葬儀をつとめました

雪の舞う中、本日は葬儀がありました。
よくお参りいただくご門徒さんがいらっしゃったので、「ご親戚でしたか?」と尋ねると、「ご近所だが。おーいと叫んだら聞こえるような近さだから」とのこと。遺影の方を向かれて、「『よう来た、よう来た』っていってるが」と笑っておられました。

こういう関係性っていいなあと気持ちが和みました。

葬儀の形は時代とともに変わってきています。今や家族葬が流れです。二世代、三世代家族が少なくなり、故人がどのような関係性のなかで生きてこられたのか、よくわからないままに、別のところに住まわれている喪主さんが家族葬を選ばれる方も多いように思います。そうなってしまうと、ご近所さんであっても葬儀に参列することが出来なくなってしまいます。

お寺と地域の関係も薄くなっていますから、葬儀をどのようにするか、相談されることも少なくなっています。私自身は長く地域から離れていたので、私とみなさんの関係性の薄さも相まって、申し訳なく思うこともあります。

葬儀を一つのご縁として喪主さんとの関係を作っていくこと、お寺で待っているのではなく、こちらから出かけて、あいさつから始めていくことなどできることは様々ありそうです。それから、お寺でお通夜・葬儀をつとめることができますよというご案内と、それに耐えうるような準備を始めていきたいと考えているところです。

5月には、葬儀について、ご門徒さんにお話しする機会もあります。よく考えていきたいと思っています。

ユニバーサルデザイン

きょうは市内の浄宗寺で研修会がありました。盲学校の教諭をつとめる副住職さんが、ユニバーサルデザインについて話をされました。

できるだけ多くの方が利用可能なデザインをユニバーサルデザインというそうです。単語はよく耳にしていましたが、そういう意味だったのかと納得でした。一例として、プッシュボタン式の醤油さしをあげられました。押している間だけ出便利だなと思っていたのですが、量のコントロールができるので目の不自由な方にも使いやすいということです。相手の身になって、使う人の立場に立ってというのは商品開発をされている方もモチベーションがあがるかもしれませんね。

視覚障害者の方が使う音声でガイドしてくれるパソコン、マウス部分のないキーボードのみで操作できるパソコンをはじめ、知らないことがたくさんありました。

「視覚障害者もネットを通じて情報を集めています。ホームページ、SNSの活用を広げましょう」と副住職さん。

これはいっそう頑張らないとと思うのでした。

お陰さまです

きょうの午前中に7回忌の法要がありました。

当西法寺はご門徒のみなさんの尽力で約20年前に本堂を改修しました。その改修工事を毎日のように見学されていた方の7回忌だったのです。工事を見学されている最中に体調を崩されたとのことで、なんだか申し訳ないような気持ちで話をうかがいました。

いまは見えなくなった方の恩を陰の恩といい、お陰ということばとなり、さらにお陰さまというようになったそうです。

お寺というのは実にさまざまな方たちに支えられて、お陰によって歴史を刻んできているのだなあと改めて感じた1日でした。

節分ですね

きょうは節分ですね。スーパーに行くと恵方巻のコーナーに買い物客の姿が目立ちました。

お寺で豆まきするところもありますが、節分は中国の儀式に由来があり、仏教との直接的な関係はありません。

鬼は外、福は内というのもずいぶん自分勝手の気がします。

妙好人として知られる浅原才一さんは、自画像に鬼のツノを書かせました。みずからのなかに鬼–むさぼり・怒り・愚かさ–を見たのです。

鬼は内!ですね。

といいつつ恵方巻を買ってしまう私なのでした。

勉強、勉強

仏教婦人会の研修会に参加しました。ビギナーなので、相変わらず変な緊張をしながらの参加でしたが、学びの時間は楽しいです。

職業別の長生きランキング1位は僧侶であり、お経をあげることが体にいいらしい、という話題(組長サマ談)や、香川県の法事には必ずうどんが出るので、1日何軒もまわるとお坊さんの口からうどんが出そうになる(講師サマ談)など、雑学も増えましたが…
今日の学びの主題は、
「念仏者の生き方」と「私たちのちかい」について、でした。

講師は香川真二先生。私には、中央仏教学院の先生だ、という存在ですが、本願寺の総合研究所の方です。

「念仏者の生き方」は2016年10月に専如門主が発出した(お寺でも発出というか分かりませんが)ご親教、
そしてその2年後に、ご親教を凝縮してわかりよくした「私たちのちかい」が2018年に出ました。
阿弥陀さんの救いに出会えた人たちの生き方にふれた今回のような親教はいままで無かったそうです。

その内容を、午前・午後をかけて、ていねいに語っていただきました。

「私たちのちかい」は四カ条だが、要は3番目の
【自分だけを大事にすることなく、
人と喜びや悲しみを分かち合います
慈悲に満ちみちた仏さまのように】
という項なんだそうです。

「自他共に生きる」ことを、あらゆるものが関連し変化しながら在る、という仏教の世界観と、分け隔てなく注がれる仏さんの「慈悲」という教えをベースに学べました。

とったメモはノート11ページ分(!)ブログに書くのは読者への嫌がらせでしかない!
ということで、講義終わりに浮かんだ言葉を記します。

「『念仏者は、他者と共に生きるべく、リアル社会で勝負していこう』ってことやな」

家に帰って「研修はどうだった?」と住職が尋ねてきたので、
「『私たちのちかい』をお寺に張り出そうよ」と提案して、実践の最初の一歩としたいと思います。

梅が咲いてしまいました。気候変動へのアクションも、念仏者に問われることのひとつだろうなあ

1月も終わりです

昨日からの冷え込みで鳥取と兵庫の県境の蒲生峠も、わずかにですが雪景色です。

今日で1月も終わりです。大晦日の除夜の鐘、そして年が明けての元旦会(がんたんえ)、2日の修正会(しゅしょうえ)、あいさつまわり、年忌法要に葬儀、役員会と年頭からさまざまなことがありました。ブログもなんとか連日更新することができました。ウチにやってきてくれたネコのナモも一度病院に行って以降、元気に過ごしています。

ガサガサ音のするものが好きです

2月は閏年ですね。なんでもローマ時代から始まったそうです。地球は太陽の周りを365日かけて回っていますが、約6時間ほど実は足りない。そこで4年に1度、1日増やして調整しているのだそうです。時間を正確に知ろうとした先人たちの苦労がしのばれます。

ずいぶん前の話ですが、フリーターの方から「2月は嫌い」と言われたことがあります。なぜなら「働く日数が少なくなると給与がそれだけ減るから」とのこと。月給で生活していた私にはわからない苦労なのだなと思ったものです。意味は違いますが、「時は金なり」です。

「時は金なり」の本当の意味は、「時間を有意義に使おう」ということ。あっという間に過ぎていった1月を振り返りつつ、明日からの2月もボッとする時間は大切にしつつも、時を無駄にしないで過ごしたいなと思います。

50回忌に思うこと

冷たい雨が降りしきる1日でした。
今日は午前中に50回忌のお参りがありました。故人がお亡くなりになってから丸49年となりますので、法事をしていただくこと自体が尊いことです。

若い方もお見えでした。当然、50年前にご往生された曽祖父のことは知りません。もしかしたらご法事がなければお名前を知らないままに過ごしていたかもしれません。祖父・祖母までの記憶はあっても、それ以前については名前もよく知らないという方もいらっしゃると思います。

私につながるいのちを10代までさかのぼってみると1024人の方がいるそうです。単純な計算ですからその通りではならないかもしれませんが、そう考える無数のいのちに支えられて今の私がある、ということがわかります。

とにもかくにも、私のところまでいのちが巡ってきたことに深く感謝する日が50回忌ではないでしょうか。

無関心であってはならない

ポーランド南部のアウシュビッツ収容所跡地で27日行われた解放75周年記念式典で、生存者として証言を行った歴史家のマリアン・トゥルスキ氏のスピーチを読みました。同収容所ではナチスが110万人ものユダヤ人を虐殺しました。

Marian Turski(マリアン・トゥルスキ)氏のスピーチ – アウシュヴィッツ解放75周年式典より

「歴史に関わる嘘を見た時、無関心にならないでください。過去が現在の政治の材料へと曲げられている時、無関心にならないでください。少数派が差別されている時、無関心にならないでください。民主主義の本質は多数派が支配することですが、民主主義とは同時に少数派の権利が守られていなければならないということです。権力が既に存在する社会契約を侵そうとする時、無関心にならないでください。この戒めを守ってください。11番目の戒めです。「無関心であってはなりません」

「もし無関心であるならば、私たちの上に、私たちの子供の上にアウシュヴィッツが急に降ってくることに気が付きもしないでしょう」

十戒に「無関心であってはならない」を加えるべきとスピーチを結んだトゥルスキ氏。彼の指摘は、そのまま今の日本社会にも当てはまることだと思います。

確定申告に向けて

首都圏でも雪が降ったとのこと。数年前、東京にいた頃ですが、関東・甲信越で大雪が降り、出勤時には雪が川のように流れ、ずぶ濡れになって出勤したことがありました。

もう1月も下旬です。確定申告の時期が近づいてきました。
お寺(宗教法人)に対しては、所得税・法人税などはかかりません。もうけを目的としていないからです。営利事業をした場合は、課税の対象となります。

お寺から僧侶が給与を支給する場合は、もちろん税を納めなければなりません。

勤め人をしていた頃は、担当の方が年末調整で一手にしていただいていたので、ラクだったのですが、僧侶は自営業者ですので、個人で確定申告をする必要があります。昨年は見習い期間で扶養家族でしたから、今年初めて自分で確定申告することになりました。

インターネットでも申告できるようになっているので、便利といえば便利です。

所得税、住民税、健康保険料が確定申告によって確定します。課税所得が少なくなると住民税や健康保険料が減免されます。災害にあった方、医療費を多く支払った方、ふるさと納税や政党などに寄付金をした場合は確定申告をすると納め過ぎた税が戻ってくることがあります。

ちなみに、マイナンバーは記入しなくても受け付けてくれます。罰則もありません。

個人で申告するのは煩雑ではありますが、納める税金が一体何に使われるのか、興味も湧いてくる気がしますね。