町内のお盆参りはじまる

今日から町内のお盆参りです。午前中は田後集落のご門徒さん宅9軒にうかがいました。田後は15日朝の予定ですが、「11日でも構いませんよ」というお宅は今日にさせていただきました。ご近所の家ばかり、9軒を約2時間で回りました。通常のお盆参りに比べると、ゆっくりとしたペースです。これぐらい時間をとれば御門徒さんと世間話もできますし、相談事があれば聞くこともできます。

夜勤帰りで実家を開けてくれたAくんは同級生です。一人暮らしのお母さんは施設で生活を送られるようになりました。よくお寺にもお参りしてくださったお母さん。施設に方で元気に過ごされているとのことでした。

ご夫婦で暮らしているBさんのところは、ご主人は不在。デイケアの日でした。奥さんが、「三度、三度のご飯を食べて、主人は『ありがとう、ありがとう』というですだが。『日本一の奥さん』といってくれて。そういわれると世話するのも苦になりません」と笑っておられました。

数年前、おばあちゃんといっしょに報恩講にお参りしてくれたCくん。おじいちゃん、おばあちゃんの家に泊まりにきていて、久しぶりに会いました。小学校高学年となって身長もぐんと伸びたようです。仏前にいっしょに座って手をあわせました。

あまりにも駆け足のお盆参りにならないよう、今日のことも踏まえて考えていきたいと思いました。

午後は新井(にい)→山あいの銀山へ。坊守には長谷(ながたに)を回ってもらいました。行く先々でネコ&ワンちゃんに会いましたので、紹介します。

さくら(16才)
クロネコのクロ。うちのター坊ではありません。
生後1ヶ月ほどの赤ちゃん
チワワのモコちゃん。かわいい!

市内のお盆参り2日目

朝から雨の1日となりました。日中は予報ほどは激しい雨にならず、鳥取市内のお盆参りを終えることができました。毎日、ブログを読んでくださっているご門徒さんから、「昨日は10軒まわられたんですね。大変ですね」とねぎらっていただきました。

ギボウシの鉢を置いているご門徒さんは、「今日、1つ目が咲きました」。なんでも家の周辺に100個ほど鉢があるそうです。最初の1株からそこまで増やしたというのですから、熱が入っています。

若い方たちとお会いできるのも盆参りのいいところです。大学院生さん、小中学生、そして保育園の子たち。小学生は素直で、経本を渡すと声を出して読んでくれます。

初盆のお宅にうかがうと、みなさん礼服で着座して待っておられて恐縮しました。20分ほどの短いお勤めですが、初盆のご家族のために用意した法話原稿を読みあげて終了です。

明日は午前中、田後集落を9軒、午後は山あいの銀山集落へ出かけてきます。

ご門徒さん宅のペットたち

ハクちゃん
デグー(名前は聞き忘れました!)

市内の盆参り初日

お盆参りは今日から本番です。午前中を中心に鳥取市内を10軒まわり、お寺にかえって1家族、お盆のおつとめ、夕方には25回忌の法事です。

お孫さんがいっしょに読経してくれる家があったり、ワンちゃんに大歓迎されたり。ご門徒さんの生活のようすにもふれることができ、慌ただしい中にも貴重なひと時です。もっと時間がとれればなおいいのですが。「念仏はたくさん称えた方がいいですか?」との質問も。「回数に決まりはありませんが、手をあわせるときにはぜひ称えてください」とお伝えしました。

あしたは強い雨予報がでています。足もとにきをつけて回りたいと思います。

マロンちゃん

この夏もやりますよ! 我が家のペット

お盆参り本番は明日からですが、きょうはウォーミングアップ(?)で市内のNさん宅へ。お勤めの後はネコの話題です。

Nさん宅にはソルトくんとタピちゃんという2匹の保護ネコがいます。ソルトくんは人懐っこくて、スリスリしてお出迎えしてくれました。いいこだねぇ。

もう1匹のタピちゃんは警戒していたので写真はまたの機会に。

明日はワン&ニャンちゃんに出会えるはず。ということで、この夏も、ご門徒さんのかわいいペットたちをなるべく紹介していきたいと思います。

盆参りスタート

今日から盆参りです。初日はお寺から約1時間、倉吉市内のご門徒さん宅へ。海岸線を走り、ちょっとした旅行気分です。今日は一軒だけですから、読経の後、お茶をいただきながらいくつか相談事も。

帰りは海が一望できるウェーブさんで昼食です。本当に絶景なのです。鳥取に来られる機会があれば、ぜひ。

親鸞聖人は本願海、宝海、難度海などなど、海ということばをたくさん使われました。聖人が見た北陸の海と山陰の海は違いがあるかもしれませんが、今日のように穏やかな日も、荒々しい海もご覧になったのでしょうか。

盆参りはあさってからが本番です。暑さに気をつけてお勤めしたいと思います。

ヒロシマの有る国で

広島への原爆投下から80年目の8月6日午前8時15分、平和の鐘を打ちました。

「ヒロシマの有る国で 
 しなければならないことは
ともるいくさの火種を消すことだろう」
    シンガーソングライター・きたがわてつ『ヒロシマの有る国で』より

10代の頃、訪れた原爆資料館。その時受けた衝撃を今も忘れることができません。
核兵器も、戦争もない未来を、あきらめないで追い続けましょう。

葬儀をおつとめして

たくさんの方が別れを惜しみ、焼香のさい、涙されました。その嗚咽が読経する私の耳にも届きました。

霊場で荼毘にふす前、気丈に振る舞っていた息子さんが涙していました。お姉さんがそっとハンカチを渡していました。舅(しゅうと)さんは「ありがとう、ありがとう」。ご主人は涙、涙でした。

蓮如上人は、「老少不定のさかい」とお手紙に記されています。いつ誰が先に亡くなるのかわからないということです。現代においては、お年寄りから亡くなることが普通なのかもしれません。しかし、時としてそうならないこともあるのです。そして、悲しみはそれだけ大きくなるのです。

家事に、子育てに、そして仕事にと全力投球された日々。ご主人に「楽しかった。子どもたちをよろしく」との言葉を遺されたそうです。

「人は去っても その人の微笑みは去らない」
「人は去っても その人の言葉は去らない」
「人は去っても 拝む掌の中に帰ってくる」

尊く生き抜かれた故人さまを想い、合掌しました。

ナモの日記(2025年8月)

ナモです。

まいにちあっついですね。アタイはほとんど、おげんかんにいます。「そんなとこにいないで、えやこんのおへやにきなさい」と、よばれるけど、おげんかんでは、おうちのけいびもできるからいいのよ。

くろねこのノノは、しばらくいなくなって、またもどってきました。びよいんのにおいをぷんぷんさせて、せなかにちゅーぶをつけておすわりしているじかんが、まいにちあるの。おいたんもおばたんも、だいじにしているので、アタイもノノをたたくのはやめました。

ノノちゃんです

ノノは、びょうきでごはんがたべられなくなったあいだに、ぺったんこになったおなかはもどりませんが、まあまあげんきだとおもいます。
おやつがはいったカンをすりすりして「これたべたいよ」と、おばたんにたのんだり、おきにいりのカリカリをむしゃむしゃしたりできます。おいたんのおおきないすでひるねして、よなかにタリとクウが、オトナをおこしにいくときにも、ついていきます(アタイはねています)。

おもいびょうきだそうだけど、アタイたちなかまといっしょにすごしていると、げんきがでるのかもしれません。
とくにクウは、えんりょもれいぎもしらないこねこなので、たべものをよこどりしようとします。そのせいで、ノノもまけずにたべるちからがでているのかもしれないわね。

クウは、いろんないたずらをします。おもちゃのおさかなを、ばらばらにこわしたり、おやさいのかごにはいっていたジャガイモをつつきころがしてあそびます。かいだんをつかわずに、にかいからてーぶるにとびおりるようにもなって、ドンっとすごいおとがします。

ジャガイモを転がしてサッカー

アタイは、てーぶるから、にかいにとびあがることはできるけど、かっこよくじゃんぷして、おとをたてることはありません。

ター坊お気に入りの椅子

きみょー むりょー

午前中、13回忌の法事がありました。施主さんご夫婦と娘さんとお孫さんがお参りさてたのですが、今年4歳になるお孫さんが、「きみょーむりょー」「しんらんさん」と、かわいい声でしゃべっています。「きみょーむりょー」(帰命無量)とは『正信念仏偈』の出だしです。おじいさん、おばあさんが仏間で手をあわせるとき、横で見ていて覚えてしまったそうなのです。法事の終わりにはちゃんと手をあわせていました。読経中も、ご本人は読んでいるつもりで、ずっと何か発声していたのです。お孫さんは今日が初めてのお寺参りのようでした。法事が終わって、「お休み処」で家族、親せきの方と一緒に生姜せんべいを口にしたようです。おいしかったかな? 

「お休み処」の案内を出して以降、お茶を飲んで帰られる方が増えてきました。せんべいもなくなったので、昨日の夕方、「お菓子 とわ」さんへ。すると、「ついさっき、西法寺さんの法事がえりという方がせんべいを買っていかれましたよ。ありがたいです」と店主さんに感謝されました。店頭にはどら焼きをはじめ和菓子も何種類か。着々と品揃えを増やしているようです。

お菓子をお出しすることとあわせて、集会室に小さな冷蔵庫を置きました。お茶を冷やしてあります。法事の前後で、時間のある方はぜひご利用ください。

食料無料市をひらきました

坊守です。
先日から住職がアナウンスしていた夏の食料無料市でした。今回12回目で、会場は我々がコロナ禍で最初の会場にさせていただいた市営住宅でした。


自治会が10年以上前に解散した団地で、開催の相談相手になってくれたのは、住民の有志でつくったグループ。その会長になかなか会えなくて、仕事終わりの夜に訪問してようやく会え、「やってください」というひと声でこの取り組みが具体化したなあ、と、思い返しました。そんな気分で久しぶりの集会室に足を踏み入れたら、その会長さんから「生きとったかあ!?」と声がかかりました。握手で再会。
ここは、その後、生協病院のスタッフたちが定点で担当することになったので、私はこちらに来る機会が減っていたのでした。

この場では、来場者の間でも顔見知りが増えたようです。そのため「今回、いつも来ておられるおばあちゃんが居ない」と、住人から情報が寄せられました。


「すぐ、その方の部屋に行こう」と、気づいた方に同行していただき、研修医とともに訪問。前日、買い物に出たら、熱中症になって寝込んでいたのだというのです。診てもらって大丈夫と分かってホッ。それにしても、90手前のお年寄りの住まいが、エレベーターのない4階…というのは、どうでしょう。公営住宅だからこそ、住民の年齢や障害に合わせた環境の提供ができないでしょうか。住まいは実は立派な権利(基本的人権のひとつ。日本では認識がうすいですが、そうなんです)ですから、研究の余地はあると思います。
そんな場面もありながら、もっていった80セット、おおかたお配りすることができました。門徒さんや葬儀会社の有志が届けてくださった雑貨類も喜ばれたようです。長谷産のジャガイモもとても立派で、スタッフからも歓声があがったほどでした。

お届けにまわったチームあわせて200世帯ぶん準備しました。なかには「久しぶりに米が食べられる」と、おっしゃった方もあったそう。猛暑は簡単に変えることはできませんが、物価高のような人災には、連帯で対抗していきたいと思いました。
皆さんのご協力に感謝します。