「てっぺん」へ

きょうは法事のない日曜日です。坊守とともに久しぶりに新温泉町春来(はるき)の「そば処てっぺん」へ。

国道から脇道に入って山をのぼったまさにてっぺんに位置しています。道中、鹿2頭が道を横切っていきました。

人気のお店ですから、午後1時をすぎても店内はお客さんでいっぱいです。

歯応えのあるそばと、カリッと揚がった天ぷら。美味しいですね!

いい気分転換にもなりました。

5/18のお寺フェスまであとひと月あまり。門徒さんへの案内は終わりました。次週は岩井と周辺集落にウォーキングを兼ねてチラシ配り歩く予定です。

食料無料市をひらきました

春の食料無料市を本日午前、開催しました。


この4月に入職した職員たちも、研修を兼ねてスタッフ参加。春の無料市に新人が出るのは、今年で3年目(人事教育部長のポストに居て、たまにはいいこともあります)。

先輩職員をあわせると60人が出動したため、市内3ヶ所で一挙に開催できました。

もともとは、コロナのために生活困難におちいった人たちとつながろう、という目的の食料配布でしたが、いまは物価高騰の打撃を受けた、より多くの人たちとつながろう、というモード。
若手からは、「近いスーパーでも歩いて3〜40分かかる」「朝昼晩で白いご飯は昼だけ、という方が居た」「楽しい活動だった。また来たい」「困ったことはない、と最初は言っておられても、会話をすすめると、抱えておられる問題が出てきた」などの報告がありました。


私が参加した団地では50世帯から来られて、受付のメンバーが相談(何らかの働きかけ)が必要と判断した世帯が10軒にのぼりました。
「でも、今日、会えた方々は氷山の一角なのかもしれません」と、帰りのクルマの中で、新人看護師が語りました。

今日は住職は法務で参加できず「よろしくな!」という声を背に、お寺からマイクセットとお米30㎏、雑貨類などの物品が出動しました。

門徒さんやブログ読者さんからの物資や募金も活用させていただきました。
ささやかな活動ですが、「次は夏やね」と確認して散会しました。

胃カメラは苦手です

今日は午前中、鳥取生協病院で健康診断をうけました。そして年に1回の胃カメラも。待っているときに看護師さんに、「胃の検査も将来はやり方がかわって、超音波検査みたいに外からあててというやり方にならないんですか?」と聞いてみましたが、「なりません」。中身が詰まった臓器は超音波検査ができるけれど、胃は袋状なので、胃カメラで直接、調べるしかないそうです。それもそうですね。

例年通り、吐き気におそわれつつの検査です。「もうすぐ終わりますからね」と先生がおっしゃってからが長い! 検査結果は、「キレイな胃ですよ」

胃カメラは誰でも苦痛ですから、ものすごく細いカメラが開発されるのではないでしょうか。

午後は鹿野の浄徳寺さんで鳥取因幡組の会計監査に立ち会いました。会計担当のお寺さんがきっちりと実務をされていたのでスムーズに進行しました。

ゴールデンウィークあけに組の総会が予定されています。各寺院さんと連携して、実りある活動ができるようにしたいと思います。

おじいさんは名付け親?

昨日の法事のあとの話です。

私より2歳年下の方から、「小さい頃、母親に、『なんでこんな名前にしただあ?』と聞いたことがあって。そしたら、『岩井のお寺さんにつけてもらった』というだが」と。当時、お母さんはよくお寺にお参りされていたそうです。

50数年前のことですから、おじいさんがつけたということになります。

その方(Aさん)の名前には「欣」という文字が使われています。喜ぶという意味の漢字です。

私からは「仏教用語の『欣求(ごんぐ)浄土』からおじいさんがとったんでしょうかね?」と。お浄土を心から願い求めるという意味です。

自身の名前の意味を知って、「今日は来てよかった」と喜んでおられました。

そして今日の朝。いつものように経本を開いたのですが、たまには親鸞聖人が記した『教行信証』を読んでみるかなと手に取って読み始めました。

すると、こんな言葉が刻まれています。


「穢を捨て浄を欣ひ行に迷ひ信に惑ひ」

原文は漢文です。
「捨穢欣浄、迷行惑信」

現代語に直すと、「汚れたこの世界を捨てて、清らかな世界を求めながら、あれこれの修行に迷い、信じることに思い惑い」となります。

何度も目にしていたはずなのに、今日、はじめて目にしたような感覚でした。

おじいさんはこちらから名前をとったのではないかと思ったのです。

求めながらも迷う。これが人のありようです。

だからこそ、南無阿弥陀仏で救っていくのだと阿弥陀仏は誓われ、その教えに今生で出会えた喜びを親鸞聖人は続けてつづっておられます。

生まれてきたばかりの赤ちゃんに、「南無阿弥陀仏ですよ。南無阿弥陀仏を喜ぶ人になってくださいよ」とおじいさんは願われたのか。

昨日のことを思い出しました。Aさんは私とともに大きな声で、「なんまんだぶ」と称えておられたのです。

「その通りになりましたよ。おじいさん、いい仕事されたなあ」と朝からうなっていました。

今年もオンライン講座

今日から広島仏教学院オンライン・真宗入門講座がはじまりました。

昨年は結局1/3ほどしか受講できませんでしたが、今年はせめて半分でも受講したいところです。アーカイブ集も充実しており、過去4年200以上の講義を視聴できます。豊富な資料も勉強になります。受講料は年間10,000円。今年度は450人を超える方が受講されるようです。

いまからでも受講可能です。詳しくはホームページをご覧ください。

https://www.gakuryo.jp/広仏オンライン講座/

のの&クウの通院日誌

今日は2匹の野良猫、いえ、もと野良猫の通院日でした。あの2月の大雪の日から、もう2ヶ月経ったのです。診察と今後のケアの相談、そしてここが、今後の彼らの生活の場に関わりますが、感染症の有無を調べていただきました。


2匹とも、よく食べ元気も良いので、体調はよし。茶トラの空(クウ)は、猫白血病も猫エイズもマイナス。黒猫ののは、白血病はマイナスで猫エイズは陽性でした。

先生によると、白血病は感染力が強く、小さい猫なら命を落とす厄介な感染症ですが、猫エイズに関しては、血を流す頃の喧嘩をしたり、交尾がない限り、感染はないとの事でした。これでおうちの中を歩き回ることも自由になるでしょう。
なお、2匹は大変お利口に診察室で振る舞いましたが、帰宅後、ののちゃんは2階の戸棚の奥深くに逃げ込んで、お昼の間はずーっとストライキをしていたそうです。

最近は、だいぶ人間にも馴れた態度で接してくれるようになっただけに、裏切って申し訳ない気持ちです。
背中に垂らす回虫の駆虫剤もいただきました。ピンクの輪ゴムみたいなものが、彼らのトイレで発見されたためです。体重はそれぞれ増えて、クウは3㎏→4㎏に、ののは4㎏→4.6㎏になりました。

法を聞く

午前中、3回忌のお勤めがありました。故人さま(Mさん)のご遺骨はお寺の納骨堂に安置しています。故人さまの親戚にあたるAさんがお参りされました。

「Mさんがいたから、私は主人と結婚したですが」

今から遡ること57年前。Aさんが看護学生の時のこと。Mさんが入院され、Aさんと知りあいとなり、退院時、「世話になったから」と家に招待されたそうです。Mさんのお兄さん(漁師)とAさんは、その後、結婚されたのです。

「父母が、もらったエビやカニを喜んで。私は釣られたですが」(Aさん)

Mさんは、ふるさとをあとに、長年、山口県内で小料理屋の女将さんとして働かれました。ご自宅には小さな仏壇があり、よく手をあわせておられたそうです。

2年前にご往生され、「ふるさとに埋葬してほしい」とのMさんの生前の願いを受けて、お寺に納骨していただきました。

先日は、Mさんの娘さんから丁重なお電話をいただきました。

不思議なご縁が幾重にも重なって今日に至っているのです。

法事の前に、ウグイスが「法を聞けよ、法を聞けよ」と鳴いていました。

まさに、このことです。感慨深い3回忌のお勤めでした。

町内会で観桜会(カラオケも)

昼、町内会のみなさんが集まってお寺で観桜会をもちました。桜はほぼ散ってしまいましたが、お弁当をみんなで食べて語りあいました。

隣に住むYさんから、「わしゃカラオケが趣味だで」と以前からうかがっていたので、お寺のカラオケをセット。昼食後は1時間ほどカラオケ大会です。90歳をこえたとは思えない声量のYさんは「恋女房」(鏡五郎)を熱唱。同じく90歳をこえたTさんも楽しそうに歌っておられました。鳥羽一郎さんの「秋津島」を歌うSさんの姿に奥さんは、「家では歌わんから、初めて聞いたで」

いっしょにご飯をたべ、語りあい、歌を歌い、そして笑う。そういう時間を共有できてうれしく思います。

カラオケ大会、またやりましょう!

「父を突き動かしたもの」

坊守です。
第二土曜は休診日なので、お休みです。午前中は寺でウロウロ、掲示物を整理したり、草引きや剪定作業をしていました。

午後は鳥取の学習講座へ。
鳥取県反核運動を牽引した父を突き動かしたもの、がテーマ。鳥取の被爆者運動の中心になった伊谷周一さん(2017年没)の足跡をたどり、平和と核兵器廃絶を考える、という内容です。


娘の柴田杉子さんが講演してくれました。
柴田さんは、鳥取でお父さんの跡を継いでブライダルショップや砂丘のレイガーデンを経営されています。
陸軍の試験を受けに行った16歳の伊谷さんは、爆心地から1キロの旅館で被爆。放射線障害で命の危機に瀕しながら、たくさんの友人たちの輸血で生き延びた人でした。その22年後に広島に足を向けて初めて、被爆者として、核兵器の廃絶と平和を訴える運動にかかわるようになったそうです。
記事がありますので↓

https://mainichi.jp/articles/20211127/k00/00m/040/182000c

晩年、檀家寺に「戒名には[不核]の文字を入れてほしい」と檀家寺に頼まれて、ご本人の位牌には不核院堅持日周居士の名が刻まれています。
柴田さんは、平和運動に奔走したお父さんは、自分は生きていて良いのか、という問いに許しを求めるように、動かずにおれなかったのだろう、と話しました。ご自身は、被爆二世として、こうした場にも積極的に出ていきたいという決意表明もされました。

戦争も核兵器もまっぴらです。
ぜひ、リンクの記事をみてください。

放哉の句を味わう

今日は午後から市内の浄宗寺さんで会合がありました。何度かおじゃましたことはあったのですが、尾崎放哉の句碑が3つもあったことを初めて知りました。

放哉は鳥取出身の自由律俳句で知られる俳人です。

「ふと消えた足音に寝入られず」

「時計唄ひ居れども児等は深きねむり」

「ていねいに読んで行く死亡広告」

浄宗寺さんの境内には3つ、外に一つ建っています(外のものは写真撮り忘れ)。

いいことを知りました。実はこの歌碑が市内各所にあることは知っていたのですが、灯台下暗しでした。

歌碑は市内に119基建っているそうです。私がこれまで見たのは20ほどでしょうか。

放哉歌碑めぐり

鳥取市内に観光で来る機会があれば、ぜひ! 私も全部見て回りたい!