ひきつづき療養中です

今日は滅多にみない夕方のNHKの情報番組を視聴。元沖縄県知事太田昌秀さんのインタビュー番組、終戦時の総理大臣鈴木貫太郎さんの孫娘・道子さんへのインタビューなど、戦後80年の夏らしい内容もあり、見入ってしまいました。「基地のない平和な沖縄」(太田昌秀さん)、「永遠の平和、永遠の平和」(鈴木貫太郎さん)。お二人の言葉が胸にきました。鈴木貫太郎さんについて私が知っているのは二・二六事件で銃撃されたこと、太平洋戦争末期の総理大臣で、ポツダム宣言を受諾したということぐらいです。孫娘の道子さんによる著書もあるとのことで、さっそく注文しました。

さて、コロナを発症し一週間が経ちました。

熱がほぼ5日間つづきました。15日夜は37.6℃ほどで、盆参り疲れ?と思っていましたが、16日には38℃以上に。簡易キッドで陽性判定。17日に生協病院でコロナ陽性反応。解熱して効き目が切れてまた上がるを繰り返しました。ここ2日間は平熱で推移しています。

熱以外の症状は、痰やセキ、関節の痛み、身体のだるさがありました。夜中にセキがでて、あまり眠れなかった日もありました。

明日から通常の生活に戻る予定です。来週月曜のなもなもサロンは休会とさせていただきました。発症から10日程度は感染予防対策を徹底しないといけません。気を付けて過ごすようにします。

住職は平熱に

坊守です。
定時の17時ダッシュで帰宅し、鯖を焼いています。住職の食べたいものを入手するために、スーパーに寄ったので、夕飯は18時半です。
コロナ患者の住職は、今日ようやく平熱で過ごせました。
金曜夜に発熱してから6日目38℃以上の発熱が3日から5日程度続く、という情報通りに推移していますね。
ちなみに、コロナの感染が分かったら、何日ほどの療養が適当か、この機会に確認してみましょう。法的な制限は解除されましたが、推奨されている休養ガイドラインです。インフルエンザも同じです。

◾️休養期間の目安(症状がある場合)
発症日(具合が悪くなった日)を0日目として、5日間※は外出を控える
※注)5日以上症状が続く場合は、熱が下がり、咳や喉の痛みなどが軽快してから24時間ほどは外出を控える。
例:8月15日に発症 → 8月20日まで外出を控える → 症状が軽快していれば8月21日から復帰OK

◾️周りへの配慮として
ウイルスは感染して10日程度排出されている可能性があるそうです。元気が戻ってもマスクや手洗いなどの感染対策は、周囲への配慮として必要ですね。

さて、夕飯も食べ終えました。お皿の片付けを後回しで、住職のかわりにブログを書いていたら、お皿を食いしん坊のクウが舐めました。私のおかずはダッカルビ(韓国の辛〜い炒め物!)子猫には刺激が強過ぎて、舌を所在なげに出したり引っ込めたりしているので、ヨーグルトをやって慰めました。
住職、週末には復帰できるかな。

ノノちゃん受診する

坊守です。
療養中の住職は、最高気温、じゃなかった、最高体温38.6度をお昼にたたき出し、頓服を1回飲みました。咳や鼻水はほとんど出なくなったそうですが、コロナはあなどりがたし、を体験中です。(そして坊守は、看病するも、感染していません)

もうひとり、療養中の黒猫ノノ君ですが、病院の日でした。皮下点滴を続けてひと月、よく食べよく出し、目を輝かせておやつに飛びつく様子が見られるようになりました。一度悪化すれば回復の見込みはない腎不全のターミナルなので、今回の検査結果に現実をつきつけられる覚悟はしたのですが…いくつかの検査値を総合すると、体内から毒素や老廃物が排出されて、だいぶ楽になっていることが分かりました。最も深刻だった数値が半減した変化には、主治医も驚いていました。


サプリメントや腎臓病向けの餌を試すこと、毎日の点滴を隔日にして様子を見ること、腎不全につきものの貧血を改善する治療など、このタイミングで小康状態を続けるケアに打って出ることになりました。
今朝も2階に寝ている私を、元気な声で起こしにきたノノ君、夏が過ぎて秋がきてもこのまま、次の冬は暖かいストーブを囲む輪の中に、居てほしいと思います。

表情もいいでしょ

コロナ療養中

お盆休み明けの今日。私は1日、布団の中です。今回の新型コロナ「ニンバス」は強いノドの痛みを伴うといわれていますが、幸いなことに痛みはありません。症状としては熱、せき、鼻水、身体のダルさが主です。

熱は16日の39.4℃が最高で、少しずつ下がってきているようです。今日は昼前に38℃まで上昇して解熱剤(カロナール)を服用し、夕方4時現在は平熱です。薬の効果がきれるとまた熱があがるかもしれませんが、熱が下がると休養しやすくなるので助かります。

坊守も早めに帰ってきてくれたので、この間に、ノノちゃんへの点滴もしてしまいましょう。

ご心配をおかけしています。昨日はたくさんの方にブログにアクセスいただいたようです。コロナという原因がはっきりしたので、しばらく療養するのみです。

住職、コロナに感染する

お盆参りもなるべくマスクをかけたり、気をつけていたのですが、コロナに初めて感染しました。お盆参り以外で人と接触することはなかったので、どこかでもらってしまったのでしょう。

15日の夜から熱っぽく、16日には39℃をこえる発熱。解熱剤をのんでいったんは37℃台まで下がりましたが、今日の早朝にはまた39℃近くまであがりました。コロナの簡易検査キッドで調べた結果、陽性の反応です。

今日の朝、かかりつけ医の鳥取生協病院を受診しました。検査の結果、やはり陽性でした。

医師から解熱剤を処方していただきました。しばらく安静にすごさなければなりません。

コロナは今現在、流行しており、お盆参りのことわりも複数あったのです。

坊守にうつってなければいいのですが…。

お盆法要をおつとめしました

坊守です。
午後から初盆盆会、戦没者追悼法要を本堂で行いました。


今年のお盆法要の導師は前住職。全体司会は坊守、住職はメッセージで参加、という臨時スケジュールでした。
昨夜まで頑張っていた住職、夜中から熱が出て、お勤めを見合わせることになってしまったのでした。(たいへん申し訳ながっていましたが、流行り病もある中で、無理して出ていく訳にはいきません)。
住職が法要に寄せたコメントは、以下のとおりです。

ようこそお参りいただきました。あいにく体調を崩してしまい、今日はみなさまとご一緒することができません。申し訳ないことです。
本日は、前住職が正信偈の導師を務めます。少し休憩をとり、しんらんさまを歌い、納骨堂前で短いお勤めを坊守が行い、散会となります。何卒、ご理解ください。
先日、御門徒さんより、岩美町の戦没者の名簿をお預かりしました。それによると、昭和12年から22年までの戦没者数794名にのぼります。
網代地区は日露戦争以降、72名戦死、うち昭和19年以降に亡くなられた人数46名(約64%)
田後地区 68名戦死。うち昭和19年以降に亡くなられた方は49名(約72%)にのぼります。
昭和19年には、日本本土に空襲が始まり、勝ち目のない争いであることは明らかでした。
また、戦死公報も見せていただきました。その日付は昭和24年3月23日とあります。戦後3年半も経過して、戦死を知らされたご遺族はどんなに辛い思いをなされたことでしょうか。

県会議員をつとめた岩美町出身の故前田宏様は著書『愛郷無限』でこう記しています。

「強烈な思い出として残っているのは、(沖縄戦の)南部戦跡での遺骨収集作業である。鍾乳洞や草むらをわけながら行ったが、一時間ほどで麻袋十枚がいっぱいになるほどの白骨に、感情を抑えきれないものがあった。この遺骨を背負いながら、『戦争の悲劇は、二度と繰り返してはならない』と、固く誓ったものである」

ここに遺影を毎年掲げる意味は、戦没者を悼むとともに、絶対に戦争をしない不戦の決意を新たにすることであると考えます。
 そして、その写真の真っ直ぐ先に立たれる阿弥陀さまは、前屈みとなり、煩悩にまみれ、何をするかわからない私たちをなんとかすくいとろう、なんまんだぶつとはたらいてくださっています。今年初盆を迎えられた御門徒さま方もご一緒です。
 親鸞聖人は「念仏のみぞまこと」との言葉を私たちに残してくださいました。過去を風化させず、共に歩んでまいりましょう。

法要の片付けをして、様子をみると、エアコンのついた部屋で、氷枕をしながら休んでいます。昨夜からノノちゃんが、布団の端に座り込んで、付き添いをしてくれています。皆さんにご心配をおかけします。

お盆参りが終わりました

9日からつづいたお盆参りは本日で終了しました。何件かこちらの不手際で、「まだ来られないけど」との連絡もあり、平謝りでのおつとめもありましたが…。

今日の田後での初盆では、ご近所さんがたくさん集まり、正信偈を大きな声を出して称えました。20分ほどの時間でも正信偈(念仏和讃なし)+短い法話ができます。何をお話しするかは事前に決めていないので、ハズレだったらごめんなさいです。

最後、岩本地域を回りました。あるご門徒さんに、「ずいぶんお疲れのようですね」と心配していただきました。午後はかなり蒸し暑かったので顔に出たかもしれません。

午後4時半ごろ、お寺に辿り着きました。

坊守と妹夫婦と姪っ子たち、助っ人のUくんで明日のお盆法要の準備にあたってくれました。

私は、夕方からパソコンの前に座ってお話しする内容をパワーポイントにまとめています。原稿はほぼつくっていたので、スムーズにすすみました。夜7時過ぎ完成です。

さすがに疲れました。明日に備えて早く寝ることにします。

朝から網代の盆参りへ

朝と晩とにおばあさま
いつもお灯明(あかり)あげるのよ
なかはすつかり黄金(きん)だから
御殿(ごてん)のように、かがやくの

今日は網代と大谷を4人で手分けしてお盆参りです。

冒頭の金子みすゞさんの詩にもある通り、御殿のように輝く阿弥陀さまを前にしてのお勤めです。お盆の提灯もきれいですが、やっぱり輝く阿弥陀さんがいいですね。

初盆のお宅では短い法話も。お孫さんに仏さまの姿を真似してもらって、その姿の意味をお話ししたり、お盆の由来にふれたり。

朝7時から正午過ぎまで、蒸し暑さにはまいりましたが、強い味方が。

凍らした冷却剤を装着するタイプですが、ひんやりして力になってくれました。あすもよろしくお願いします!

浦富を1日かけて

ブログの更新が遅くなってしまいました。今日は浦富(うらどめ)地区を朝から午後5時前までかけて回りました。初盆のお勤めが複数件、家での年忌法要をご希望されたところもあり、おかげさまで足がしびれました(笑)

仏壇の飾り方や、墓じまいの相談なども。今日は時間がなかったので、また後日、対応させていただきます。

帰ってきてお墓でのお勤め、そして明日の網代の段取りです。夕食後、京都からの助っ人Uくんと私と坊守で作戦会議です。

明日は朝7時スタート。ノノちゃんに日課の点滴をして就寝します。

今日は岩井をまわりました

朝から昼前にかけて岩井集落の盆参りで歩いてまわりました。気温はそれほどではありませんが、蒸し蒸しして梅雨のような天候です。

ご門徒さんの2人の娘さんから、「牧谷窯のファンなんです」とのうれしい声がかかりました。工房にも行ったことがあるそう。東京で暮らしている娘さんに、さいたま市で展示会を数年に一度行っていることなどお伝えしました。またそのような機会があればお母さんにお知らせしたいと思います。お寺フェスにも、ぜひ来てください!

昼間は休憩と16日のお盆法要での法話の準備を少し。夕方は引き続き盆参りとなります。

明日から3日間、手分けをして150軒以上まわることになります。暑さも戻ってきそうです。いよいよ私の暑さ対策グッズを使うときがやってたかも。