誕生日おめでとうございます

坊守のお父さんの今日は誕生日、そして妹の長女も今日が誕生日です。
先週は姪っ子の誕生日と進学をお祝いしましたが、この場で義父さんにお祝い申し上げます。2019年5月の継職法要にお越しいただいて以来、お会いできていなくて心苦しい限りです。

もうずいぶん昔のことですが、勤務されていた和歌山市内の学校を案内していただいたことがあります。お話をうかがって、教師や子ども、親たち、その一人ひとりの声を学校現場に反映するためにがんばっておられることがよくわかりました。組合活動、平和と人権を守るとりくみにも全力投球されてきました。

僧侶になって「忘己利他」という言葉を知りました。瀬戸内寂静さんが生き方として実践されていました。「自分のことを忘れて他者のために尽くす」という意味です。私はそういう人生を歩まれてきたのが坊守のお父さんであると思うのです。

昨日の朝、俳優の近藤正臣さんに密着したテレビ番組を見ました。その中で近藤さんは、老いについて「新しい体験をすること」とおっしゃっていました。

「今日から84歳!」とお義父さんは繰り返されているそうです。毎日が新しい体験ですね!

ここに記せば、きっとお義母さんが読んでくださることでしょう。

誕生日おめでとうございます。私も、その姿を追いかけてこれからも精進したいと決意しています。

彼岸の中日

昨日とはうってかわってあたたかい陽気となりました。午前中は四十九日法要と納骨。午後は逮夜まいり。その合間に過去帳の記載と網代の宅参りの案内をお届けに。

今日は休日ですから、ネコスペシャルをお届けしましょう。

雪の日に保護したくうちゃんはノラと思えないほど懐いてしまいました。

いま、古家にいる4匹のネコたち。1日にわずかの間ですが、全ネコ集合しますよ。

ナモ、くう、ノノ、ター坊(左から)

網代では「岩合光昭の世界ネコ歩き」鳥取編にも登場したネコがすりすりと寄ってきました。

そしておそらくナモのきょうだいも。

網代のなだばたでは、ハタハタが風になびいていました。ここまでガードされているとネコたちも手が出せないでしょうね。

真冬の寒さのなか

中庭の梅がようやく咲き始めたと思ったら、昨夜の夜中から時折、雪がちらついています。日中は真冬の寒さとなりました。

午前中、葬儀へ。施主さんのいとこにあたる現役の漁師さんもお参りでした。海が時化(しけ)で、夜中に帰港したとのことです。若い頃は故人さまとも同じ船で操業していたそうです。思い出すこともおありだったでしょう。

火葬場に着くと、同じ本願寺派の寺院の住職さんが私含めて3人。珍しい光景でした。

お寺に帰って還骨法要と初七日のお勤めをあわせて。四十九日ののちはお寺の納骨堂を利用したいとのご希望でした。どういう納骨堂なのか少し説明しました。西法寺の納骨堂はホームページ以外、特に外に向けての宣伝はしていませんが、ほぼ一杯になりつつあります。

今度の日曜の役員会で、境内の整備計画について、少し意見交換する予定にしています。お墓の継承、お墓じまいなどの相談にもしっかりと対応できるように準備を進めていきたいと思います。

法名を考える

朝からお通夜の準備と過去帳への記載と、机にはりついて過ごしています(苦笑)。

『真宗法名字選』という本をめくり、故人さまの俗名を一字加えた法名を考えます。

法名とは仏弟子としての名乗りのことです。昨日、ご家族からうかがった故人さまの人柄がうまく表現できるような法名になるといいなといつも思いながらですが、どうみなさんに受け止めていただけるでしょうか。

ちなみに、阿弥陀仏のみ教えを説いた『無量寿経』にある言葉からとりました。法名板に墨で釋○○と書き、ついでお通夜でお話しする短い法話の原稿を考えました。

それが終わって懸案の過去帳の新調作業です。なんとか今日1冊分を記入し終えました。絶対ということはありませんが、それでも間違いを書いてはいけませんので、なかなかに時間はかかるし、肩も凝る作業なのです。記載したお名前は12人分でした。巻頭に記載した故人さまの没年は万延元年。いつのことでしょう。興味のある方は調べてみてください。

さあそろそろ夕方でお通夜に出かけないといけません。2冊目は、13人分の法名などを記す必要があります。明日の日中は葬儀でほぼ時間が取れないので、早朝と夕方になんとか2冊目の半分くらいまで書ければと算段しています。

思いがけない再会

朝、ご門徒さんの親せきにあたる方がご往生され、葬儀を依頼されました。故人さまと最後にお会いしたのは、お兄さんの法事の時だったでしょうか。ご家族とは初対面になるのかなと考えつつ、臨終勤行をお勤めしました。

その後、お通夜と葬儀、そして四十九日、納骨のことなど相談しました。施主さんの名前を聞いて、「どこかで聞いたことのある名前のような…」。相手の方から、「中学3年生のとき、同じクラスだったよ」といわれて、ハッとしました。思い出しました。Aくんとはそれ以来、40年ぶりの再会になります。今は県外で暮らしているそうですが、お父さんの介護のため、このひと月ほどは実家にいたそうです。本当に思いがけない再会でした。

お寺に帰って、新調分(3冊)の過去帳の記載に取り掛かりました。
昨日、依頼されているご門徒さんから、「いつ頃になりそうですか?」との連絡が。私の予定では17、18、19の3日間で1冊ずつ書き上げる予定にしていたのですが、あさっては日中葬儀となり、書けそうにありません。夕方までかかって1冊目の半分ほどまで書けました。予定を変更して、2冊分はなんとかこの3日の間に。

夕方5時。今日の作業は終了です。かなり焦りつつ、ブログを記しています。

春彼岸法要をお勤め

坊守です。
雨が降り続いて、凍えるような天候の春彼岸法要でした。それでもたくさんきていただき、住職坊守含めて22人でお参りすることができました。


今回のご講師は、若くて元気のよい島根県は大田のお寺のご住職でした。息子や孫くらい歳の離れた布教使さんのお話へのリアクションは、みなさんいつもより熱心でなかったか、と思います。「ゆったりとお話しされて、例話もわかりやすくて、みなさんにとっていい春彼岸法要になったんじゃないかな」と住職は申しておりました。

この間、法事でお参りされたご門徒さんのお供えのお菓子をみんなでお裾分けしました。美味しいお菓子やお茶がいただけること、しゃべれることもお寺参りの楽しみです。休憩時間も大切なのです。


終了後、納骨堂でのお勤めがあり、その後、短時間の責任役員会へ。来週の役員会の打ち合わせです。
5月18日のお寺フェスまでの間に、3月23日の寺院葬の説明会や網代の法談(宅参りと道場での法要・4/7〜9)も控えています。
わたしも4月を目前に毎度おなじみ手に汗握る日々なので、住職とホウレンソウ(報告、連絡、相談)を密にしながら、やっていきたいと思います。
そういえば、今日は結婚記念日でしたので、洗濯の合間に、リンゴとヨーグルトのケーキを焼きました。

雨のなか納骨へ

今日は午前中、四十九日と納骨のおつとめでした。2月の6件の葬儀の四十九日がきょうから月末まで予定されています。強めの雨が降り、納骨が不安でしたが、石材店さんがお墓にテントを立ててくださって無事、終了しました。

午後は4月の上旬に予定している網代地区の宅参りの案内づくりです。半分ほどは明日の彼岸法要にお参りされる網代のみなさんに配布をお願いしたいと思います。残りは私が月曜にでも。

夕方はこの春から県内の大学に進学する姪っ子のお祝いの会を我が古家で。来週はアイドルグループのコンサートのため、札幌に行くそうです。全員を推すことを「箱推し」と呼ぶのだとか。新しい言葉を知りました。

「とさき」さんのお寿司、「April」さんの唐揚げ、そして私自らあげたふきのとうの天ぷらでおもてなしです。楽しいひとときでした。

本名と通称

昨日、四七日のおつとめにうかがいました。新しい過去帳に書き直すこともあわせてお願いされています。

ご家族が古い戸籍をだしてこられて、「過去帳にはこっちの名前で書いてください」とおっしゃいます。これまでの過去帳には通称が記されていたようです。漁師さんには一昔前まで名子(なご)があったそうです。船主さんがつける通称です。若い漁師さんは家もとではなく、集落内にあった宿に寝泊まりし、出漁されていました。

施主さんも元漁師さんですが、60代の方です。名子はもっておられません。おじいさんまでが名子をもっておられたようです。

一般的には名子とは隷属した下層の農民のことを指すようです。漁村のそれは親代わりの存在のような船主が第二の名前としてつけるものだったようです。寝食も仕事も共にしつつ、荒波に立ち向かっておられたのでしょう。

こういった歴史について、詳しい方に話をきいておかないといけないなと思いました。

今日は朝から、16日にせまった春彼岸法要にむけて掃除をしています。本堂の内と外、玄関と廊下をひと通り。いい天気だからウグイスでも鳴かないかなぁと期待しつつ。

其角(きかく)の句に

ウグイスの 身を逆さまに 初音かな

とありますが、残念ながら初音を聞くことはできませんでした。

コメ急騰、コメ不足

午前中、町内で米を作っているYさんのところでコメを30キロ購入しました。「お得意さんを通じてうちのことを知った方が買いにくるですが。売らんわけにもいかんし。次の無料市に分けてあげる分がないだが」。米の保管倉庫をみせていただきましたが、もうコメはほとんど残っていません。スーパーでは5キロ4000円以上が当たり前の高値が続いています。Yさんはそれよりもかなり安く直売されています。それでも、「こんなに早くなくなることはなかったで」

政府はずっと減反を続け、価格を市場に委ねたことも加わり、米づくりの担い手は減るばかりです。「岩美町も、どっこもコメをつくっとるのは75歳以上だで。5年後にはもうつくれんで。そうなったらどうすっだぁ。コメが食べれんようになるで」とYさん。

1990年代には60キロ2万円だった生産者米価は、現在1/3ほどに。コメ農家はこの10年で4割も減っているそうです。

3月30日には東京で「令和の百姓一揆」が予定されています。欧米並みの所得保障を求めてトラクターによる行進が行われるといいます。

毎日食べても飽きることのない主食を、苦労して作ってくださるみなさんが報われる社会であってほしい。そう思いませんか。

過去帳を眺めていると

お預かりした6冊の過去帳にご法名を記載しています。午前中にうち3冊は書き終わりましたが、分量としては全体の1/4ほどでしょう。残りの3冊のうち、新調する1冊を眺めていると、江戸時代の後期に亡くなられた方のご法名があります。当時は苗字がなく、時折、屋号が記している場合があります。例えば越後屋とか、備後屋など。この過去帳もまさにそうでした。しかも見覚えのある屋号です。以前、江戸時代からつづくご門徒さんの過去帳を新調した際にみた屋号です。同じ集落ですから、もしかしたらそこで働いておられて、屋号を使うことを許されたのかな、などと想像するのでした。こちらは明日からの仕事にします。

午後は仏壇じまいと、移動しての入仏法要です。ご門徒さんの引っ越しに伴ってということです。同じ鳥取市内ですが、新居は南部になりました。お寺からだと車で50分近くかかるでしょうか。

仏壇はサイズが小さくなりましたが、ご本尊はぴったりおさまり、仏さまの引っ越しも無事終わりました。仏壇の飾り方について少し説明させていただきました。

新しい家には仏間がなく、リビングの一角にご本尊・お仏壇です。それはそれでいいのではないかと。天井が高く、私の声もよく響きましたし。新居でもよろしくお願いしますとごあいさつ申し帰路につきました。