顔に出る

山陰も梅雨入りです。

この前の日曜日、とある路地裏で顔見知りの人と出くわしました。カバンから名簿らしきものがのぞいています。

「心にもないことをされているんじゃないですか?」

「わかります?」

「そりゃ、顔に出てますよ」

ひと月あまり先に予定されている参院選の票集めで休日、歩いておられたのでした。

今日は石破首相が現金給付を公約に掲げるとニュースになっています。マイナンバーカードと紐付けした口座に振り込むことも検討するとか。

参院選は政権選択の選挙ではありませんが、少数与党ですから参院選の結果は政権のあり方も左右するかもしれません。

異常な物価高やコメ不足、トランプ政権への対応など、テーマがたくさんあります。

世界では悲惨な紛争がつづいています。ドローンや無人機などAIの軍事分野への使用禁止、これを政治家に公約してほしい。

住職の日曜日

お寺が一番忙しいのは週末です。昨日は午前中法事、午後は役員会と歎異抄輪読会、夕方は逮夜法要と続きました。

早朝、短いお勤めを本堂で。その後、掃除や法事の準備。蓮の葉がずいぶん立ち上がってきました。

午前10時より法事です。施主さんから見るとお孫さん、故人さまから見るとまだ小さいひ孫さんが大勢お参りされました。彼らの関心は生き物です。本堂でクモを発見し、境内では「カエルがいる!」。法事が終わりみなさんで本堂入り口の階段に座って記念撮影です。

お参りの記念撮影。なかなかいいですね!

施主さんのおかさあんは今年87歳とのこと。足腰も達者でお元気です。そのさらにお母さんは107歳で亡くなられたそうです。

法事が11時過ぎに終わり、家に一旦帰ってネコの様子を確認し、坊守が作っておいてくれたおにぎりと唐揚げを腹におさめてお寺に帰って役員会の資料の印刷など。

午後2時より役員会。お寺フェスのふりかえりを少し。「日本海新聞の写真はよく撮れてた」「落語は満員になってよかった」。地元ケーブルテレビでの紹介は来週になるのでしょうか。町内の方はぜひご覧下さい。境内の整備計画についても報告。これは次回(9月)から本格的な相談にということになりそうです。

午後3時過ぎ「歎異抄」輪読会スタート。第13条を読み、意見交流しました。
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」
「もしそうせざるをえないような情況におかれたならば、どんなふるまいもしかねない」、という親鸞聖人の自省の言葉です。またそれが人というものなのかもしれません。

そう考えると、「心が清らかな人しか救いの対象とならない」という教えならば、ほとんどの人はこぼれ落ちていくでしょう。それを逆手にとって、では「悪人を救う教えというのなら、悪い事をすればするだけ救われるのか」。そういう人も当時、現れてしまったのです。
親鸞聖人は、「薬があるからといってどうして毒を飲むのか」と抑止します。

「さるべき業縁のもよおせば」という自身の姿に本当に気づかされたのなら、自身への悲しみと共に、他者への共感、他者を大切にする想いへとつなげていかなければならないのでしょうか。そこに親鸞聖人の本意があるように思います。

夕方5時より逮夜(六七日・むなのか)。次の日曜が四十九日となります。こうしてご自宅での法事を重ねていくと、家族の方たちとのつながりが生まれます。そういう時間を下さった故人さまに感謝なのです。

夕方5時半過ぎに終了。海辺にご門徒さんとご友人の姿を発見。ある方から「西法寺さんはいっつも声をかけてくれますなあ」。しばらく談笑。

午後6時前に日曜の法務が終了しました。

ガタピシ、ウロウロ

坊守です。

きょうは因幡組の仏教婦人会の総会と研修に出席するため、網代仏婦のY会長とともに、青谷まで走ってきました。
会場は、33キロ先のお寺さんです。お寺界隈では、会場と言わずに(会所・えしょ)といいます。
50人以上おられたか、14カ寺の仏婦から集まるのですから、駐車場の手配から案内まで、強い陽射しの中、地元の門徒のさんたちにたいへんお世話になりました。
研修パートの布教使さんは、島根県は江津市から。阿弥陀さんの救いについて、明快なお話でした。
この中で、知った漢字。
「ふすまがガタピシする」の【ガタピシ】
「迷ってウロウロ」の【ウロウロ】

両方とも仏教にちなんだ言葉だそうで、漢字で書けるそうですが、皆さん分かりますか?

がたぴし:我他彼此
ウロウロ:有漏有漏
「有漏」は、何かが漏れているさまですけれど、漏れているのは煩悩、なんだそうなんです。
迷いの本質をついていますね。

午前中から岩美を出て、17時過ぎに戻る1日仕事の報告でした。やっぱり遠い。

帰って猫たちを探すと、頭上をみて、吹き出しました。

「歎異抄」第13条を読む

今日は午前中、17回忌のお勤めがありました。昨年9月1日に解禁した底曳漁はこの5月末で終了です。お参りされた漁師さんにうかがうと、北海道の大ズワイガニの豊漁のあおりを受けて今シーズンのカニの価格は例年よりも安かったようです。

この間、お墓じまいの相談も受けていました。集落の墓地は高いところにあり、お母さんがお参りすることが難しくなっているそうです。平野部に7月に移すとのことで、来月の頭お墓じまい、そして新しいお墓の前で建碑(けんぴ)法要を勤めさせていただくことになりました。

法事が終わり、明日の役員会の準備と「歎異抄」の予習です。

「歎異抄」は輪読して質問・感想を出しあう形で進めています。第13条、第14条が明日の輪読の箇所になるでしょう。

特に第13条は後半のハイライトの部分といってよいでしょう。こういう下があるところです。

(現代語訳)「またあるとき親鸞聖人が、「唯円房はわたしのいうことを信じるか」と仰せになりました。そこで「はい、信じます」と申しあげると、「それでは、わたしがいうことに背かないか」と、重ねて仰せになったので、つつしんでお受けすることを申しあげました。すると聖人は、「まず人を千人殺してくれないか、そうすれば往生はたしかなものになるだろう」と仰せになったのです。

もちろん「できません」と唯円は返答します。

それに対する親鸞聖人の言葉は…。

原文と現代語訳、そして解説文に目を通しました。さて、どんな感想が出されるでしょうか。

情報のチカラ

朝、本願寺への賦課金を納めるために近くの郵便局に。職員さんから「新聞読みました」と。「日本海新聞」で「お寺フェス」の記事を見られたとのこと。ラインの「日本海新聞」アプリでも紹介していただきました。メディア情報の影響は大きいですね。

午前中、食料無料市の実行委員会がオンラインでありました。次回の予定は8月2日。すでに法事が2件予定されており、残念ながら参加できません。先日、知り合いの方から新品のタオルや服など「無料市に」とちょうだいしました。違う形で力になりたいと思います。日用品や野菜など提供していただけるご門徒さんがいらっしゃったら、住職まで。鳥取医療生協の総代会が19日に予定されています。「無料市の情報を参加者のみなさんへ知らせたらどうでしょうか?」と私から提案しました。みなさんのご協力、多くの方の小さな支援が頼りなのです。

午後は次の日曜のお寺の役員会の準備です。お寺フェスの振り返りや境内整備の計画、9月の因幡組(そ)の記念法要と議題は豊富です。記念法要は、2年遅れとはなりましたが、親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年をお祝いするものです。多くのご門徒さんとお参りしたいと思い、「よびかけ文」を作ることに。昼前からパソコンの前に座ってやっと第一案。明日ふくめて再考したいと思います。7月頭に発行する西法寺通信でみなさんにお知らせする予定です。お参りの記念品も用意します。

役員会の後は「歎異抄」の輪読会を半年ぶりに。こちらの予習は明日の午後にでも。数ヶ月前に法事でお参りされた方から、「参加してみたい」との声もありました。来られるかどうかはわかりませんが、「一度は歎異抄を読んでみたい」という方は少なくないと思います。このペースだとあと2年くらいかかると思いますので、興味ある方は住職まで。

3月に買って、この間、少しずつ読み進めてきた『NEXUS 情報の人類史』が残り30ページまできました。人類史を大きく見つめ、情報の光と影が語られます。特に虚構の拡散が世界に甚大な問題を引き起こしていることがさまざまな例を挙げて示されています(ミヤンマーでのロビンギャの虐殺に虚構に踊らされた仏教徒たちが深く関わっていることを知り、がく然としました。)。AIの登場で世界が分断されかねないこと、修正メカニズムを果たして我々は構築できるのかという課題の提示も。私たちはどこに向かっているのでしょうか…。

忘れられないこと

今日は午前中、7回忌の法事でした。葬儀は2019年7月5日、大阪でありました。町内出身の方で、実家は、引っ越す前、西法寺のご門徒さんでした。

一人暮らしをされていた故人さまは生前、親せきの方(Aさん)に葬儀の依頼をされていたのです。Aさんは、京都府にお住まいです。日常的なつきあいはなかったそうですが、この願いを快く引き受けられました。それで、私のところに連絡があり、大阪にうかがったのです。

ご夫婦と私、3人で葬儀を勤め、火葬場で収骨しました。葬儀に至るまでのいきさつをお聞きして、胸をうたれたこと、いまでもよく覚えています。もし引き受けられなかったら無縁仏として合葬されていたかもしれません。

あれから丸6年がたちました。こうして7回忌にお参りしていただいて感謝しかありません。Aさんは、「おばさん、お母さんと楽しく過ごしておられますか。なんまんだぶ」と手をあわせておられました。

次は13回忌です。「その頃まで元気であればお参りしたい」とのことでした。

Aさんには、人の何たるかを教えていただきました。私自身、法務とは何なのか、深く考えさせられた葬儀であり、そして今日なのです。

Aさんご夫婦、遠路、ありがとうございました。またお会いできる日を楽しみにしています。

私もお二人に学んで精進します。

ナモの日記(2025年6月)

ナモです。

アタイはげんきでおりこうで、かわいいです。こないだ、あそびにきてくれたともきにいちゃんに、スリスリしておせったいしたのよ。たあちゃんは、このごろ、ちゃいろいちびすけがついてあるくので、おとこのこどうしでたのしくしています。あたいはひとりでゆっくりしています。

きょうのあさ、クウというちびっこがおいたんとどこかにいきました(アタイはあいかわらず、ちゃいろいちびすけがきにいりません)。

おひるにふたりはもどってきたんだけど、びよいんにいっていたそうです。アタイのこともみてくれる、かっこよくてやさしい女のせんせいが、あちこちをてんけんしたそうです。はいやしんぞう、チックンしてちぃもとって、なんにもびよきはなかったようです。

うんちはもっていかなかったのに、ちびは、びよいんにいるのをこわがって、ばすけっとのなかでうんちがでちゃったのを、けんさしてもらえたそうです。


びよいんは、ワンコもいる、きけんなばしょなので、よわっちいクウは、がまんできなかったのね。


おチッコは、かえりみちにでたので、けんさしてもらえなかったそうです。
たいじゅうは、4.3キロで、あたいくらいになりました。

夏服に着替えました


昨日は肌寒くて冬の衣で葬儀をつとめましたが、今日から夏服に衣替えです。
午前中に法事があり、お参りのみなさんにも、「夏服は透けているんですよ」などと説明しつつです。今年はどんな夏になるのでしょうか。

お勤めをしていて思い出しました。今から6年前の夏。初盆で実家にうかがうと仏間に座るところがないほど、ご家族が大集合されていました。5歳だった少年はいま11歳になっていました。その時もみなさん一緒に読経されましたが、今日も多くの方が声を出しておられました。今年19歳になるというひ孫さんは関西の方で美容師目指して勉強中とのことです。彼女のおばあちゃんが、「この子は小さい頃にお寺にお参りしたとき、阿弥陀さんの立ち姿を見て、『前に倒れちゃうよ』といったんです。そんなことを思い出しました」。「とわ」さんの生姜せんべいも持って帰っていただきました。ぜひ、ごひいきにしてください。

午後は、社会福祉協議会へ。ふれあい・いきいきサロンの情報交換会です。早いもので「なもなもサロン」は今月2周年を迎えます。それにかけたわけではありませんが、30日に日帰り旅行を計画しています。現在町内では31のサロンが活動しています。運営されているみなさんはご苦労だと思いますが、役割を持って参加することは認知症リスクを下げるとの研究があります(今日、発言すればよかった!)ので、おたがい、できることをやっていきましょう。

夕方、「地域おこし協力隊」の方がお寺にこられました。町内のお寺を訪問して歩いているそうです。都会から鳥取が岩美町が好きで移住する決意もしてこられたとのこと。岩美町をPRしたいと頑張る姿に私も刺激を受けました。

「いってらっしゃい」

葬儀が終わりました。


ご遺族からのあいさつをしてくれたのは小学生のひ孫さんです。
大きいおばあさんとの楽しかった思い出を話し、最後は「さよなら」ではなく、「いってらっしゃい」で結びました。往生という言葉は「往って生まれる」と書きます。ですから、いってらっしゃいで間違いではありません。

「いってらっしゃい」は帰ってくることを前提とした言葉だと思います。永遠の別れではないのだということを小学生に教えてもらいました。

さらに、火葬場では、涙するおばあちゃんにそっと寄り添い、彼女もまた涙していたのです。

仏教の教えの意味を、「人の痛みがわかる人間になること」と私は思っております。そんなことをいわれなくても、小学生の彼女にはわかっているのかもしれません。おばあちゃんの痛みを自分の痛みとして感じていたのでしょう。

彼女はこれからどんな中学生になり、高校生になり、大人になっていくのでしょうか。

未来を担うお子さんの姿を本当に頼もしく感じました。