ご夫婦の川柳を目にして

夫婦で川柳を楽しみ、十数年前、句集にまとめられたご門徒さんがいらっしゃいます。今日はご主人の7回忌でした。90代半ばを迎えた奥さんもお参りされ、ナンマンダブと称えておられました。

ご主人のTさんは大正15年生まれです。何気ない日常をユーモラスにうたった句のなかに、戦争の記憶を止めた句を見つけることができます。

「出撃の前夜は神になっていた」
「うつむいたとき人間の顔になっている」

出撃するときに帰ってくることは想定されず、戦で死んだら「神」となる。そんな時代があったのです。その人がうつむいた顔をするとき、それは「神」ではなく「人」なのだとTさんは詠まれたのだと想像しています。

奥さんであるEさんの句からも1つ。

「輪になればトップもビリもない温かさ」

この句を読んで、お念珠(ねんじゅ)もそうだなと思いました。一番下に大きな珠があります。阿弥陀さんです。左と右に一つずつ色の違う珠があります。父・母です。その周りにつながっている珠は私たちです。阿弥陀さんの光の下に、みながつながり、お互いに光り、支えあって生かされている姿をあらわしています。

私はTさんとの直接の面識はありませんが、これからも戦のない時のなかで法事を迎えられるようにしなければと思いを新たにしています。

ネコちゃんの歓迎をうける

今日も朝から冷たい雨模様です。
午前中、四十九日の法要。その後、鳥取市内に移動し、ご自宅の近くの墓地で納骨。ついで、ご自宅のお仏壇の前で短いお勤めをさせていただきました。

先月の葬儀からのおつきあいです。兼業農家さんということをうかがい、年末の食料無料市にお米を提供していただきました。

ご自宅周辺は田んぼが広がり、集落から歩いてすぐのところに墓地がありました。地域の方々の高齢化に伴い、耕作される田んぼも減っているとのことです。

自宅にうかがうと、ネコちゃんが近づいてきました。名前はハク。よってきて撫でさせてくれました。甘噛みされたので歓迎してくれたようです。

以前は黒のラブラドールを飼っていたそうです。体重は45キロ、顔は土佐犬のようで、よく間違われたそう。写真を見たところ、確かにラブラドールとは少し違うような。真冬の時期、2階から、庭の雪にダイブしたこともあったとか。16歳まで生きたそうですから、すごいです。

次、自宅にうかがうのは夏になると思います。その時はちゅーるを忘れず持ってくることにしましょう。

雨が流れていくように

1月も、はやいものであすから下旬です。上旬、中旬というのは例年、それほど年忌法要の予定はありません。下旬から徐々に増えていくような形になります。明日から来週の後半にかけては年忌法要、四十九日と納骨、永代法要と続いていきます。

法要の中でメインは読経ですが、それぞれ法話の時間があります。何をお話しさせていただくのか、即興というわけにはいきませんので、事前に考えないといけません。いつも、圧倒的に勉強が足りない、伝わる言葉に落としきれていないと思いつつ準備をしています。

お話を考えるにあたって、私にはいくつか参考にしている本やホームページがあります。よく読むのは3冊の本ー「拝読 浄土真宗のみ教え(布教読本)」、「正信偈講義」、「浄土真宗 臨終・通夜・中陰法話集」ーです。本願寺のホームページで過去の法話を読むこともあります。

「参考になりますよ」と以前、ある僧侶の方から教えていただいていたことを思い出しました。本願寺総合研究所のホームページを久しぶりにクリック。

今日は朝から雨ですが、「雨」を例に教えを紹介したページがありました。興味のある方はご一読ください(僧侶向けなので、なかなか理解しづらいかも)

http://j-soken.jp/ask/2118

「雨の堕つるに、山の頂に住(とど)まらずしてかならず下れる処に帰するがごとし。もし人、憍心(きょうしん)をもつてみずから高くすれば、すなはち法水入らず。もし善師を恭敬すれば、功徳これに帰す」

日常生活にも当てはまるかもしれませんね。

自分を低くして聞いていく。

それでまた思い出したことが。先日、お見えになられた方が、職場での人間関係に悩んでいるということを話されていました。「なぜこの人はこんなことをいうのだろうかと聞き役になってみると、関係が徐々によくなってきたんです。聞くのはしんどいですけどね」

ホームページに記されている内容を直近のお話で紹介することはないと思いますが、そういう気持ちで学ばないと、そして、聞いていただかないといけないなあと改めて思いました。

きょうは通院日

本日は3か月に一度の通院日。朝、鳥取生協病院の外来は大混雑でした。主治医の先生は今年8月に退職されるとのこと。長いあいだお疲れさまでした。もうしばらくお世話になります。

先生の実家は岩美町内の山間の集落です。

都会から移住されてきたご夫婦が、空き家バンクに登録されていた先生の実家を気に入られて引っ越してこられたそうです。「大事に使ってくれています」とよろこんでいらっしゃいました。

私と坊守が住む古家も空き家バンクに登録されていました。いまの家のような気密性には乏しいですが、かえがたい味わいがあります。古いお仏壇をお預かりし、仏間の南無阿弥陀仏のかけ軸は外から見えるようになっています。

診察の方はというと、血液問題なし、血圧やコレステロールは安定していますが、体重が…。

帰りにスーパーによったところ、ご門徒さんと血圧談義に。「お互い、健康に気をつけて1年過ごしましょう」とご門徒さん。

圧倒的に運動不足です。ロフトスペースに設置したバイクでカロリー消費しないと!

お試し班会を開催します

26日(金)医療生協の「おためし班会」をお寺で開くことにしています。

私も、「班会」というものがよくわかっていないので、鳥取医療生協のホームページを一読しました。

https://www.mcoop-tottori.jp/union?tab=2

つながり、健康づくり、学びということが、その内容のようです。

当日は、医療生協の職員の方に来ていただいて、フレイル(健康と要介護の間の状態のこと)予防について、血圧・尿チェック、減塩学習などを予定しています。

「お寺を健康づくりの場に」というのが西法寺の大きな目標です。

まずは「おためし」からはじめて継続させたいと思います。

1995年1月17日から29年

1995年1月17日の早朝、激しい揺れを感じて布団から飛び起きました。
当時は京都市右京区内で生活していましたが、同じアパートの住人も皆、共用の廊下に出て、お互いの無事を確認したものです。京都は震度6であったと記憶しています。

仕事に出かけると震源が神戸市であることを知りました。被害の状況がだんだんと明るみとなり、大変なことが起こっているとわかりました。

友人たちと街頭などに立って初めて募金活動をしました。そこで寄せられた募金で肌着や食材などを買えるだけ買って、1月20日、神戸市に向かいました。東から市内に入ることは困難で、大きく迂回し、六甲山を南北に通る鉄道に乗りました。当時、唯一、市内に入ることが可能なルートだったのです。市内中心部の三宮で陸上に出ました。

何度か来たことがった神戸の風景は一変していました。
倒壊したビル、大きく陥没した道路、倒壊した高速道路、鳴り響くサイレン。今でも鮮明に覚えています。

それから1月あまりのち、神戸市内の公園で炊き出しをしようということになり、寸胴にシチューを作り、ワゴン車で向かいました。高速道路は寸断されていましたが、通行可能な箇所を警察車両が先導してくれ、神戸市内に入りました。公園周辺でアナウンスして、たくさんの被災者の方たちがやってこられました。

3年ほどのち、神戸市内の仮設住宅で、過酷な暮らしを知るとともに、住民をつなぐために頑張っていた仮設住宅の役員さんに話をうかがったこともよく覚えています。

今日で、阪神淡路大震災から29年。神戸のみなさんが「共に」というメッセージを発せられたとニュースが伝えていました。

東日本大震災、熊本地震、能登半島地震と繰り返し災害が襲ってきます。震災につよい地域、日本をめざさなければと改めて強く思います。

シンママ大阪応援団のボランティアに参加

坊守です。

昨日から大阪でした。若いスタッフに付き添って「シンママ大阪応援団」のボランティアに参加していました。応援団は、ひとりで子育て中の女性を支援する民間団体です。
毎月「スペシャルボックス」と呼ぶ、食料や雑貨の入った小包を送り、必要があれば、生活相談などの支援も行なっておられます。

昨今の医療従事者に求められるのは、処置の技術や医療的な知識の研鑽だけではなく、目の前の病人を生活背景も含めてつかむ眼力です。健康や治療の障壁になる社会的な問題にも働きかけることが時には求められます(我が社は)。

そんな目的で、今回の大阪行きがありました。
午前中、米5キロ、お野菜をはじめ、食材や雑貨を詰めた箱を今回は117世帯ぶん作りました。箱には世帯の特徴(子どもの数や年齢など)をメモした付箋を貼って、集まった物品を振り分ける丁寧さです。
子どもの貧困は親の貧困だ、という問題意識が、こうした活動を立ち上げるきっかけになっています。

さて、わたしは、彼らを置いて、ひと足先に鳥取に戻ります。夜はWEB学習会のホストというダブルヘッダーです。
坊守は、コロナが5類になって、出張機会が増え、「坊守らず」になっています。

過去を見つめて

取り掛かれていなかったお寺の過去帳のデータ化を始めました。歴代住職が手書きでつけてきた帳面をパソコンに入力作業です。この数年、年忌法要に該当する故人さまの名前・ご法名などはパソコンに入力していますが、空白の年がたくさんあります。当面は、1976(昭和51)年以降の方たちの整備が目標です。それができたら、それ以前にさかのぼってというのが目標です。間違って入力することは避けたいので、何回も見直しつつ。結構時間がかかりそうです。

こうして過去帳を見つめていると、よく知るご門徒さんの親御さんの名前を発見します。どんな方だったのか、あれこれ想像しつつ、みなさんのおかげで、今があるのだなあとしみじみ思ったり。当歳で亡くなった子どもたちの名前が少なくありません。一昔前はお子さんの死亡率が高かったことも感じさせられます。

午後は、永代法要を希望されるご門徒さんが相談にお見えになりました。長く東京で生活されていたそうです。「東京から帰ることはない」と田舎を出て、頑張って事業を起こされました。10数年前に親の介護のため、「一時的に帰る」と地元に戻り、それからはふるさとにずっと。

私も同じように東京からのUターン組です。不便なところですけれども、地に足をつけた生活ができるよさがふるさとにはあります。東京に戻りたいという気持ちが不思議とわいてこないですね。

法要の日程を確認し、2月、お参りしていただくことになりました。どうか雪が降りませんように。

今年最初の法事でした

昨年12月にこの1月分の法事を何件か前倒しでおつとめしました。今日は2024年になって初めての法事でした。「アンケートの回答はまだ」とのことでしたので、あわせてお願いも。回答の方はすでに50通をこえ、ありがたい限りです。引き続きお寄せください。

1年の目標などあまり立てない性格ですが、仏教や世の中のこと、人の心のことなど、今年は見たり聞いたり、読んだりする1年にしたいとは思っています。日中、1時間半ほど、仏教と社会科学関係の本を読むことができ、もう月中がではありますが、幸先のよいスタートになりました。継続したいと思います。

午後3時過ぎから2時間ほど、相談事で来られた方のお話をうかがいました。ご葬儀が縁で知りあった方ですが、また話を聞いて欲しいとのこと。話を聞くことくらいしかできませんが、また気軽にお越しください。

能登半島地震の被災者救援の募金箱を本堂に設置しました。お参りのみなさん、ご協力、よろしくお願いします。

ヤマトのメール便利用者として

昨日、郵便局のATMでヤマト運輸のメール便の利用料を振り込みました。お寺では、3か月に一度、ヤマトのメール便を利用しています。西法寺通信を送るためです。毎回120通ほど。1通84円で利用できるので助かっています。

集荷をされるのはヤマト運輸のドライバーさんですが、配達員は別の方です。お寺にメール便を配達されているのは高齢者のご夫婦です。自家用車で来られます。

この配達員の方たち・クロネコメイト2.5万人、そしてパート社員数千人との契約が打ち切られようとしていることをご存知でしょうか。ヤマト運輸が日本郵便にメール便の配達業務を移管することにともなってです。「事業成長を図る」ことが目的のようです。

契約解除や解雇されることになる方たちのなかには、高齢者、障害者、そしてシングルマザーなど社会的に弱い立場の人たちが多くいます。

その方達を使い捨てにして成長とは。

このままでは気持ちよく利用できません。ヤマト運輸の社会的責任が問われていると思います。