「生活サポーター講座」最終回

町の社会福祉協議会主催の「生活サポーター養成講座」の今日は最終4回目でした。
町役場の方から岩美町の高齢者の現状について報告がありました。
65歳以上の高齢者が占める割合は37.72% 地区別では田後(たじり)60.2%でトップ、網代地区は50.4%で3位ということがわかりました。いずれもお寺のご門徒さんがたくさん住んでいる地域です。いっそう高齢者のご門徒さんのことを気にかけてつとめを果たしていかなければなりません。

4回全て受講したということで、修了証もいただきました。

社協の職員さんで、このブログを読んでくださっている方から、「ネコちゃんはどうしてますか」と声がかかりました。ター坊のことを気にかけてくださって感謝です。また本日参加されていた町の職員さんのなかにご門徒さんの息子さんもいらっしゃいました。名前でもしかしてと思ってお声かけしたら、やっぱりそうでした。

講座を受講し、高齢者特有の病気について理解を深め、器具を使って高齢者の擬似体験をし、また、岩美町の高齢者の現状を知ることができました。相談や支援の仕組みについてもさまざま情報を得ました。私もできることがあればボランティアとして協力させていただきます。

社協のみなさま、受講者のみなさま、ごくろうさまでした。

食料無料市を行います

今日は食料無料市の実行委員会がズーム上でありました。今年最後の無料市を12月23日に鳥取市内で行うことに。2021年12月からスタートして、次回で7回目となります。配った米は2トンをこえたそうです(坊守調べ)。活動が認められ、2年続けて赤い羽根の共同募金から助成金を受けることができました。

10月に町内のご門徒さんからコメ30キロを無料市用にいただいています。また、市内のご門徒さんから募金もをいただきました。次回、ありがたく使わせていただきます。

詳細は12月4日の実行委員会で話しあう予定です。またお知らせします。

昨年12月のようす

「號」について

午前中の法事にお参りのIさんは、朝、バスに乗り、スーパーで買い物、その際にスポーツ新聞を購入することを楽しみにされています。

私よりも年季の入ったタイガースファンです。
「住職、優勝してよかったですなあ。オリックスには勝てんと思っていたから」「そうですねー。ほんとよかったです。2点差をひっくり返して6対2で勝った試合はすごかったですね」。

久しぶりのセリーグ優勝と、38年ぶりの日本一を喜びあいました。

この1年というもの、手をあわせ、「南無阿弥陀仏」「ナンマンダブ」と口にされる機会が多かったと思います。長年連れ添われた奥さんが、昨年ご往生されたのです。

南無阿弥陀仏とは仏さまのお名前です。名号(みょうごう)ともいわれます。
「号」は「號」とも表記します。「名」は分解すると「夕」と「口」です。

夕方、薄暗い時間に見知らぬ道を歩いていると、虎のような大きな声で「おーい、おーい」と私をよぶ声が聞こえたらどんなにか嬉しく、ほっとすることでしょう。

私たちのことを心配し、「必ず救いますよ、ナンマンダブ、ナンマンダブ」とよんでくださっているのが仏さまであり、諸仏の一人となられた亡き方ではないでしょうか。

そんなお話をさせていただきました。

「毎日、仏さんに手をあわせとるです。心が落ち着きますなあ」

タイガースファン同士が、悲しいご縁を通じて知りあい、同じナンマンダブを称えて生活しています。

Iさん、またタイガースについて語りあいましょう。どうかお元気でお過ごしください。

仏具をみがきました

今日は午後、お寺の清掃日です。網代地区のご門徒さんにきていただいて、8人で本堂の仏具をみがきました。

ろうそくたてなどの仏具の1年の汚れを落としました。1時間半ほど一心にみがいてとても綺麗になりましたよ。

坊守は金灯籠(かなどうろう)を担当。すす汚れが落ちたみたいです。「なんということでしょう!」

ビフォー
アフター

私は、仏具をみがきつつ、本堂のすきまをテープで埋める作業にあたりました。カメムシの侵入を食い止めることはできませんが、すきま風対策にはなったと思います。

作業が終わり、しばらく談笑です。肌寒い1日でしたので、しょうが湯が人気でした。

「この前の法事の時、主人がいつもは小声で下を向いてお経を読むのに、大きな声で読んだのでびっくりしました。御院家(ごいんげ)さんの話もよかったといってましたよ」
「私も、声を出しておられるので、意外でしたし、嬉しかったんです。ご主人、報恩講にもお参りされませんかね?」
「それはまだ難しい」
「うーん(苦笑)」

村の話題や近況を聞けて、いい時間でした。

みなさん本日はありがとうございました。

来週の(金)が本堂での報恩講です。気合を入れておつとめさせていただきます。

来週にかけて肌寒い日がつづくようです。みなさまご自愛ください。

ストーブをつけました

久しぶりの東京にて

坊守です。
このところ、投稿多めですが、昨日から出張しているため、住職から容赦ない原稿依頼が飛んできました。何年ぶりかの東京、古巣の御茶ノ水です。

聖橋から医科歯科-順天堂と大学病院を眺めて目を落とすと、古かったJRの駅舎の改装工事が進んでおり、以前あった聖橋口は、数十メートル移動していました。ホームにもエスカレーターがついて、徐々に安全な駅にかわっていくのだろうと思いました。
記憶していた景色がなくなるのは少しさみしいですが、東京上空にはカメムシが飛んでおらず、すっきりした気分で過ごせました。
出張目的は、職員教育担当者の会議です。会場に一歩入ると、200人が集まっており、反射的に「密だ!」と、つぶやきました(コロナの生活パターンが刷り込まれています)。
どこの業界も同じかと思いますが、後継者育成は我々には喫緊の課題の一つです。私もそうしたことの責任者なので、招集されました。ついでに、報告まで行う羽目に。行きの道中でノートの端っこに発言原稿を書きはじめ、しかし途中で電車に酔いかけて、後半は出たとこ勝負としました。内容は真面目なものだったのですが、後で「面白かった」と声がかかったので、ヨシとしておきます。
昼に会議が終わり、同僚(女性)は、激辛で有名な蒙古タンメンを食べに行きました。私は、予定より2時間早くター坊や住職の家に帰れることが分かったので、柿の葉寿司を抱えて車中に。そういえば新幹線は車内販売を止めていました。アイスクリームもコーヒーもなし、柿の葉寿司8個ではじきにお腹が空きそうです。

お寺での葬儀にお参りする

午前中、市内のお寺での葬儀にお参りしました。坊守さんがご往生されたのです。
ご自身も幾度となく手を合わせられた御本尊を前に、ご家族、ご門徒さん、そして近隣寺院の僧侶が一堂に介しました。

開式にあたり、長年、親交のあったお寺の仏教婦人会の役員の方が心のこもった弔辞を述べられました。病気への不安の思いを親身になってきいてくれたこと、それがご縁となり、お寺と関わるようになり、研修会などにも参加するようになったことなどお話しされました。ご門徒さんにとって、大きな存在であり、心の支えであったことがよく分かりました。それだけに、悲しみはいかばかりであろうかと思うのです。

葬儀では、私も列席した僧侶のみなさんと一緒に、大きな声で読経しました。

悲しみの中、ご住職は、「倶会一処(くえいっしょ)、また会えることを楽しみに、生きていきたい」とごあいさつされました。

式が終わり、たくさんの方が別れを惜しんで花をたむけ、そして手をあわせ、火葬に向かう車を見送りました。西法寺からも、生前、親交のあった2人の方がお参りされました。

浄土真宗では、死んだら終わり、さようならではなく、お浄土で仏さまとなって 還相(げんそう)のはたらきをすると聞かせていただいています。

「人は去っても 拝む掌(て)の中に かえってくる」

私の好きな詩を胸の中でつぶやいて、お寺を後にしました。

ター坊の通院日誌③

坊守です。


ター坊、オペ後半月目の通院日でした。
朝は納骨、夕方からお逮夜参りが入っていた住職が法務の合間を縫って鳥大の動物医療センターに連れて行き、私が午後から仕事を抜けて連れ帰ることになりました(田舎の猫の綱渡り受診)。


レントゲンを撮って包帯を巻き直してもらって、きょうの包帯の色はピンク!黒い毛皮によく似合っております。


骨のくっつき具合は…先生「ウーン」。大きなところはとまっていますが、小さなかけらになった骨は、写真をみても怪しい感じです。
元通りにならなくて、不自由があってもそのまんまがうちのタリです。私はそんなにショックはありませんでした。執刀医の立場からは「難しい骨折を治した」と言いたかろうと思いますが、故障した動物たちが残存能力をどれだけ伸ばせるか、という切り口の研究もあっていいと思います。


帰りの道中では、キャリーバッグ越しにまん丸い目をみはって、車窓を流れる景色を眺めていました。真っ青で広い空や山の風景は、確かにター坊には珍しいものでしょう。


帰宅したところ、宮城からター坊のお見舞いが届いていました。ちゅーるが20本!
ブログを通じて可愛がってくれる大人たちのおかげで、ター坊には毎日食べても無くならない不思議なご馳走があるのでした。


ナモちゃん払い下げのサークルも、脱走を狙った患畜が噛み破った上で頭突きして破壊しましたので、住職が破れない病室を調達しました。檻のすき間から手が出せたり、ナモちゃんとお鼻のあいさつもできますので、ことのほか、気に入ったようです。

珍しいお客さま

このところ、ナモがパトロールに精を出しています。夜になると玄関から中庭、そして縁側と駆けめぐり、最終的には玄関から動かず、寝ています。玄関先にはあきらかに侵入者の影が。

それが、昨日わかりました。報恩講の案内のため、午前中、網代集落を歩き回って家に帰ってやれやれしていると、ナモが猛ダッシュで中庭の見える窓際へ。

私も中庭をのぞいてみると、犬とは違う動物の姿を確認できました。

侵入者はキツネでした。中庭でタヌキはみたことがありますが、キツネをみたのは初めてです。コケの上に体をこすりつけ、しばらく寝転んでどこかに去っていきました。

キツネは警戒心が強く、人里には滅多に姿を現しません。山にえさがとぼしいのでしょうか。

シマちゃんが玄関で食べ残しをしていきます。それを食べて飢えをしのいだのかも。彼らは野生に生きる動物です。こんなところに姿を現さないよう、えさの片付けをきっちりしないといけませんね。

38年前の記憶

高校1年生だった1985年のちょうど今ごろのことです。
平日の午後の記憶です。

クラスの一人が、先生に見つからないように耳にイアホンをして、うつむき加減で授業を受けていました。休み時間にピンポン球とホウキでいっしょに野球をする友だちだったので、「何してたの?」と学校の終わりの時に声をかけました。

「日本シリーズをラジオで聴いていた」
彼は阪神ファンだったのです。

当時、日本シリーズは平日も週末も午後1時が試合開始でした。試合が気になって、ラジオを持ち込んでいたのです。

私は彼のような度胸のない、阪神ファンでした。

今から4年前、鳥取市内で、その級友とばったり会ったことがあります。
「山名くん?」と向こうから声がかかり、私は、「どちらさんでしたか?」と聞き返しました。名前を告げられて、「えっ、○○くん?」と記憶が蘇りました。

昨日の監督インタビューで岡田さんは、前回の日本一のとき、27歳だったと話され、感慨に浸っているようでした。

1985年から実に38年。
私もその間、いろいろあって、いままた鳥取にいます。

長年の阪神ファンの中には、自分の人生と重ねあわせて、この日本一をかみしめている方がいらっしゃるのではないでしょうか。

すきまを防ぐ

今年の法事もあと数件となりました。最近の困り事はカメムシの大発生です。おつとめの最中にぶーんと飛んでくるので、お参りの方も気になって集中できません。

何もお寺だけの話ではありません。昨日、近くのスーパー2件いきましたが、布テープはいずれも在庫切れでした。布テープが、いまのところ人類が発明した最高のカメムシ対策のグッズだからです。大発生していて、みなさん困っています。

前坊守は毎朝の日課で本堂に入ってきたカメムシをつかまえています。私は黒い袈裟を身につけている時は殺生しないと決めています。

どの程度効果があるかわかりませんが、古いすきまテープをはがし、新しいものにはりかえる作業をはじめました。テープを10m分とりあえず買ってきました。扉すべてにはりなおすとすると、60m分は必要のようです。いちばん進入してくると思われる大きなすきまから、まずテープをはりなおしました。

カメムシが標識を読めるなら境内に進入禁止の看板をだしたいところです。

すきまをうめる作業のさなか、ご門徒さんが納骨堂にお参りでこられました。食料無料市のことをきにかけて、この間、寄付をよせていただいています。きょうも、「ボランティア」と記した封筒を預けてくださいました。

ボランティアというのはすきま風をふせいで、する方もされる方も少し暖をとるようなものなのかもしれせん。

ありがたく使わせていただきます。