過去帳3冊に記入する

早朝から2冊過去帳を記載し、その勢いで新調分も昼過から書き始めました。

過去帳のサイズはさまざまです。今日記したものは4寸、4.5寸、そして7寸でした。やはり大きいほうが書きやすいですね。

使っている墨液は、新・墨粋という木書用のものです。これがいちばん滲みにくいと個人的には思います。

筆は最も小さいタイプのもの。小さな過去帳には極細の筆ペンを使います。一発勝負で失敗できないので、慎重に、ゆっくりと。ですから、時間もかかりますし、けっこう肩も凝るんです。

いつもなら途中でダウンするところ、今日は集中力がつづき、午後4時過ぎまでに書き終えました。やればできるじゃないか!

年を重ねる

今日は朝から西法寺通信の郵送作業を少し。郵便局の窓口で託し、これで全ての作業が完了です。3か月に一度のことですが、終わるとほっと一息です。

その後は法事をお勤めしました。施主は現役の漁師さんです。いまは束の間の休みの期間です。渋い、太い声で読経されていました。昨日咲いた蓮をみなさんご覧になって帰って行かれました。

夕方、仕事を終えて、ネコの小径をくぐって古家へ。いつものようにシマちゃんが迎えてくれました。

私ごとですが今日でまた年を重ねました。また1年、ぼちぼちがんばります。

練習の成果は

午前中の四十九日のお勤めでのことです。開式前に故人さまから見るとひ孫さんにあたる小学生の姉妹が、お経本を開いて「正信念仏偈」の練習をしています。本番でも、声が耳に届きました。来週は学校行事で海水浴に出かけ、それが終わると夏休みに。どうか元気に過ごしてください。

ご家族から過去帳をお預かりし、21日朝に予定している納骨の際にお返しすることに。この間、お預かりした過去帳が計3冊に。一つは新調することになっています。そして、二つはお一人の記載となります。そのうち1冊は、宝永に始まる古い過去帳なのです。宝永というのは1704年から1711年まで。実に300年以上昔です。ご先祖さんの人数は30人を超えます。そこに新たにお一人、お名前と法名を記すことになりました。紙がずいぶん傷んでしまっているので、どこかのタイミングで新調しないといけなくなるでしょう。

さて、お寺の蓮は、今日、新たに1輪、開きました。7月下旬までは蓮の見頃は続きそうです。

午後3時。また翌朝に開きます

そうそう、昨日、米農家Yさんの田んぼでコウノトリを見ました。エサが豊富にあるのでしょう。盛んにクビを上下に動かしていました(Yさんの田んぼの周辺を歩いていると、わずかの時間でヘビを3匹見かけたことがあります)。農家の方たちが化学肥料を減らすなど努力され、そのおかげもあり、コウノトリが生息しやすくなっていると考えられています。「ようけ飛んでくるでー。ペットみたいなもんだが」と以前、Yさんは笑っていました。いい光景でした。

初めてのスイカ

昨日、百箇日のお勤めで網代へ。施主さんの娘さんが、今年はじめてスイカに挑戦し、無事に収穫できたとのことでごちそうになりました。

ご本人は、「甘さが足りない」と不本意なようすでしたが、来年が楽しみな1年目ではないかと。無農薬にもこだわっているそうです。「夏野菜がとれたら、ぜひ無料市に」とお願いしました。

今日の午前中は坊守にも手伝ってもらって西法寺通信の配達を30軒ほど。週末ということもあり、海岸を走る車も多めです。浦富海岸では水遊びを楽しむ方たちもいらっしゃいました。坊守も、「海に足をつけたら気持ちよさそう」と。

田後港

私の方は午後も配布の続き、知人から頼まれていた印刷物を届け、夕方は逮夜参りとつづきます。暑さが半端ないです。熱中症にならないよう水分補給を適切に!

寄り道

坊守です。

出張の帰路に途中下車して和歌山の実家に寄りました。新大阪駅の気温は明らかに東京より暑くて、乗り換えの短時間でも大仕事(大袈裟)でした。
玄関をあけて変わらず元気そうな両親の顔にホッ。
「おねえちゃん、コーヒー飲みなあ(なあ、は和歌山弁、ニュアンスはhow about some coffee?)」
の父からの声かけがあって、帰ってきたなあ、という実感。笑

ご飯をよばれて、お布団を敷いてもらって、甘えたい放題。
スマホの写真をパソコンに保存する方法を母からきかれて一緒に作業して、ついでに文書ファイルの削除や名前の変え方を伝えて(自分でやれるようになろう、というその意欲に乾杯)、一宿一飯の恩を少しだけ返し…たかな?

就寝前の日課はお寺のブログチェック。定年後に飼っていた犬のカボ君はすでに虹の橋を渡っており、我が家の猫たちがかわいいそうで、彼らが巻き起こす小さな事件のことも詳しく掌握している母なのでした。

庭のカシワバアジサイがいい具合に秋色に変化しています。本堂の阿弥陀さんへのお土産に大きな束にしました。
もうちょっと帰る機会をつくりたいです。

建碑法要へ

朝、我が古家の玄関先の蓮が咲きました。

甕から顔を出したツボミはいまのところ一つだけです。貴重な一輪になりました。

午前中、鳥取市内の因幡霊園へ。このほど町内からお墓を移されたご門徒さんがあり、本日は建碑(けんぴ)法要です。同じ区画にもう一つお墓がありました。次男さんの奥さんの実家のお墓もこちらにあわせて移されたそうです。

まわりの林からはウグイスが鳴いています。ご門徒さんに、「法を聞けよ、南無阿弥陀仏と鳴いてくれていると味わってみてください」とお伝えしました。

午後は網代の習字教室へ。その前後で西法寺通信を配りました。この夏の網代のお盆参りは14日の午前とともに12日の午後も予定をとりました。14日の午前中で回り切るのが厳しいことと、暑さ対策です。教室にきているご門徒さんは、「うちははやくてもいいで」とのこと。10軒ほどそうしていただけると大変助かります。網代のみなさま、よろしくお願いします。

東京に出張です

坊守です。
5時起きして(これは日常か)出張です。


県外は1年ぶりでしょうか。東京です。20年住んでいたところなので楽々…といいたいところですが、岩美や鳥取のことをインプットするにつれ、こちらの情報はぼろぼろと抜け落ちておるようです。目的地の山手線駅の名前をみても、乗ればいいのは外まわりなのか内まわりなのかがさっぱり思い出せません。
東京に着いたとたん、たちまち猫と住職の家に帰りたくなりましたが、様々な人種と大きなトランクが行き交うコンコースの雑踏を、すいっすいっと歩くすべは身体が覚えており、そのせいか、「さ、仕事しよ」とスイッチが入りました。2日間、全国の新入職員向け研修で司会の任務をおおせつかりました。去年も担当して「シナリオ見てなかったじゃん」ということで、台本は作ってもらえていません。笑

正午の気温は33℃、コンクリートをなめた空気が、熱い。海外の皆さんがホントに増えましたね。岩井温泉という奥地から来た私もおんなじようなもんですね。気をつけていってきます。

今年の蓮はもうひと花

朝からひきつづいて西法寺通信の郵送や手渡しの準備、あすの建碑(けんぴ)法要の準備、銀行に行ったり、会計実務をしたり。あっという間にお昼です。

7つ目の蓮。散る間際です。

境内で咲く蓮は最初に開花した7つにつづいて、この数日で新たに花芽をのばしているもの含めさらに7つが咲きそうです。

これはいちばんのおチビちゃん。一昨日に水面から顔をだしました。

この小さなつぼみがぐんぐん伸びて大きくなり、いよいよ開花するのは7月下旬でしょうか。蓮の見頃はまだまだつづきます。いま大きなつぼみになっているものは数日で咲くことでしょう。

日々の暑さにうんざりですが、境内の蓮をながめているとひととき暑さを忘れますねー。

シュミレーションする

来月のお盆参りの訪問時間のシュミレーションと西法寺通信の郵送・配達を同時進行ですすめています。この夏も、私、坊守、おじさん、京都からの助っ人Uくんで回る予定です。期間は8/9から15まで。

この夏も初盆が多く、それをどこの時間に組み込むのか、このスケジュールには無理がないのかなどなど、けっこう頭を使う作業です。

また暑さも大敵です。そこでこの夏は網代と田後にかぎって、従来の日程とともに別の日も加えてみなさんに提案することに決めました。こちらの方はあさってをメドに案内できそうです。

昨年一部で好評だったペットの写真撮影を今年もやっていこうと思います。また、小さなお子さんたちにさしあげるプレゼントも考えてみたいなと。

厳しい暑さ、足の痺れと格闘する期間になりそうですが、なるべく楽しくを心がけます。

夕方、やまあいの集落に通信を配りました。畑に咲くひまわりがきれいでした。

銀山のひまわり畑
ご門徒さん宅の子猫

排外主義に抗することができるのか

20日投票日に向けて参議院選挙が闘われています。

ついにというのか、ヨーロッパ各国やアメリカで台頭している排外主義の流れが日本でも幅を利かせそうな状況になっています。世論調査で支持を伸ばしている参政党がそれです。

彼らの言説を検証し、批判する大手メディアもなく、虚偽も交えた言論がネットや動画を通じて垂れ流されている状況です。

彼らのいう「日本人ファースト」「日本を壊すな」といったセンテンスがなぜ受けるのか。昨日、東京の方からこういう話を聞いて考えさせられました。

「電車に中国人の女性と、娘さん、おばあちゃんの3人が乗ってきて、女性が英語で箱根湯本にどうやっていくのかを何人かに聞いていたが、みな知らんぷり。それで自分から話しかけ、少しは通じたけど、女子高校生が助けてくれ、最終的には娘さんが持っていたタブレットの翻訳機能で解決できた。周辺の人たちの感じがなんとなく冷たくて、今の流れを感じた」

地方ではまだ、あまり感じないことですが、こういう気分が広がっているのでしょう。

自分たちの不満のはけ口を、外国人を排斥に求めることで支持を伸ばす政治家が地方選挙でも目につきます。しかし、排外主義は結局、国民に矛先が向くというのが日本の歴史でした。

本願寺派は戦前、国策に逆らえず、排外主義を突き進んだ痛苦の歴史を持っています。1895年には、中国、朝鮮について、「残忍酷薄にして、貪欲のみこれふけり」などと蔑視する立場を鮮明にしました。

排外主義は、「正義の戦争」へと。戦争に反対することは事実上不可能となり、アジアの人びと、そして日本国民に大被害を与えました。「君国に殉ぜんは誠に義勇の極み」というのが戦争中の本願寺のスタンスだったのです。

日本の社会、政治は、本願寺派をはじめとする伝統教団は、私たち有権者は、排外主義に抗することができるのでしょうか。それともいつかきた道を戦後80年を迎えたこの夏、再び歩き始めるのでしょうか。

1票の意味が問われていると感じます。