20日投票日に向けて参議院選挙が闘われています。
ついにというのか、ヨーロッパ各国やアメリカで台頭している排外主義の流れが日本でも幅を利かせそうな状況になっています。世論調査で支持を伸ばしている参政党がそれです。
彼らの言説を検証し、批判する大手メディアもなく、虚偽も交えた言論がネットや動画を通じて垂れ流されている状況です。
彼らのいう「日本人ファースト」「日本を壊すな」といったセンテンスがなぜ受けるのか。昨日、東京の方からこういう話を聞いて考えさせられました。
「電車に中国人の女性と、娘さん、おばあちゃんの3人が乗ってきて、女性が英語で箱根湯本にどうやっていくのかを何人かに聞いていたが、みな知らんぷり。それで自分から話しかけ、少しは通じたけど、女子高校生が助けてくれ、最終的には娘さんが持っていたタブレットの翻訳機能で解決できた。周辺の人たちの感じがなんとなく冷たくて、今の流れを感じた」
地方ではまだ、あまり感じないことですが、こういう気分が広がっているのでしょう。
自分たちの不満のはけ口を、外国人を排斥に求めることで支持を伸ばす政治家が地方選挙でも目につきます。しかし、排外主義は結局、国民に矛先が向くというのが日本の歴史でした。
本願寺派は戦前、国策に逆らえず、排外主義を突き進んだ痛苦の歴史を持っています。1895年には、中国、朝鮮について、「残忍酷薄にして、貪欲のみこれふけり」などと蔑視する立場を鮮明にしました。
排外主義は、「正義の戦争」へと。戦争に反対することは事実上不可能となり、アジアの人びと、そして日本国民に大被害を与えました。「君国に殉ぜんは誠に義勇の極み」というのが戦争中の本願寺のスタンスだったのです。
日本の社会、政治は、本願寺派をはじめとする伝統教団は、私たち有権者は、排外主義に抗することができるのでしょうか。それともいつかきた道を戦後80年を迎えたこの夏、再び歩き始めるのでしょうか。
1票の意味が問われていると感じます。