暑さ寒さも彼岸まで?

午前中、臨終勤行へ。ご主人から思い出話をたくさん聞かせていただきました。「感謝しかない」との言葉、ご往生された奥さんには届いたでしょうか。昼間は明日の準備、通夜でお話しすること、法名の検討です。お経を読んで思案して、「これでいこう」と決めました。夕方は百箇日のお勤めへ。せっかくの機会なので、お仏壇の飾り方についても少し説明も。


明日は、鳥取因幡組の法要です。参拝された西法寺のご門徒さんに進呈する記念品をセットしました。私は法要に出勤もしますが、あとの時間はスタッフです。朝から夕方まで長い1日になりそうです。滅多にない法要です。お参りされたみなさんにとって良い時間になりますよう。
ちょっとした楽しみも。昼食は、ふれあい会館内の「カフェ森の香り」でカレーです。「牛すじか茄子とひき肉のカレー、どちらかを選んでください」とお店から。どっちにしましょうか。法要前なので、ご飯は少なめにします。

22日は午後、本堂での葬儀と納骨、夕方がお通夜。
23日は午前中、法事。午後は葬儀となります。

今日から秋のお彼岸です。境内のお墓にもお参りされる方の姿がありました。彼岸の入りの今日は30度と蒸し暑かったですが、明日は24度予想です。暑さ寒さも彼岸までとなるのでしょうか。

倶(とも)に会う

朝から石材店さんが墓じまいをしたご遺骨を持ってこられました。先日、墓前でお墓じまいのお勤めをしました。お墓から取り出したご先祖さん方のご遺骨です。これからはお寺の納骨堂がお墓になります。ご家族に本日、お預かりしたことを伝えする葉書を書き、投函しました。今月と来月、一件ずつ納骨堂を利用していただく予定があります。

倶会一処(くえいっしょ)と読みます。倶(とも)に一つの処(ところ)で会いましょう。阿弥陀経にあることばです。

納骨を終え、「お菓子とわ」さんにうかがって日曜の法要の参拝記念生姜せんべいを購入。店頭に「心のコンサート」のチラシを置いていただきました。彼岸の法事でお参りしていただくご門徒さんがせんべいを買いにこられたそうです。

あすから雨の日がつづくようです。合間をぬって岩井と周辺集落にチラシを配り歩きたいと思います。

一期一会

お寺のコンサートのチラシを配り始めたところですが、よく来ていただいているSさんに渡したところ、「山名さんに伝えないといけないことがあってね」と。ひと月ほど前、25回忌の法事でお参りされた方の中にSさんの親友がいらっしゃったそうです。普段は大阪の方で生活されているそうですが、その日の夜は、Sさんの家で夜中まで語りあれたのだとか。その時に、西法寺の話題になって、友人の方が、「『お寺で色々イベントをされたりしていて。お寺の通信ももらってきたの。話もよかった』といってたよ」と。Sさんに、「それはありがとうございます。慢心せずつとめます」とお礼を申し上げました。実は法事の日は昼まで市内の盆参りで慌ただしかったので、正直、何をお話ししたのかも思い出せません…。

以下の話は、『くらしの仏教語 豆辞典』を参考に記しています。

「一期一会」という言葉があります。「一期」は生まれてから死ぬまでの一生、「一会」は一つの宗教的なつどいのこと。「一期」も「一会」も仏教の言葉ですが、「一期一会」という成句は仏典には存在しないそうです。

「一期一会」は千利休の弟子・山上宗二の著にある「一期に一度の会」から生まれた言葉です。その言葉を、幕末の大老・井伊直弼が著の中で茶の湯の心として述べています。「一生にたった一度の出会いだから、主人も客も万事に心を配り、実意をもって交わりなさい」

法事でお会いすることが生涯の中で一度の出会いという方がもしかしたあるのかもしれない、だからその時、自分にできることをさせてもらわないといけないな、と。Sさんの話からそんな発見をしたのでした。でも、Sさんのご友人とはまた、なんらかの形でお会いすることもあるようにも思います。その際はお声かけください。

お寺の会費のお願いで

秋彼岸法要を終え、次は21日の法要が節目です。
9月は、町内にお住まいのご門徒さんにお寺の会費のお願いをする月でもあります。世話役さんを通じて納めていただいているのですが、今日はその段取りで、山あいから町中、そして港近くに住む世話役さんのところを回ってきました。農村は稲刈りのシーズン、漁村は底曳漁の真っ最中です。

西法寺は、もともと山あいの銀山集落にあったと伝えられます。豊臣秀吉が銀山開発を進め、最盛期には年間1300キロもの銀を産出したそうです。家屋が800軒、寺院が10もあり、そのうちの1つが西法寺でした。ある御門徒さんが以前、「創建当初の西法寺を、銀山の檀家が支えていたと、歴史好きだった父親から聞いたことがありますで」と教えていただいたことがあります。

海岸部の集落は、漁場を求めて定住するようになった数家族からはじまったというのが縁起のようです。もともと浄土真宗のご門徒さん方で、西法寺の檀家になられたのだとか。

戦乱の世が終わり、農漁業に従事できるようになり、17世紀に人口が急増し、家から亡くなられた方たちをご先祖として大切に敬いたいという気持ちが芽生え、江戸時代の初期にお寺は大きく数を増やしました。

お寺にはそれぞれの歴史があります。以前、戦国武将と同じ苗字をお持ちのご住職さんに、「もしかして関係が?」とうかがったことがあります。すると、その武将にお寺の境内を宿営地として提供したことから、同じ苗字を名乗ることを許されたのだとか。「へえー」という話です。住職さんというのは、話好きなので、歴史秘話が聞けるかもしれませんよ。多少の長話になるのはご愛嬌で。

秋彼岸法要をおつとめしました

こよみの上ではまだ彼岸ではありませんが、西法寺では毎年、9月16日の午前中が秋の彼岸法要です。朝から本当に蒸し暑くなりました。そんな中、お参りいただいて感謝です。

法話のご講師さんは、島根県邑智郡美郷町からお越しいただきました。私は島根県は出雲から西は行ったことがありません。講師さんは同い年でした。お父さんと、うちの前住職も同年齢だったようです。


ご講師さんは、「経教はこれを喩(たと)うるに鏡のごとし」との言葉を引用されました。中国の僧・善導大師が書に記した言葉です。大意は、「経に説かれた仏さま教の教えというのは、私たちの心を映し出す鏡のようなものだ」。「ああそうだよなあ」と私は聞いていたのですが、漢文で書かれた経典からそのように受け取るのは容易ではないとも。それで思い出したことが。ある時、法事の後、お参りされた御門徒さんが、「お経の言葉はよくわからないんですが、あなたを助けますと書いてあると受け取ったらいいですか?」と。なるほどと感心しつつ、「そうですね。そういうことですよね」とお答えしたことがあります。

仏の教えとは、隠されていた心のうち、内面を映し出す鏡であり、あなたがどんな内面を抱えていても、必ず救いますよと照らしてくれる鏡でもあるのでしょう。

「たとえ、どんなあなたでも助けるぞ」と心の底からいってくれる人が身近にいたら、自身を見つめ直し、生きていけるのではないでしょうか。仏さまの教え、救済というのも、そういうことじゃないのか、それだったら現代で苦悩を抱えて生きる人たちにも届くのかな、そういう鏡をもっていれば、内面にも何か違った心が芽生えてくるのでは? などと考えさせられた秋の彼岸法要でした。


「お菓子 とわ」さん、地元紙で紹介される

明日は秋の彼岸法要です。昼からひと通りの準備を終え、お菓子を求めて「お菓子 とわ」さんへ。

今日はお客さんが多かったそうです。「地元紙に掲載されたんです」とお母さんが紙面を持ってこられました。

https://www.nnn.co.jp/articles/-/605231

紙面では店主さんの写真がドーンと大きく。記者の方がたまたま岩井温泉にこられたとき、新しいお店がオープンしていることを知り、取材されたそうです。

21日に予定されている親鸞聖人のご誕生850年を記念する法要のお土産に生姜せんべいを用意していただくことになっています。お参りされる方にもこの記事を紹介して、私もPRにひと役買いたいと思います。

新米をいただきました

コメを作っているご門徒さんから、新米60キロをいただきました。「食料無料市に」ということです。

コメの価格は近所のスーパーでは税込で5キロ税込4500円前後ですから、約5万4000円に相当する寄付をいただいたということになります。年末に予定されている次回の無料市でありがたく使わせていただきます。

町内でも稲刈りのシーズンを迎え、今日もコンバインが稼働しているようすを見かけました。

政府はこの2年間でコメが60万トン足りなかったことが昨年来の米価高騰の原因であることを認めました。60万トンと言われてもピンとこないのですが、コメの収穫量の第一位は新潟県で約62万トンなのだそうです。鳥取県の収穫量は約6万トンです。

お茶碗一膳あたりのコメは約65gです。60万トンは6000億g。国民一人当たりにすると約80杯分足りなかったことになります。1日2回コメを食べるとして40日分にも。我が家も昨年はコメのない時期がしばらくありました。

町内のコメ農家Yさんはよく、「住職さん、5年後には作る人がおらんようになりますで」といわれます。生産者の大半が70歳以上なのですから、増産は簡単ではないでしょう。米づくりに挑戦してくれる方たちをどのように確保するのか。過疎・雇用・食料・温暖化対策と多岐に渡った重要な政策課題なのではと思います。自民党の総裁選挙では話題になるのでしょうか? 野党はどういう政策を提示するのでしょうか?

墓じまいから納骨へ

午後、町内の墓地でお墓じまいのお勤め、その後、ご遺骨を取り出し、お寺で納骨法要を行いました。ごきょうだいがお見えになりました。お二人とも県外で生活をされています。これまでお墓のお守(も)りをされていた親せきの方もお見えになり、一緒に手をあわせました。その後、遺骨を取り出し、お寺に移動しての納骨法要です。「みんな岩美町出身なので、ここに入れてもらえてよかったです。お墓のことが気がかりだったので、今日はホッとしました」。10数年前、親せきの法事でお寺にお参りされた記憶も蘇った様子でした。

西法寺の納骨堂の正面には「倶会一処」との文字が刻まれています。一つの処(ところ)で倶(とも)に会う、という意味です。この世との縁が尽きた時に、阿弥陀仏の働きにより仏となり、先立たれた懐かしい人びとと再びあいまみえる、という意味です。仏とならせていただく大切ないのちを与えられ、私たちは生かされている。いのちある限り精一杯、生きていこうという意味としても、この言葉を受け止めています。

墓じまいを担当した業者さんによると、「毎日のようにお墓じまいの仕事が入っています」とのこと。20年ほど前に手がけたあるお寺の納骨堂は40家族ほどが収納できるものだったそうです。「当時の予想をはるかにこえてお墓じまいが進んでいますね」「先日、鳥取から関西の方にお墓を運びました。お墓を荒らすことはしたくない、なんとかしたいという気持ちは、若い人の方が強いと思います」。そうかもしれません。今日、納骨していただいたごきょうだいも40代でした。

「今度、家族でお参りさせてもらいます」と帰っていかれました。そのときはぜひお声かけください。遠路ありがとうございました。

エネルギー貧困

坊守です。今夜は車のエアコンをオフにして走りましたが、何ヶ月ぶりでしょう。今年も温暖化を痛感する長い夏が続いています。気候危機の問題には、もともと関心はありましたが、今は、身に迫る脅威に感じています。
昨夜、再生可能エネルギーの普及にとりくんでいる方から「きっと、あなたも興味深く聴けると思う学習会があるわよ」と、勉強会の傍聴にお誘いいただきました。
テーマは、「エネルギー貧困」。初めて触れた概念ですが、確かに興味がわいたので、お邪魔しました。
WEBをつなぐと開催会場は北海道です。若手の研究者が多くて、新鮮でした。

エネルギー貧困とは、生活に必要な冷暖房、照明、調理、給湯などを、経済的な理由で十分に利用できない状態を指します。家計の光熱費支出が所得の10%を超える世帯が「エネルギー貧困」と定義されるとのこと。
岩美の冬の暮らしを振り返ると、該当する世帯は多いんじゃないかと考え考え聴いていました。また、電気代を節約するために冷房を使わず熱中症になった方が救急車で運ばれてきたり、冬場にお家を訪問すると、暖房を使わず布団に入っている、といった話は現場では珍しい話ではありません。
イギリスの研究者が1991年から提唱していたそうですが、日本ではあまり知られていないことも知りました。エネルギーが必要な人に必要なだけ行き渡るかどうかは、人権に関わることだと思いました。

法要の参拝記念品

9月21日に予定されている法要の参拝記念品が届きました。ふたつきのタンブラー、飲み物を入れる容器です。お茶やコーヒーを飲まれる際に使っていただければ。恥ずかしくない方は、持ち歩いてください。私は持ち歩きます😆

字が潰れてしまわないかと不安でしたが、きちんと読めました。ひと安心です。

もう一つ、岩井の「お菓子とわ」さんのしょうがせんべいもセットにして進呈いたします。お参りされるみなさん、どうかお受け取りください。

タンブラーは50個つくりました。このままだと2割ほど余りそうです。引き続き参拝の申し込みもよろしくお願いします。