喜劇のはじまり

アメリカで第2次トランプ政権がスタートしました。NHKBSワールドニュースを見ると、各国メディアも大きく報じています。就任演説では、地球温暖化防止の枠組みから離脱すること、石油を掘りまくること、男と女しかいないとして、ジェンダー平等をめざすこれまでの政策をやめるなどと演説しています。ヨーロッパからは極右政党を招待。

「神よ、私に力をお貸しください」と宣誓する彼のかたわらにはファミリーとともに、実業家のイーロン・マスク、アップルのティム・クック、メタのマック・ザッカーバークなど大富豪たちの顔。忠誠を誓い、利益を得ようとすがる人びとです。ポケットマネーからこの式典の経費を負担しています。

「最高よ、戻ってきたんだから」「世界のためにお金を出すのはやめるべき」と湧きあがる支持者たち。

テレビを見ていて、ふと思いました。

「歴史は繰り返す 1度目は悲劇として 2度目は喜劇として」

カール・マルクスの有名な言葉です。1度目はナポレオン1世、2度目は甥のナポレオン3世を指しています。

領土拡大に走って戦いに敗れた1世、フランスにおける最後の君主が3世です。

もう一つ、仏教の言葉です。中国の善導大師のことばです。

「この貪瞋の火をほしいままにすれば、自損し他人を損す」

貪(とん)とは、むさぼり。瞋(しん)は怒りです。

2度目の「喜劇」が、世界をいっそうの分断に向かわせようとすることだけは確か。どう向きあっていくのか問われる4年間になりそうです。

見逃し配信を視聴する

今日は朝、13回忌の法事がありました。お参りされたご門徒さん夫婦と私で、「正信念仏偈」を読みました。法事が終わり、奥さんから、「家の本が古くなってしまって」と新しい本を買っていかれました。何度もひらけば痛むものです。そこまで使われた、読まれたということなのでしょう。今の本は文字も大きく読みやすいので、どうかお勤めにお使いください。

この数日、週1回開講するオンライン学習会、広島仏教学院の真宗講座の見逃し配信を視聴しています。毎週水曜日の午後が講義の日ですが、机の前に座ることができない日も多くあり、1/3ほどしか受講できていませんでした。これでは勿体無いと、集中して視聴しているところです。全部で25週分あるようです。講義の日に見たのが8週分、この数日で見たのが6週間分ですから、まだ11週分も残っています。

ある先生がスペインの思想家オルテガ著『大衆の反逆』という本を紹介されました。第二次世界大戦のさなか、ファシズム・全体主義に反対した人です。
「すぐ隣に生きている死者もなく、ヨーロッパ人は孤独である」との言葉を記しているそうです。

なぜ「死者」なのか。それは、私たちが正しい選択をしていくために大事にすべき存在だから。

オルテガはこのような趣旨のことを本の中で述べているそうです。
「私たちが生きる進歩した時代は、困難な問題を抱えていくだろう。それらの問題を解決するために大切なことは、その手段の背後に、たくさんの過去を、たくさんの経験を持つことである。つまり、その手段とは、歴史を知ることである」

講師の先生は、「どれだけ多数派であっても、その人たちだけで勝手に決めない。叡智や蓄積の上に今があり、好き勝手なことをしてはいけない。私たちの判断には限界があることを知らなければならないのでは」と力説されれいました。

そこから、浄土真宗は、親鸞聖人は、死者とどう向きあっていくのか、親鸞聖人が門弟にあてた手紙をたよりにして話を進められました。

勉強しないといけないなあと痛感します。今週は、頑張って見逃し配信を視聴したいと思います。


1周忌のお勤めにて

今日は1周忌のお勤めでした。昨年の葬儀の時は雪が降っていたことを思い出します。通夜の際にお参りのみなさんにお配りした紙を印刷して読み上げ、あらためておばあちゃんの人柄を偲びました。

「初夏はらっきょうを切り、夏はスルメを干し、冬は魚の加工とよく働かれました。85歳ごろまで自転車に乗り、新聞を配られました。お嫁さんとは本当の親子以上に親しい関係を築かれ、お孫さんを可愛がり、勉強をみたり、学校まで忘れ物を届けにいくこともありました。お元気なころにはお寺にもよくお参りいただきました」

合掌礼拝し、「正信念仏偈」を読み、少しお話しさせていただきました。

今年初めての1周忌でしたので、朝から気合を入れて原稿を作り、みなさんにもお配りしました。話の最後に、「みなさんに受けたらこのままで、いまいちなら次から直します。顔色を眺めながら今日は話しているんです」と内情を打ち明けるとドッと笑いが起こりました。しばらくこの感じでいけそうです。

法要が終わり、ご家族の一人から、40数年前に家族が乗っていた船がタンカーと衝突し、漁船は沈没し、乗組員が海に投げ出されたこと、本当に運よく全員が無事、救出されたというお話をうかがいました。海の仕事の厳しさについても思いを馳せる1周忌となりました。

仏壇じまいのお勤めへ

午前中、このブログを読んでくださっているmameさんより「食料無料市にお使い下さい」と乾麺が届きました。ありがとうございます。次回の無料市で使わせていただきます。

午後はご門徒さん宅に仏壇じまいのお勤めへ。一人暮らしの高齢のお母さんが引っ越すことになり、部屋の片付けのために来られていた娘さんと私2人で、ご本尊に手をあわせました。

娘さんは近所にご主人と暮らしています。元の家から昨年、お母さんの近くに引っ越して来られました。元の家は昨年から空き家になっていたそうですが、県外から若い方が引っ越してくることになり、喜んでおられました。ただ、そのための元の家の片付けも大変だったそうです。そして、この度はお母さんの引っ越しと大忙しのようでした。

時々、お寺にお参りくださっているご門徒さんと娘さんはふたいとこであることを聞いてびっくりもしました。

先日、受けた本願寺のサポート研修で、「現在帳を作成した方がいい」とのアドバイスが講師さんからありました。ご家族の関係など、今のことを記載するということです。私も頭の中に入っていることは増えましたが、そういう観点でメモしていなかったので、今日の話もうかがって、現在帳をちゃんと作らないといけないなと思った次第です。

阪神大震災から30年

1月17日、阪神大震災から30年の日です。朝ドラ「おむすび」は歴史を切り拓いた先駆者の物語ではありませんが、等身大のドラマで日々チェックしています。きょうは2012年1月17日の様子を描いていました。震災を記憶し、東日本大震災の被災者支援のためにできることをとがんばる人たちの姿をこの間、描いています。

私は若い頃に阪神大震災のボランティアに、そして40代前半で東日本大震災の被災地支援に少しばかり関わったことがあります。

2000年、鳥取県西部で起こった大地震に際して当時の片山知事は住宅再建に300万円を支給することを決めました。それまで100万円の見舞金で済ませていた政府でしたが、世論に押されて07年には住宅再建・改修を対象とする被災者生活再建支援法へと改正されました。

自然災害を防ぐことはできませんが、被害を減らし、被災者を支援することを何より大切にする政治、社会をめざすことが私たちに課せられた宿題だと思います。

今日は親鸞聖人のご命日

午前中はパソコン画面上で勉強と聴聞です。

まず、広島仏教学院のオンライン講座で釈徹宗さんの「宗教学入門」を視聴。テーマは、現代宗教と社会〜旧統一教会問題を手がかりにして。

10時からは本願寺の報恩講のトリを飾る法要にお参りしました。「報恩講作法」という法要です。

報恩講は親鸞聖人33回忌にあたって本願寺3代覚如上人が著した『報恩講私記』(ほうおんこうしき)に由来します。ご門主により『私記』『報恩講嘆徳文』(ほうおんこうたんどくもん)が読誦され、その間を念仏や和讃でつなぐ法要です。お参りの方には経本が配られているようですが、私はこの『浄土真宗聖典』を目で追いつつご門主の読誦を聞きました。

親鸞聖人のご命日、1月16日以外にはめったに目にすることのない教えにふれることができました。

法要で称えられた、私も好きな親鸞聖人の和讃。

無明長夜の灯炬なり 智眼くらしとかなしむな 生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ

私は、仏さまからいただいたともしびとともにある。仏さまは、「あなたは、迷いのなかに生きているけれども、そのことをどうか忘れないでください」とおっしゃっておられる。

そのようにうけとめています。

明日は親鸞聖人のご命日

午後、インターネット中継で、本願寺の報恩講を視聴しました。
9日に始まった報恩講も今日が逮夜法要。
辞書に、逮夜(たいや)とは、「故人の命日の前夜のこと。明日に至る夜の意で、もとは葬儀の前夜を指す語」(『浄土真宗辞典』より)
明日が親鸞聖人のご命日ですから、今日はその前日のお勤めということです。
本願寺の広い本堂に、各地からたくさんのご門徒さんがお参りされています。
「なまんだぶ、なんまんだぶ」のお念仏の声が広い堂内を包んでいます。

室町時代の念仏者・道宗は、「一月のたしなみには近きところ御開山様の御座候ふところへまゐるべしとたしなめ、一年のたしなみは御本寺へまゐるべしとたしなむべし」との言葉をのこしています。インターネット上ではありますが、本願寺にお参りすることができ、嬉しいことです。時間を見つけて、どこかのタイミングで本山にお参りしたいと思います。

今年は戦後80年の節目の年です。専如ご門主は御親教のなかで、「不戦の歩みを十分に果たしてるだろうか」と自問し、「社会に迎合し、戦争や差別に協力することの愚かさを知り、阿弥陀様のご本願による念仏者の生き方を」とお話しされました。そのことばを私もしっかりと受け止めて歩んでいかなければならないと思います。

今日は夜、通夜布教があります。毎年、西法寺の報恩講に来ていただいている出雲覺専寺ご住職・佐々木俊教さんの出番は21時50分からということです。私も、聴聞させていただきます。

フォローアップが大切

今日は、2022年度に受講した本願寺主催の寺院サポート講座のフォローアップ研修がありました。フォローアップとは、進展を定期的に確認するということです。本願寺と全国の参加者をつないで交流と特別講義がありました。

私は新潟、石川、広島のお寺さんとオンライン上で交流しました。講座で作成した寺院運営計画の進み具合をお互い報告します。2人の方はまだ講座を受けてからひと月あまりでしたので、私の方はこの2年ほどの実践を主にお話ししました。若い住職さん、能登半島地震で被災しつつも頑張っておられる住職さん、後継の住職・坊守さんと交流し、刺激を受けました。

講座の後半は、特別講義「持続可能な寺院を考える〜過疎地寺院の現状と課題から」。

過疎地にあるお寺として、今後も探究と実践を続けていきたいと思います。

アンケートに回答する

大正大学から「葬送儀礼の実態に関する調査」とのアンケート依頼があり、朝、回答しました。

内容は昨年、何件通夜、葬儀を勤めたか、葬儀会社からの依頼や仲介で出仕したことはあるか、家族葬、参列者20人以下の葬儀の割合、通夜、葬儀のうち法話をした割合、葬儀のお布施でもっとも多い、少ない金額は、などです。

一番最近では9日通夜、10日葬儀ということになります。その9日の通夜の際の法話で、おばあちゃんが100歳のときに寺参りされたことに感じいって記したブログをそのまま紹介しました(9日のブログに記した内容です)。翌日、葬儀の前にお孫さんから、「家族みんな、住職さんのお話に感謝しています」と声をかけられました。棺にはおばあちゃんの似顔絵とともに「〇〇家の宝」と書かれた紙が枕元に。100歳記念のお祝いだったのでしょう。家族がそういってくれるおばあちゃんの人柄が私にそういう話をさせてくれたのでしょう。

葬儀の後の還骨法要の際、「100歳のときお寺にお参りされたおばあちゃんが大きな声で読経されていたことを思い出して、私も口を大きくあけて、大きな声を出していたので、いまアゴが痛いです」と話しました。これにはご家族から笑いが起こりました。

大学からの質問の最後に「葬送儀礼について思うことを」とありましたので、私は、

「人間としての証であり、尊厳を守る儀式」

と記しました。

屋根から落ちた雪

金子みすゞ『積もった雪』

上の雪
さむかろな
つめたい月がさしていて

中の雪
重かろな
何百人も載せていて

中の雪
さみしかろな
空も地面も見えないで

雪が積もると、除雪作業は大変です。時間を取られ、腕も痛くなります。
作業中は雪の身になって考えることはできませんが、朝、屋根から落ちた重い雪をながめていると、ああ、確かに、冷たいだろうな、重いだろうな、さみしいだろうなと、ふと思うのです。


親鸞聖人の和讃

罪障功徳の体となる
こおりとみずのごとくにて
こおりおおきにみずおおし
さわりおおきに徳おおし

聖人の詩は、こおりを煩悩、みずを功徳に例えています。
煩悩が多ければ多いだけ、それが転じて功徳になるということでしょう。
転じさせるのは自分の力ではありません。煩悩にまみれた私のところで、阿弥陀仏が働いてくださっていると親鸞聖人はおっしゃっています。それが他力の世界です。

こおり(雪)は放っておけばいずれ溶けてみずになります。
しかし、お寺にお参りされる方がありますので、これは自力で片付けるしかありません。

屋根から落ちた雪はとても重くて硬い。まるで氷のようです。上に目をやると第2弾の雪が、さあ落ちてやるぞと待ち構えています。