寄り道

坊守です。

出張の帰路に途中下車して和歌山の実家に寄りました。新大阪駅の気温は明らかに東京より暑くて、乗り換えの短時間でも大仕事(大袈裟)でした。
玄関をあけて変わらず元気そうな両親の顔にホッ。
「おねえちゃん、コーヒー飲みなあ(なあ、は和歌山弁、ニュアンスはhow about some coffee?)」
の父からの声かけがあって、帰ってきたなあ、という実感。笑

ご飯をよばれて、お布団を敷いてもらって、甘えたい放題。
スマホの写真をパソコンに保存する方法を母からきかれて一緒に作業して、ついでに文書ファイルの削除や名前の変え方を伝えて(自分でやれるようになろう、というその意欲に乾杯)、一宿一飯の恩を少しだけ返し…たかな?

就寝前の日課はお寺のブログチェック。定年後に飼っていた犬のカボ君はすでに虹の橋を渡っており、我が家の猫たちがかわいいそうで、彼らが巻き起こす小さな事件のことも詳しく掌握している母なのでした。

庭のカシワバアジサイがいい具合に秋色に変化しています。本堂の阿弥陀さんへのお土産に大きな束にしました。
もうちょっと帰る機会をつくりたいです。

建碑法要へ

朝、我が古家の玄関先の蓮が咲きました。

甕から顔を出したツボミはいまのところ一つだけです。貴重な一輪になりました。

午前中、鳥取市内の因幡霊園へ。このほど町内からお墓を移されたご門徒さんがあり、本日は建碑(けんぴ)法要です。同じ区画にもう一つお墓がありました。次男さんの奥さんの実家のお墓もこちらにあわせて移されたそうです。

まわりの林からはウグイスが鳴いています。ご門徒さんに、「法を聞けよ、南無阿弥陀仏と鳴いてくれていると味わってみてください」とお伝えしました。

午後は網代の習字教室へ。その前後で西法寺通信を配りました。この夏の網代のお盆参りは14日の午前とともに12日の午後も予定をとりました。14日の午前中で回り切るのが厳しいことと、暑さ対策です。教室にきているご門徒さんは、「うちははやくてもいいで」とのこと。10軒ほどそうしていただけると大変助かります。網代のみなさま、よろしくお願いします。

東京に出張です

坊守です。
5時起きして(これは日常か)出張です。


県外は1年ぶりでしょうか。東京です。20年住んでいたところなので楽々…といいたいところですが、岩美や鳥取のことをインプットするにつれ、こちらの情報はぼろぼろと抜け落ちておるようです。目的地の山手線駅の名前をみても、乗ればいいのは外まわりなのか内まわりなのかがさっぱり思い出せません。
東京に着いたとたん、たちまち猫と住職の家に帰りたくなりましたが、様々な人種と大きなトランクが行き交うコンコースの雑踏を、すいっすいっと歩くすべは身体が覚えており、そのせいか、「さ、仕事しよ」とスイッチが入りました。2日間、全国の新入職員向け研修で司会の任務をおおせつかりました。去年も担当して「シナリオ見てなかったじゃん」ということで、台本は作ってもらえていません。笑

正午の気温は33℃、コンクリートをなめた空気が、熱い。海外の皆さんがホントに増えましたね。岩井温泉という奥地から来た私もおんなじようなもんですね。気をつけていってきます。

今年の蓮はもうひと花

朝からひきつづいて西法寺通信の郵送や手渡しの準備、あすの建碑(けんぴ)法要の準備、銀行に行ったり、会計実務をしたり。あっという間にお昼です。

7つ目の蓮。散る間際です。

境内で咲く蓮は最初に開花した7つにつづいて、この数日で新たに花芽をのばしているもの含めさらに7つが咲きそうです。

これはいちばんのおチビちゃん。一昨日に水面から顔をだしました。

この小さなつぼみがぐんぐん伸びて大きくなり、いよいよ開花するのは7月下旬でしょうか。蓮の見頃はまだまだつづきます。いま大きなつぼみになっているものは数日で咲くことでしょう。

日々の暑さにうんざりですが、境内の蓮をながめているとひととき暑さを忘れますねー。

シュミレーションする

来月のお盆参りの訪問時間のシュミレーションと西法寺通信の郵送・配達を同時進行ですすめています。この夏も、私、坊守、おじさん、京都からの助っ人Uくんで回る予定です。期間は8/9から15まで。

この夏も初盆が多く、それをどこの時間に組み込むのか、このスケジュールには無理がないのかなどなど、けっこう頭を使う作業です。

また暑さも大敵です。そこでこの夏は網代と田後にかぎって、従来の日程とともに別の日も加えてみなさんに提案することに決めました。こちらの方はあさってをメドに案内できそうです。

昨年一部で好評だったペットの写真撮影を今年もやっていこうと思います。また、小さなお子さんたちにさしあげるプレゼントも考えてみたいなと。

厳しい暑さ、足の痺れと格闘する期間になりそうですが、なるべく楽しくを心がけます。

夕方、やまあいの集落に通信を配りました。畑に咲くひまわりがきれいでした。

銀山のひまわり畑
ご門徒さん宅の子猫

排外主義に抗することができるのか

20日投票日に向けて参議院選挙が闘われています。

ついにというのか、ヨーロッパ各国やアメリカで台頭している排外主義の流れが日本でも幅を利かせそうな状況になっています。世論調査で支持を伸ばしている参政党がそれです。

彼らの言説を検証し、批判する大手メディアもなく、虚偽も交えた言論がネットや動画を通じて垂れ流されている状況です。

彼らのいう「日本人ファースト」「日本を壊すな」といったセンテンスがなぜ受けるのか。昨日、東京の方からこういう話を聞いて考えさせられました。

「電車に中国人の女性と、娘さん、おばあちゃんの3人が乗ってきて、女性が英語で箱根湯本にどうやっていくのかを何人かに聞いていたが、みな知らんぷり。それで自分から話しかけ、少しは通じたけど、女子高校生が助けてくれ、最終的には娘さんが持っていたタブレットの翻訳機能で解決できた。周辺の人たちの感じがなんとなく冷たくて、今の流れを感じた」

地方ではまだ、あまり感じないことですが、こういう気分が広がっているのでしょう。

自分たちの不満のはけ口を、外国人を排斥に求めることで支持を伸ばす政治家が地方選挙でも目につきます。しかし、排外主義は結局、国民に矛先が向くというのが日本の歴史でした。

本願寺派は戦前、国策に逆らえず、排外主義を突き進んだ痛苦の歴史を持っています。1895年には、中国、朝鮮について、「残忍酷薄にして、貪欲のみこれふけり」などと蔑視する立場を鮮明にしました。

排外主義は、「正義の戦争」へと。戦争に反対することは事実上不可能となり、アジアの人びと、そして日本国民に大被害を与えました。「君国に殉ぜんは誠に義勇の極み」というのが戦争中の本願寺のスタンスだったのです。

日本の社会、政治は、本願寺派をはじめとする伝統教団は、私たち有権者は、排外主義に抗することができるのでしょうか。それともいつかきた道を戦後80年を迎えたこの夏、再び歩き始めるのでしょうか。

1票の意味が問われていると感じます。

広島からのお客さま

毎日暑いですね。早朝、年に1度の山の清掃を村の人総出で行いました。山道には枯葉や小さな石が溜まっていて歩きづらくなっています。それを熊手でかく作業を約半時間。暑くて参りました。

午後、お寺の納骨堂にお母さんのご遺骨を預けているご家族が広島市内からお見えになりました。遠路、きていただいたので、本堂でまずお勤めして、納骨堂の前でも短く読経しました。その後、一緒にお参りされた親せきのみなさんと「とわ」さんの生姜せんべいを食べながら歓談されたようです。「わー、懐かしい」と喜んでいる方もありました。

今日は相談事もありました。岩美町出身の方で、もう残された命が、わずかの時間しかない方がいらっしゃるそうです。「もしもの時にはお寺の納骨堂を利用させてもらえないか」とのことでした。もとあった実家は西法寺のご門徒さんでした。法名もつけて欲しいとのことですので、その方のことを少し教えていただいて、法名も考えたところです。

このほか、お墓を閉じて納骨堂に移すことを希望されているご家族が複数あり、納骨堂の利用可能スペースも、いよいよ厳しくなってきました。境内の整備について、みなさんの意見をいただきつつ具体化していかなければと改めて。

桃のお供え

今日は四十九日と納骨のお勤めでした。故人さまはお寺のご門徒さんではありませんが、生前から葬儀の依頼を私にされていました。詳しくは5月22日のブログをご覧ください。

施主さんの妹さんから桃のお供えがありました。和歌山で桃を育てているそうです。

墓地は、海岸から近く、車窓からは岩美町の美しい海を一望できました。

次、お会いするのは初盆ということになります。

昼、桃をひとついただきましたが、これまでこんなに美味しい桃を食べたことがあっただろうかとびっくりするほど、甘く、みずみずしい。丹精込めて育てられたのでしょう。それに太陽のめぐみもこちらとはまた違うのでしょう。

桃パワーでチャージして、午後は、西法寺通信第25号の発送のための準備です。「初盆はいつになりますか?」との問い合わせもいただいているので、速やかにお盆参りのスケジュールをお知らせしないといけません。通信と併せての案内となります。来週の前半で郵送と手渡しでみなさんのところに届ける予定になっております。しばしお待ちください。

話はもどって、妹さんと、私の妹は中学の同級生だったそうです。夕方、妹に桃をお裾分けしたところ、当時を懐かしみ、とてもよろこんでいました。

ナモの日記(2025年7月)

ナモです。


おとついからかたほうのおめめから、なみだがでています。
「ノノちゃんのなみだがうつったのか?」と、おいたん。
「みぎがわだけだから、かぜではなさそう。さかまつげかね」と、おばたん。
なんでかはアタイにはわからないけど、ちりがみでめをふかれるので、イヤイヤ、をします。
それで、なるべく「あんせい」にしてようねと、けーじにいれてもらいます。
けーじは、もともとは、アタイのおうちです。それを、たーちゃんや、おんちゃんやノノがつかってるので、アタイのすきなばしょなの。ぐうぐうぐうと、ねむって、よくなろうとおもいます。

たーちゃんは、チビのクウとすごくなかよしです。おすもうのあいてをしてやって、くろとちゃいろの毛のかたまりみたいのが、ゆかにごろごろころがってるようにみえることもあります。


チビはノノにもやさしくしてもらっています。なんでなかよしになったかわかりません。
だもんで、おとこのこたち3びきが、おうちのなかをいっしょにあるきまわっていることもあるの。ノノは、おばたんのひっつきむしだから、おばたんがおうちにいるときは、おひざにのって、ごきげんなのよ。

じゃあね

お寺での葬儀に

一年ぶりにお寺での葬儀となりました。きょうが通夜、あす朝、葬儀というスケジュールです。3月の寺院葬説明会にもご家族が参加され、「もしもの時はお寺で」との相談をいただいていました。

昨年もお寺での葬儀を担当された葬儀会社さんですから、勝手もわかっておられるので安心です。

お寺での葬儀はなにかとご遺族とお話しする機会もあって、故人さまの生前のようす、闘病の日々などについてうかがうことも。一昨日も臨終勤行の後、思い出話に耳を傾けていました。

私と故人さまはネコ好きという共通点がありました。2年前の盆参りの際、となりの家のネコが遊びに来ていて、なでながらお話ししたこともあります。その年の秋、「お寺の法要にお参りしたいけど、何着ていったらいいですか?」と電話をいただいたことがありました。「ちょっとオシャレをしてお参りください」とお伝えしたら、その通りの姿でお見えでした。入院する前に髪を染められ、病院に化粧品をもっていかれたそうです。10年にわたって介助・介護したお母さんの葬儀の際、「もっとお世話したかった」とつぶやかれたことも思い出します。

別れを惜しんでご近所の方たちが大勢、昨日からお線香をあげにこられました。そういう姿にふれることができるのもいいものです。つながりのなかに人は生かされ、それが目の前から消えるとき、人は悲しいと思うようにできています。

境内に蓮が咲くなか寺院葬です。おごそかに、そしてあたたかな法要になるよう心がけたいと思います。