ダブにいちゃんの家

うちにいつくことが多くなったダブにいちゃんは、坊守がつくった藁のベットがすっかりお気に入りのご様子です。

喧嘩でもしたのか、どうやら右の目が開けにくいようです。

そして、ダブのベッドはさらに進化して、こんな風になりました。

「いいなぁ」といっているような

家や軒下を提供することを房舎施(ぼうじゃせ)といいます。

家主さんはパトロールに出かけたようですが、うまく入ってくれるでしょうか。

姑さんの記憶

本日は50回忌のお勤めがありました。お亡くなりになられたのは昭和47年です。
昭和30年に嫁いできた義理の娘さんが、法要後、ありし日の姑さんの記憶を私に話してくださいました。

「嫁いで来たときはまだテレビが家にない時代でした。お姑さんが私の手を引っ張って、テレビのある家に連れて行ってくれて、一緒にテレビをみました」「お姑さんは男ばかりのきょうだいの中で女ひとりでした。私のことを本当の娘のように可愛がってくれました」

法要中は『正信偈』を大きな声で読まれていました。

長い時間が過ぎているようですが、出会ったこと、親切にされたことがきっとその後の人生に大きな影響を与えたのでしょう。

先日、NHKの「チコちゃんに叱られる」で冠婚葬祭の「冠」とは何を指しているのか取り上げていました。冠とは成人式のことです。

それよりも合点がいったのは「祭」とは四十九日、一周忌とテロップがあったことです。冠婚葬祭の「祭」とは法事のことをいうのですね。亡くなってからも、亡き人を大切に思う。そのようにして日本人は生きてきたのかとハッとしました。

そして、今日のお話も受けて、仏事というものは大切であるということを再確認することが出来ました。

農家の方からコメを買いました

町内岩常の稲作農家のYさんからおコメを30キロかいました。精米していない玄米です。「8,000円でええです」「安すぎじゃないですか」「ええです。臨時収入だけえ」と。商談はまとまったのです。

Yさんは岩美まちづくりの会の先輩です。岩美高校女子バレー部におコメの差し入れをする心優しい農家さんです。

家の前に広がる田んぼで星空舞やきぬむすめをつくっておられます。

Yさんがひょいと持ち上げた30キロのおコメですが、家に帰って運ぼうとするとすごく重い!

つくってくださった方に、そして自然に感謝して、ありがたくいただきます。

2つのベンチについて

浦富海岸島巡り遊覧船乗り場の近くにある沓井大橋。ここには風景を一望できるベンチがあります。散歩する人や観光でこられた方に、この美しい風景を楽しんでくださいという思いやりを感じます。今日は風が冷たかったですが、眺めはサイコーです。


同じベンチでも、まったくねらいの違うベンチがあります。

↓をクリックするとどんなベンチか分かります。

https://bijutsutecho.com/magazine/insight/23127


東京で生活していたころ、バス停や公園のベンチはなぜ座りにくいのだろうかと不思議に思ったことがあります。やたらと大きな仕切りがあったり、前方に傾いていたり、座面が丸くなったりしていて、非常に座りにくいのです。それ以上は深く考えたことがありませんでした。しかし、そこには仕掛けがあったということを最近知りました。ホームレス・路上生活をしいられている方たちが横になれないようにするための「排除ベンチ」だったのです。


昨年11月、東京渋谷区幡ヶ谷のバス停で、路上生活をしていたとみられる60代の女性が殺害されました。横になれないベンチに深夜座り早朝移動していた女性を、近所の酒店販売員が「居座る女性に、どいてほしかった」と殴打したのです。
女性は昨年2月までは仕事をされていたとのことですから、コロナの影響があったのでしょう。心配して声をかける人がいても、「大丈夫」とこたえていたそうです。亡くなられた際の所持金はわずか8円でした。


日本の生活保護捕捉率は2割程度です。捕捉率とは、所得が生活保護の基準を下回る世帯のうち保護を利用している割合のこと。ヨーロッパの先進国は8割以上の補足率です。

先日、菅首相は「最終的には生活保護がある」と答弁していましたが、要件を満たす方さえ保護から排除されているのです。


その冷たさを象徴するのが、東京で見た排除ベンチだったのだと今更ではありますが気付かされました。

ナモの日記(2月)

ナモです

おそらからおちてきた、おにわのしろいもんはだんだんちいさくなったけど、あたいはまいにち、ぬくいばしょにいることにしています。

いちばんぬくいばしょは、おいたんのだっこです。きもちよくてねんねしたくなるけど、あんまりながくはだっこしてくれないから、ニャワン!と、こうぎします。

さむいけど、たのしいのは、
ダブにいちゃんがあそびにきたときです。えんがわにはしっていって、がらすどごしに、おはなしします。にいちゃんは、おうちのなかで、ちょっとおやすみするようになりました(ナモのべっどもつかうのよ)が、そんなときは、あたいはおぶつまにいなさいとおいだされて、おなじえんがわにははいれません。にひきのおおきさが、あまりにちがうので、あたいがけがしたり、ねこかぜをもらうといけないからだそうです。

きょうはこれだけ。みなさまも、おかぜをめさないようにしてください。

ついしん
いつもは、にんげんのごはんにきょうみがありませんが、このまえ、おいたんが食べていたかれいのひものにかぶりつきました。あとできいたら、あたいが生まれた、あじろからきたおさかなだったそうです。だからおいしかったんだわ!

仏教に関する実態把握調査

朝から雪です。予報では朝のうちに上がるとの事でしたが、昼になっても降っています。積雪は10センチほどでしょうか。

今日は会計実務をしたり、執務室の掃除をしたり、『宗教のないお葬式』という本を読んだり、考え事をしたりです。雪かきもしないといけないかもしれません。

本願寺が発行する『宗報』をながめていると、「仏教に関する実態把握調査」の概要が紹介されていました。この調査は全日本仏教会と大和証券が共同で行っているものです。

調査は昨年8月に実施。20から79歳までの男女。6192人からの回答です。

以下、調査報告の抜粋です。

「お盆」の状況に関し、これまで「例年、もしくは毎年、節目にはお盆に読経してもらっていた」人の割合は全体の31.4%でしたが、今年は予定を含め20.2%にとどまり、コロナの影響の大きさが窺えます。

注目すべきは「今後の意向」で、「コロナ禍収束にかかわらず、もしくは収束したら読経してもらう」人の割合が、全体の25.8%にとどまったことです。

コロナ禍で所属寺から連絡を受けたのは全体の約36.5%で、そのうち、満足度が高い約53.9%が、はがきや手紙、電話、寺報にて連絡を受け、「心づかいがありがたかった」等の好意的な受け止めをしています。

「お寺と中心となってかかわっている人」への連絡が59.2%である一方、非同居者(子どもや孫と推定)への連絡は21%にとどまっています。次を継ぐ門徒との関係性を構築するためにも、若い世代への連絡は不可欠です。

所属寺がある人のなかで「法要のオンライン予約」は48%が利用する・利用を検討すると回答する一方、「オンラインツールでのお盆、お墓、お彼岸参り」はいずれも2割程度にとどまり、予約はオンラインで、実際の法要は人を介したリアルでの修行を希望していることが想定される。

「コロナ禍において寺院・僧侶はどのような役割を担うべきか」との問いには、「不安な人たちに寄り添う」「コロナ禍収束を祈る」が上位となり、所属寺の有無や仏教への関心の有無にかかわらず、コロナ禍において僧侶への期待は高く表れています。

調査報告は全日本仏教会ホームページ上で公開されています。
http://www.jbf.ne.jp

オンラインで学びました

オンラインで川崎哲さんの講演を聞きました。主催は浄土真宗本願寺派の僧侶・門徒でつくる念仏者九条の会など。

核兵器禁止条約が1月22日に発効した意義についてのお話でした。

核兵器が投下されてから75年。被爆者のみなさん、広がる核兵器禁止を求める運動が世界を動かし、ついに禁止ということころまで来ました。いかに廃絶に向かっていくのか、これからにかかっています。

規範を作り、それが社会を変えてきたと川崎さんは強調していました。

奴隷制度廃止も、女性参政権実現も、そして最近ではセクハラやパワハラ防止も。運動があり、規範が作られ、社会のルールとなってきたのです。

地雷や生物化学兵器も禁止条約が生まれて以来、その枠組みに入っていない国々も縛られ、事実上使用できなくなっていると川崎さんは話していました。

核兵器禁止という規範のもと、世界100以上の金融機関が、すでに核兵器を開発する企業への融資をやめたそうです。

そんな前進面があるのかと感心しつつ聞きました。

大きな課題は、「投下はひどかったけれども、今の世界を見ると核兵器を持つことは仕方がないのでは」という抑止論とどう向き合うのかです。

川崎さんは、それに関わって、ローマ教皇が被爆地で、核兵器の使用も保有もいけないとスピーチした意義についても触れられました。使用はいけないというのは核保有国も同じ。保有もいけないとなると、核抑止論を否定することになるのです。ローマ教皇の宗教者としての良心と決意に励まされます。

コロナを経験した私達は、いのちや暮らし、平和にとって何が大切なのかを日々、学んでいるのではないでしょうか。

「人々が生きるために必要なものにお金をかけなければならない。核兵器は、気候変動を止めるわけでもない、感染症を直すわけでもない。そんな核兵器にいつまでお金を使っていくのか問われる」

川崎さんのおっしゃる通りだと思います。

被爆者の方が、「日本政府が条約に入ることを求める署名への協力をお願いしたい」と発言されました。まずはここからはじめたいと思います。

お寺の掲示板(2月)

「存在するものは、すべて持ちつ持たれつ」

『コロナ禍の東京を駆ける』(稲葉剛、小林美穂子、和田静香編)という本にあった言葉です。(岩波書店より1900円+税)

都内でネットカフェに寝泊まりされていた方達が、昨年4月の緊急事態宣言で拠り所を失いました。そのSOSをキャッチして奔走された支援者の記録です。

水際作戦と言って、助けを求めにやってきた人たちを締め出し、自助努力を迫るやり方が描かれます。傷つけられた人たちを、支え、行政にかけあい、生活支援につなげる姿が描かれています。支援する方達も感染への不安を抱えつつ、それでも走り回っておられます。

「存在するものは、すべて持ちつ持たれつ」

頭から反対する人は少ないと思います。なのに、私たちの社会は、なぜそれができないのでしょうか。現に困っている人たちに対して、その心を発揮できないのは、いったいなぜなのでしょうか。