阪神大震災から25年

阪神大震災から25年目の1月17日です。当時、京都に住んでいましたが、下宿が激しく揺れ、みんな共用の廊下に出て無事をたしかめあったことを思い出します。

直後から何かできないかと友人たちと募金を集め、買えるだけ、持てるだけの物資をもって1月20日に仲間とともに神戸に向かいました。大阪から西には行けず、北から回って神戸市内に入りました。2月には寒い避難所に寸胴鍋一杯にシチューを作ってもっていきました。高速はあちこち倒壊し、通行可能な区間をパトカーが先導してくれました。見ず知らずの私たちに頭を下げる被災者の方たち。寒さで凍え、困っている方に温かい食事すら提供できないこの国は、果たして経済大国なのか、そんなことも感じました。

96年の夏には仮設住宅で住民の方から話をうかがったこともあります。仮設住宅で孤独死された方は1400人以上とみられます。

“私有財産の補償はしない”としていた政府の姿勢をくつがえし、神戸で被災された方たちが声を上げ、被災者支援の法律が作られたことも忘れてはならないことです。阪神・淡路は対象外とされましたが、こんにち住宅再建には最高300万円が支給されるようになりました。

震災から人とくらしを守る地域と社会へ。1月17日に誓いたいと思います。

こだわらない、とらわれない

隔週開催の習字教室が、1月は変則で2週続けてありました。

引き続き『般若心経』です。浄土真宗では読む機会のない『般若心経』ですが、書いては意味を考えるという作業となっています。

『般若心経』は空の思想が語られます。執着やこだわりを捨て、とらわれのない心で人のためにつくすことを説いていると思います。仏をめざす仏道です。

容易な道ではもちろんありませんが、仏教の思想、スタンスをよく表していると思います。この精神が世界中で発揮されれば、苦悩の大部分はとりのぞけるのでは?

それが自力ではできない私でありますから、「誰でも、どんな人でもすくいとってゆく」とする浄土教・阿弥陀如来の教えもまた頼もしいとも思います。

仏教には、般若心経のような自力の道、如来の力(他力・本願力)の道がありますが、めざす道は一つであると思います。

–今どこかで流される血、流される涙。この世界苦をすべての人びとが我がもの、自分の苦悩として感じ取ることができますように。私たちがそれぞれに、誰かの痛みは、私の痛みだと感じ取ることができますように。少しでも、世界の誰かの痛みをとりのぞこうと、みながそれぞれに努力できますように。–丘山新『菩薩の願い』より。

違いの強調よりも、共通する点で力をあわせないともったいないですよね。

字の方はたいして上達しませんが、いろいろと考えさせられます。

今を生きるための仏教100話

NHK-Eテレ「100分de名著」の『法華経』の回で指南役も務めた植木雅俊さんの『今を生きるための仏教100話』を読んでいます。

植木さんは、「思春期の悩みで、自信喪失や自己嫌悪に苛まれた」時に、中村元博士による原始仏典の翻訳を読み、「鬱状態を乗り越えることができ、仏教に興味を持った」といいます。仏教は「人間を信頼し温かい眼差しで見ている」。植木さんはそう書いていますが、私も3年前に初めて仏教を学んでみて、そう感じることがありました。

植木さんは法華経研究が専門ですから、『法華経』の大事なところのエッセンスを知ることができ、勉強になります。

また、

「釈尊のジェンダー平等」

「科学と宗教」

など、現代的なテーマも触れられています。

今を生きるために仏教の精神を大いに活用してほしい、活用したいと思わせられる一冊です。

こおり多きにみず多し

きょうは17回忌のお参りがありました。長年、氷河の研究をされてきた方がお越しだったので、親鸞聖人が詠まれたこおりをあつかった詩を紹介しました。

「罪障功徳(ざいしょうくどく)の体(たい)となる こほりとみづのごとくにて こほりおほきにみづおほし さはりおほきに徳おほし」

仏になるのに罪になり障りとなる煩悩(むさぼり、怒り、おろかさ)が、そのまま功徳になる。ちょうど氷が解けて氷となる関係のように、氷が多ければ解けた水も多い。同様に罪障深き者ほどその罪障が転じて成る功徳が大きいということです。

もっとも、地球環境との関わりでみれば、氷を溶かしすぎないようにしなければなりません。

私たちの煩悩が大きくなりすぎて、地球の将来を危うくしないよう、煩悩との向き合い方を変えていく必要もまた、ありそうです。そうした分野にも、仏教の出番が、がんばりどころがあるように思います。

50回忌のおつとめ

ことしはじめての年回法要がありました。まず50回忌の法事です。孫、ひ孫さんがお参りです。

丸49年もたっての法事ですから、お参りしようと思っていただいたこと自体が尊い。

ひ孫さんによると、「曽祖母の記憶は少しあります」とのこと。ご自宅は網代道場の近く。 「朗くんとも遊んだことありますよ」と。すいません、私は全然覚えていません…。

法事が縁となり、同世代の方との関わりができるのはうれしいことです。

これも亡き方のお導きですね。

一つ一つのご法事を、心を込めてつとめさせていただこうと思います。

合掌

お寺は時間がゆっくり流れる

きょうはお寺の会議でした。

会議は1時間半ほどで終わり、坊守お手製のカレーを食べつつ1時間ほど交流しました。

5年間、お母さんの介護を体験した方からはこんな話がありました。「食事の際、お母さんがどうしても食べてくれず、スプーンを投げてしまったことがある。その夜、なんであんなことをしてしまったのかと、涙が出て仕方がなかった。その体験から『待とう』と思えるようになった。する側、される側が同体になれたと思います」「母が亡くなる前日の夜、私の顔を何度も撫でてくれた。その翌日、母の顔を拭こうとすると、急に呼吸が乱れて腕の中で亡くなったんです」

知り合いの方から介護の悩みを聞くこともあるそうですが、「『こうしてみたら』と言えるようになったのも、母のおかげです」。

時間をとって交流すると自分史というのか、その人ならではの体験談が聞け、学ばされます。

お寺の時間は世間よりもゆっくり流れています。こうした機会をことしは増やしていきたいものです。

はじめてのおいしゃさん

ナモです。
きょうは、おめめがさめてから、ブーブにのりました。


「どこにいくの?どこにいくの?」と、おばたんにきいたら「どうぶつびょういんやで」と、おこたえがありました。

ブーブが止まったら、バスケットのあなから、小さなワンコがみえて、どこからかキューン!という、ひめいもきこえて、あたいはブルブルふるえたの。

まちあいのべんちにすわっていたニンゲンのおばあさまが「かわいいねこちゃんですな」と、いいました。
おばあさまがだっこしていた、くろくてながいワンコは「ノミがいます」といわれたそうで、おばたんは「近づいたらだめよ」と、ちいさいこえでいいました。

「やまなさーん」とよばれたら、バスケットからだされました。おんなのひとが、おなかやせなかをさわって「やせてもふとってもいませんね」といいました。もういやだったので、じぶんでバスケットにはいりましたが、またひっぱりだされました。


こんどはおみみのなかをグリグリされて、なんかいもふいてもらいました。
「あんた、みみのなかが、まっくろ!」と、おばたんがおどろきました。
おみみそうじのあとは、かゆいのをとめるおくすりをすりこんでもらいました。
おそとで寝ていたあたいは、おなかのなかやおみみのなかに住んでいたむしさんと、バイバイしないといけないんだって。
だんだんこわくなくなって、おへやのたんけんをしたら、おんなのひとが「きもがすわっているわね」と、ほめてくれて、おさかなのおやつを、さじでたべさせてくれました。
それで、おでかけはおしまい。

「せんせい、ありがとうございます」と、おばたんがいいました。おんなのひとは、どうぶつのおいしゃさんだったそうです。

おいしいものがもらえるなら、またいきたいわ。

地域医療…ふだんは考える機会はないけれど

坊守です。
明日から三連休という方も多いと思います。そんな連休最終日の13日に、地域医療について考える学習会が米子市で企画されています。


催しのきっかけは、9月末に厚生労働省が424カ所の公立・公的病院リストを発表したこと。平たくいうと「リストに入った病院は、いまの医療内容を縮小する方向で検討せよ」という内容です。鳥取県内では日南、南部、境港、そして岩美(!)の4病院が名指しされました。

山陰中央新報で紹介されました


わたしもこのニュースには驚きました。
地域の医療のあり方(どんな診療科を置くか、入院が中心か在宅医療を展開するか…などなど)については、人口の動態や住民の年齢層の特徴によって、調整検討しながら構想してゆくもので、いまのカタチから動かすのはダメ、とは思いません。


ですが、今回のように中央の画一的な基準に沿ってリストを作り、当事者の病院には事前連絡もなく発表するなんてことを、厚生労働省がやるなんて…。


そもそも、日本の医療現場はどことも、医師や看護師などのスタッフ不足を抱えながら、目の前のいのちを守るために、身を削るようにしてつないでいます。公立病院などは特に、不採算分野も担い、地域の命の砦として踏ん張っている。そこに国がこんな発表をするとは、日々の努力に冷や水を浴びせるような行為だったと思います。


また、同省が判断の基準にした調査データや基準があまりにもずさんなものであったことも判明。自治体や病院関係者から、強い抗議と白紙撤回を求める意見も出されています。


地域にとって医療機関は電気や水道のように、なくてはならないインフラだということは、東日本大震災などを経て、広く実感されていることだと思います。ふだんの生活の中で、地域医療について考える機会はほとんどありませんよね。でも、政府が社会保障の財源を圧縮しようという方針を持っている限り、住民・患者のレベルでも、地域医療の動向を知り・考える時間や場を積極的に作らないといかん時だな、と考えた次第(真面目モードです)。


ということで、長くなりましたが、13日は、県東端から西端まで、おんぼろ自動車でひとっ走りしてきます。

以上、医療分野で働く坊守でした。

鳥取の人口は55万2000人

きょうの午後は習字教室でした。教室に通われている最高齢の方に、今年いくつになられますか?とうかがうと「昭和4年生まれ。90歳になるんですかなぁ」と。お元気で何よりです。車でお迎えに来ていた息子さんを待たせて、最後まで熱心に机に向かっておられました。

生活環境や食生活の改善、医療の進歩などによって平均寿命は大幅に延び、今後も延びるとみられます。齢を重ねても生き生きとされている姿にふれるのはなんもいいものです。

一方で、県の人口は減り続けています。きょうの朝のニュースで、鳥取県の先月1日時点の推計人口は55万5225人と、この1年間で4782人減少したと知りました。

昨年、ある方から、「子どもたちは一度出たら鳥取に帰ってこないんですよ。同じ仕事でも給与がかなり違いますから」と聞いたことがあります。

少子化に加えて、若い方が、進学就職で都市部にでて、そのまま帰ってこない例が多いということでしょう。私自身で考えてみてもUターンは想定していないことでしたから。

しかし、鳥取は素晴らしい星空と美しい海岸線、カニやイカをはじめとした海産物、各地に点在する温泉、人びとのあたたかさなどなど、いいところです。若い頃はあまり好きじゃなかったんですが…。住む住まないは別としても、鳥取に来てくれたり、関わってくれる方を増やすことはやっていきたいですね。

年賀状に、「鳥取に遊びに行きたい」と書いてくれた方に、まずは働きかけることからはじめてみましょうか。

区の新年会

同じ区のご近所さんと昨日は新年会でした。会場は岩井温泉の岩井屋さん。8代続く老舗の宿です。

目にも鮮やかな料理の数々で楽しいひとときでした。

婦人会活動で長年頑張ってきた方から、岩井の集落内で誰でもお茶やコーヒーを飲んで過ごせる場を作りたいとのお話がありました。そういう場所があるといいなと思っていましたので、「いいですねー。マスターでもなんでもやりますよ」と盛り上がったわけです。

あいさつする機会はあってもじっくり話せることはそうないので、こういう新年会がつづいているのはいいことだなと思います。

今年の楽しみもでき、有意義な集まりでした。