スパイシーな冷麺

坊守です。
きのうは住職が総代として出てくれた総代会の運営側でした。ブログは、配偶者の職場のことを手放しで褒めたりして、身贔屓(びいき)が強い住職だと笑われていないか心配しています。
でも、ケアの仕事につく専門職や、地域で安心して暮らし続けるために、と知恵を出し汗も流している組合員さんは、尊敬に値する集団なのです。
さて、しかし、ひと息つくまもなく、気づけば明日は研修です。誰がこんな日程組んだんや?!と、自分に向かって怒るワタシ。講義しなくて良いのですが、
だんどりをする時間はわずか。朝からWEBの会議で、話をふられてもボーっとしたこたえしか出てきません。
午後も真面目な会議があるのに大丈夫かしらということで、スパイスで目を覚ますべく、エイプリルさんへ。
なんとまだメニューにない「冷やし印度」ができますよ、とおすすめが。唐揚げとともにいただきました。スパイシーなのに冷麺。不思議な食べ物です。

これで、明日まで頑張れそう。

いいじゃないか、鳥取医療生協

日中、市内で鳥取医療生活協同組合の総代会がひらかれました。私も総代の1人です。

冒頭、理事長さんがあいさつされました。そのなかで、年間の消費税負担が2億円にもなること、減税は医療を守ることにもつながると発言されました。医療費は非課税ですから、埋めることができず、税負担のみがしいられているのです。衝撃でした。

次に専務理事さんから報告がありました。楽しく集まっての健康・居場所・つながりづくり、そして核兵器廃絶に向けた署名活動など。報告によると、毎月約1000人がこうした取り組みに参加しているそうです。これらへの参加で、要介護認定率・認知症発症は低くなるということもあきらかになっています。

日々、患者さんとその家族が直面する問題に、親身になって対応しているスタッフの努力も紹介されました。

総代会の発言では、「常設のたまり場をつくって1年。健康まつりを開催し、大にぎわい」「鳥取医療生協がすすめるたまり場づくりが内閣府の孤立・孤独対策モデル事業に」「病院の中だけで終わらず、暮らしの接点で、人と地域を支える」など興味深くきかせていただきました。看護部長さんは、看護師定着に努力してきたこの間のとりくみを発言され、また病院の敷地内で花壇づくなどボランティアにとりくむ方からの発言もありました。共通しているのは、「私の、私たちの病院」という愛着であり、誇りです。

医療をめぐる状況は、「政府に見捨てられた」と悲鳴が上がるほどです。その中にあっても住民と手をつなぎ、医療を、いのちを守るその値打ちが光っているなと感じさせられました。

いいじゃないか、いいじゃないか、鳥取医療生活協同組合と改めて。

お寺としょうがせんべい

今日も蒸し暑い1日でした。

午前中、葬儀をお勤めして、火葬場へ。それからお寺に帰って1周忌、そのあと還骨法要とつづきました。スケジュールがきつきつでしたが、無事終了です。

葬儀の施主さんは、お寺で食べるしょうがせんべいがお好きとのこと。還骨法要の前にご家族みなさんで一休みされていました。「とわ」さんが開店して、しょうがせんべいが復活してよかった! この間、お参りのご門徒さんにもよろこんでいただいているようです。今日の一周忌にお参りされたのは元は岩井の方です。しょうがせんべいを懐かしんでおられました。おかげで私はひんぱんに「とわ」さんに足を運んでいます。

夕方、ご門徒さんがお見えになり、しばらく相談に。帰りにこの看板に目をやっておられました。

こら、バカ首相、でてこーい!

『佐々井秀嶺、インドに笑う』という本を読みました。


ヒンズー教が人口の圧倒的部分を占めるインドにおいて、実は仏教徒は1億5千万人を抱えています(国勢調査上は人口の0.7%、約840万人)。カーストの外に置かれた人々(不可触民・ダリット)が続々と仏教徒に改宗したからです。インド仏教徒の中心的な存在が佐々井秀嶺さんです。

佐々井さんは若き日、色情に悩み、自殺未遂を3回。山梨の真言宗寺院で師に助けられ、仏門へ。東京、タイ、そして導かれるようにインドへ。身分による差別を許さず、「貧しい人たちのために」と身を粉にして生きる姿を女性ライターの白石あづささんが、あたたかくぬくもりのある筆致で記し、一気に読ませます(初版は2019年)

・不法滞在で逮捕された際には、抗議署名が60万人から寄せられ、1988年にインド国籍取得
・1998年、インド政府の核実験に抗議し、国会議事堂前に向かってデモ行進。「こら!! バカ首相、でてこーい!」と拡声器で叫ぶ
・ヒンズー教徒によって管理されているブッタガヤ大菩提寺(ブッタがさとりをえた場所)の奪還運動

など、エピソード満載です。

白石さんの「仏教のいいところって何でしょうか?」の質問に、
佐々井さんは、「『無我』。『我がない』ということだ。自分よりも相手の気持ちを思うことだ。自分がお腹が空いていても、困っている人がいたら食べさせる。インドの仏教徒はそうだ」

好物はあんぱん。まるでアンパンマンのような佐々井さんの生き様です。

岩井32℃

今日は朝から大変な蒸し暑さ。吹く風があつい! 午後2時過ぎには気温は32℃まで上昇しました。住職部屋にも今年初めてクーラーをゆるめにいれています。今週は高温がつづくようです。


環境を整え、あす、あさっての通夜・葬儀の準備です。法名を考え、板に墨で記し、通夜の席でお話しする原稿をつくりました。

もう一つ、衣替えです。6月頭の葬儀は冬服でお勤めしましたが、さすがにもう無理です。薄い衣の夏用の七条袈裟、色衣、袴をタンスから出してカバンに収めました。6月から9月末までが夏服の期間になります。

本堂にクーラーがあるおかげで、夏の法要もみなさんにしんどい思いを強いることもなくなりました。近隣の真宗寺院でもエアコンを設置する寺院が増えています。私の知る限りでも今年3つのお寺で設置されました。ご門徒のみなさんもきっと喜ばれていることでしょう。



4年前のことを思い出す

今日は午前中に17回忌と四十九日の法要、午後も1周忌、3回忌の法事がありました。雨のため四十九日の後の納骨は次の土曜に延期に。坊守が、我が家の庭先の紫陽花を仏華にたてました。お参りされた方が、「白い紫陽花、キレイですね」と。雨はゆううつですが、紫陽花の白が映える季節でもあります。

朝、ご門徒さんがご往生されたとの連絡がありました。名前をうかがって思い出しました。ご往生されたご門徒さんから聞いたお話を、4年ほど前にブログで紹介したことがありました。

ここに記さなかったら忘れていたことでしょう。

「姑さんの記憶」、通夜の機会にみなさんにも紹介させていただきます。


人身受け難し

イスラエルは国際法で許されない先制攻撃を行い、
イランからは報復攻撃…。
世界中で心配の声が上がっています。

人の生をうくるはかたく
やがて死すべきものの
いま生命あるはありがたし
(お釈迦さまの言葉)

イスラエルの人も、イランの人も、パレスチナの人も、私たちも、人として生まれることは稀なことです。なのになぜ傷つけあい、殺しあわなければならないのでしょうか。

全世界に対して
無量の慈しみの意(こころ)を起こすべし
上に、下に、また横に
障害なく怨みなく敵意なき
(お釈迦さまの言葉)

簡単ではありません。困難も山ほどあります。

ですが、諦めるわけにはいきません。

蓮の観察日誌①

朝、境内の蓮の甕をのぞいてみると、3つの甕からそれぞれ一本ずつ、花芽がでてきていました。3日ほど前に水をあげた際にはなかったので、ググッと顔をだしてくれたのでしょうか。

花芽がでてから20日前後で開花するので、6月末から7月頭にかけて咲いてくれるはずです。楽しみができました。

昨年は一つの甕しか花をつけてくれませんでした。ですが、それはそれは、きれいだったのです。

昨年の蓮

もし念仏するものがあれば、それは人間のなかでも分陀利華(ふんだりけ)である、とお経にあります。分陀利華とは、白蓮華のこと。念仏を称える人を蓮華にたとえられたのです。

「高原の陸地(ろくじ)には蓮(はちす)を生(しょう)ぜず。卑湿(ひしゅう)の淤泥(おでい)に蓮華を生(しょう)ずるが如し」と『維摩経』にあります。

開花を目にしたら、南無阿弥陀仏と口からでてくるかもしれません。

いわんや悪人をや

今日はひと月ぶりに習字教室がありました。名僧のことばを書きましょうとのことで、先生が選ばれたのはまず親鸞聖人のことば、

「善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」

心清らかになれないものこそが仏さまからすれば、すくいのめあてということです。

はじめて筆で書きました。うまくはありませんが…。

次回は最澄のことば、

「一隅を照らす」

を書きましょうとのことです。

この機会に名僧のことばを味わいたいと思います。

白アジサイを仏華に

坊守です。

梅雨入りと同時に、我が家の猫の小径沿いの白アジサイが色づいてきました。
「白いアジサイなのに『色づく』の?」という読者の皆さんのツッコミが聞こえるようですが、ええ、確かに色づくのです。できたての花弁の色は、茎のような薄緑色をしているのですが、花のかたまりが大きくなるとともに、白くなるのです。

午前は仕事をお休みにしていた今朝、それっと仏華に立てました。

すべて植物は庭から調達。植え付けて四年越しで咲いた御殿場錦(ヤマアジサイ)、特大サイズのギボウシの葉と花、ヤツデ、シダ、剪定したドウダンツツジを真にしました。

御殿場錦
ギボウシ

毎年、本堂にこの白アジサイをお供えしてきたので、2025年も咲いてくれて良かった。これからしばらくの間、白アジサイを阿弥陀さんにお供えしていこうと思います。