいたんがにいちゃんをなでてあげていると、あたいもだっこしてもらいたくなるの。しょうがないから、おばたんによじのぼります。

ダブにいちゃんは朝おねんねしてます

しばらく、ニンゲンのあさのしたくにひっついていますが、またねむくなって、ベッドにはいります。ねんねしているあいだに、みんないなくなります。

おるすばんをしているあいだは、おにわのとりをみたり、ぱとろーるにくる、おそとのねこと、おはなししたりします。このまえは、かおがくろくて、おなかがしろいおにいちゃんがきました。

これが、あたいの朝のすごしかたです。

そして、夜のおしごとしました。

桃の節句ですが

我が家(古民家)の庭先のこれまた梅の古木が満開です。

そして桃の花は、いま蕾です。

椿、梅、桃と、前に住んでいた方は、こうして冬から春への移り変わりを楽しんでおられたのでしょう。

明日はもう4日です。最近はダブに主役の座をすっかり奪われたナモの日記の日です。お楽しみに!

昔からのご縁で

2日間で3件の葬儀が終わりました。

私が勤めた葬儀にお参りされた、亡き方のご近所さんに、「町会の代表ですか?」とお尋ねすると、「実は遠い親戚にあたるんだが。昔からなにかと関わりがあって」とのこと。その方は14代目。昔は宿屋をされていたそうです。亡くなった方のご先祖はそれとは別の宿の関係者で、名字もその屋号の漢字を2つに分けてつけられたそうです。どうもその当時に親戚関係があったようなのですが、詳しくはわからないのだとか。

それからのご縁でなにかと世話になったり、お世話したりの関係が長きにわたって続いてきたそうなのです。

江戸時代の地図には、亡き方の関係の宿名、そのご近所さんのご先祖の宿名が記してあるそうです。機会があればぜひ拝見したいと思います。

葬儀がつづきます

きょうあすで葬儀が3件つづいています。前住職も「記憶がないこと」とおどろいていました。

本来なら私が勤めなければなりませんが、相手のご家族の希望日程もあることです。うち1件は80歳をこえた前住職にお願いしました。葬儀をつとめるのは3年ぶりです。今日の朝に予定されていた法事は前坊守につとめてもらいました。

前住職は昨日、通夜の数時間前までベットに横たわっていたので、いささか不安でしたが、導師を勤めた通夜以来、いたって元気なようす。「しんらんさまを歌った」とのことです。この感じだと、もう少し法務にあたってもらっても大丈夫かもしれません。

今日、私は別の葬儀をお勤めしました。ご主人を亡くされた奥さまは80代。現役で裁縫の仕事をされています。背広の裏地を縫っているそうです。「これからはお寺参りもさせてもらいますのでお願いします」と声をかけていただいて恐縮しました。

死というのは誰しも避けられません。だからこそ生きていることはありがたい。悲しみは悲しみとして消えることはありませんが、自分のやるべき仕事・役割をもっていることは悲しみを抱えて生きていく上でも支えになると思います。

モノは巡る。心と共に

坊守です。
午後はお寺の会議や葬儀が入っていたため、午前中にあちこちにおつかいをしました。


先日、遠くの先輩から美味しい文旦がひと箱届いて、いつもいただいてばかりの我々なので、少しお裾分けしましょう、となりました。

今朝の一軒目は住職が親友と呼ぶAさん宅へ。いちどお裾分けしたそうなのですが、電話がかかって「あとふたつ皮が欲しい」とおっしゃった気がするけど、どういうことだろう?と謎が残ったまま住職から投げられた案件。とりあえず2個持っていったところ「それそれ」とAさん笑顔になりました。3月にある地域の文化祭で、自作の籠を出すのだけど、気の利いたものを入れて展示したかった…ということでした。住職にはカゴが皮に聞こえたのでしょう。笑笑

謎が解明されたあとは、ナモの「実家」でもあるご門徒さんのところへ。先日立派なカレイをたくさんいただいたのでそのお返しも兼ねて。すると、「そんなお返しなんて考えたらいけんでと住職に言っといて」と。

さらにもう一軒、ご門徒さん宅へ。玄関をあけると「正信偈」が聞こえてきました。「家で流してたんですよー」とのことでした。

この冬は雪であんまり出歩かなかったので、顔が見られただけで、お互いニコニコになりました。

おつかいが済んだら、大急ぎで岩井に帰って、きょう傘寿のお誕生日を迎えるBさんにあげる、ちらし寿司づくり。盛りつけたタイミングで、住職がお勤めから帰ってきたので、2人でお届け。


わぁ!嬉しいなあ、と涙ぐみながらストレートに喜んでくれました。


もう少し若かった頃のBさんは、お寺のお参りだけでなく、境内の草引きをよくして下さっていました。こんな風に支えてくれる人がいるんだ!と、法事くらいでしかお寺の門をくぐることのなかった私には、驚きの存在でした。

お隣さんの顔も知らないことは珍しくない東京からこちらにきて、田舎はお裾分けや、助け合いが残っているなあ、と思います。

なにより、
「あの人たちに…」と思ってくれる心がありがたいなあ、と思います。月並みな表現ですけれど。

手をあわせる姿にふれるということ

今日は33回忌のお参りでした。お孫さんたちは小、中、高校生です。亡くなられたおじいさんと面識はありません。それでも、おばあちゃんが毎日、仏壇の前で手を合わす姿にふれています。こういう環境で育っている若い人たちは落ち着いた感じがします。

実はこのおばあちゃんの前でお経を読んで冷や汗をかいたことがあります。いまから4年前のお盆参りの際、ご自宅の仏間で「讃仏偈」という短いお経をあげました。「それなら私、暗記しています」と私の後ろに座られて、経本をひらくこともなくいっしょに読まれるのです。

当時の私といえば、中央仏教学院の生徒で、「讃仏偈」を暗記していませんでした。すらすらとでてくる偈文に、「かなわないなあ」と冷や汗ものでした。

その姿にふれているから、目にしているからなのか、お孫さんたちはていねいに手をあわせていました。おばあちゃんは寄り添って焼香のしかたを教えられていました。微笑ましい光景でした。

「夫が亡くなってからです。お経を読むようになったのは」とおばあちゃん。

33回忌。

こうして仏縁をご用意してくださった亡き方に感謝申し上げたい気持ちです。

引き続き放哉を書く

本来なら月2回の習字教室は、コロナや大雪の影響で、昨日がことし2回目。新たな会員の方が加わって少し賑やかになりました。

引き続き放哉の句を書いています。

「犬が覗いていく垣根にて何事もない昼」

「あらしの中のばんめしにする母と子」

非常に孤独であったであろう放哉ですが、句で切り取っている風景はどこかあたたかい。

「打ちそこねた釘が首を曲げた」

誰でも経験あることではないでしょうか。私にももちろんあります。

筆が上手くなりたいと思って書いているのですが、先生の見事な筆によって書かれた放哉の句をながめているだけでも楽しいものです。

雪のつめあと

先週降った雪はすっかりとけましたが、思わぬ事態に。

本堂の瓦が雪の重みでずれてしまったようです。本堂を改修した際にお世話になった宮大工さんに、前住職があわてて連絡していました。

見たところはそれ以外の目立った被害はなさそうですが、素人目なのでよくわかりません。いずれにしても、雪の力は凄いものです。