お寺フェス・慶讃法要を終えて

朝から落語で大いに笑いました。午後の法要の冒頭、親鸞聖人が誕生され850年、その時をこうしてたくさんの方とお祝いできてよかったなぁなどと感慨に浸りすぎて胸にこみあげてくるものがあり、言葉が詰まって危なかったのですが、なんとかふみとどまりました。慌ただしくも楽しく、そして胸にのこる1日が終わりました。

桂出丸さんは「八五郎坊主」というお寺にちなんだネタを、桂小鯛さんは「時うどん」という楽しい話を熱演。大爆笑でした。このくらいの近さで触れる落語って本当にすごいです。

昼食にカレーを食べた方、113人! 来場された方は120人を超えたと思います。

ご近所の方が、「あきらくん、ありがとう」と帰っていかれました。こちらこそありがとうございました。

60人の方が医療生協による健康チェックを受けられたそうです。網代のご門徒さんが持ってこられた干物は完売。牧谷窯のお皿も多くの方が手にとっていかれたようです。

小さなミスもあったように思いますが、百戦錬磨のお寺の役員のみなさんが助けてくださいました。たくさんの方の尽力で第1回目のお寺フェスを無事、開催できました。

午後は親鸞聖人ご誕生850年をお祝いする法要、そして帰敬式でした。お参りされたみなさん、今日いただいた法名をどうか大切になさってください。

本山から来ていただいた係の方、島根から遠路お越しいただいたご講師さん、ありがとうございました。

お寺フェス・慶讃法要に向けて 前日

午後は前日の準備。漁師さんがコンテナをたくさん持ってこられて、いい感じの高座が出来上がりました。

文化祭の前日のような感じで、みなさん張り切っておられました。

いよいよ明日。天気も良さそう。

楽しい1日にしたいと思います。

お寺フェス・法要に向けて 2日前

今日は午前中、販売に来られる市内の仏具屋さんにごあいさつ。また、午後の法要に島根県益田市から来ていただくご講師さんにも電話しました。うちが終わったらすぐに京都に行かれるそうです。忙しい中、ありがたいことです。遠路、よろしくお願いします。

昼食のカレーは大人気で、予約が90ほどに。店主さんとラインでやりとりしてご飯を炊く段取りを相談しました。5升近いお米を炊くことになりそうです。

受付表も打ち出して、だいたい事前に作るべきものは揃ったように思います。

坊守は仕事の合間に、お客さん用のお菓子を買いに。帰りには市内のお寺さんから帰敬式に使う仏具をお借りする段取りになっています。

さて、いよいよ明日は前日です。午後3時から掃除と本堂のセッティング作業となります。

お寺フェス・法要に向けて 3日前

午後、音響を引き受けてくださったTさんがお見えになりました。「小さいスピーカーとアンプを持ってきますね」との事前相談でしたが、全然そんなことはなく、短時間のフェスにはもったいないような音響設備がセッティングされました。いま、いい音が境内に響いています。

Tさんはじめ4人の方が作業にあたられました。隣町の福部でライブハウスを営業されている方はふだん、石材屋を営んでいるとのこと。どこかでお会いしたことがあったような。田後か網代のお墓でお目にかかったことがあったようです。県内で視聴できるケーブルTV局の番組制作にも関わっているそうです。

そのライブハウスのカフェで料理人として働いている若い方もこられました。「煮物が得意なんで、食べに来てください」

音楽に疎いのでご近所だというのにいままで存在すら知りませんでした。場所もわかったので、近々、うかがってみたいと思います。

ご門徒さんからのご縁からはじまって、思いがけず、新しいつながりもできて、本当にありがたいことです。

夕方、本堂で、動画配信のテストをしました。今回は、少し離れた集会室で落語が楽しめるための配信です。お寺フェスをきっかけに、動画配信にも挑戦したいと思います。

お寺フェス・法要に向けて 4日前

昨日は夜、ひょうが降りました。今日は朝から好天です。

早朝から本堂の中を少し片付けて、座布団を日干しして、ついで駐車場に張り出す看板づくりです。久しぶりにラミネーターを使いました。

 

10時から網代で初7日のお勤め。故人さまが長い年月を過ごしたご自宅の仏間で手をあわせました。立派な光り輝くお仏壇で見とれました。お参りされた親類のご門徒さんも、「うちのよりずいぶん古いと思うだけど、きれいでびっくりしとります」

お勤めが終わり、近所を歩いていると道端で、フェスでお世話になるあきんどさんが作業中でした。「楽しみにしとります」。カレイ4匹から5匹を束にして30セット持ってこられるとのこと。完売するように私もお手伝いします!

それから法名を授かる方のお宅にうかがって、諸連絡。らっきょうシーズンがはじまり、家の前でらっきょうきりの作業中でした。「ええ服きていくから」。網代道場によって、椅子を5脚、車に。これはお寺フェス用です。本堂は椅子40脚ですから足りないのです。

午後は販売兼、お客さんへのコーヒー接待をお願いしている森と緑と風工房さんが会場の下見に。「人の家で迷う人なので」。お父さんが作られた「ネコの小径」も見ていかれました。

あわせて、昼食券づくりです。カレーは大人気で合計90食ほどになりそう。ミシン目が入っていて、パソコンで自作できます。これは便利ですねー。

廊下の電球が切れていて、ホームセンターへ。ついでに夕飯の買い物で隣のスーパーへ。

あっという間に夕方です。続きはまた明日。

お寺フェス・法要に向けて 5日前

開催を決めた1月時点ではずいぶん先のことだったお寺フェスと慶讃法要、そして帰敬式ですが、次の日曜日と目前になりました。

元来、抜けの多い人間なので、私も何をしなければいけないのか、紙に書き出して、一つ一つ確認しているところです。坊守も家に紙を貼り出して、自分の仕事を確認しています。

本日は落語家さんが宿泊する町内の旅館にごあいさつ、ほか、法要の準備、窓ガラスなどの掃除etc、、。

窓ガラスの掃除がいちばん時間かかりました。

この数日、坊守によって古家の1階がお食事処に変身し、蕎麦屋でもできるんじゃないかという雰囲気になりました。この古い机が、古家にマッチします。そしてナモとター坊も。

以前、お寺で使っていたもので、役割を終えて藏にしまってあります。裏には寄贈された3人のご門徒さんのお名前が記されています。いずれの方も既にお浄土にいらっしゃいます。昭和44年、私の生まれた年に寄贈された机もありました。寄贈された方たちのご厚意に今更ながら感謝するのです。

「住職は、どんな僧侶として歩んでおられますか」
そう語りかけてくださっているように思います。

ご門徒の皆さまは、お弁当をいただく机が、実はみなさんもよく知る大先輩の寄贈されたものであることを知っていただけると幸いです。

やりきれない思いです

G7が昨日終わりました。表面上は華やかさを大いに演出していたようですが、会談の内容も、広島ビジョンなる合意文書も、大方の予想通りだったのではないかと思います。が、被爆地広島から、核兵器廃絶を究極の目標と確認し、核抑止を発信するのですから、やりきれない思いです。

核による威嚇や脅しで紛争を食い止めるという核抑止の考え方に立つ限り、廃絶は究極の目標にならざるをえません。

核の使用をちらつかせるロシアに対し、核抑止は無力です。

広島の原爆資料館にはじめていったのは18歳の時でした。すごくショックで、退館したあとしばらくベンチに腰掛けたことを今でも覚えています。

見学された外国の首脳の皆さんももちろん感じることはおありだったことと思いますが、核抑止から一歩も踏み出せないでいるのです。

広島での開催は広島出身の岸田総理のつよい思いからのこと。「怒りに震えている」との被爆者の声がきこえているでしょうか。

岸田さんは本願寺派のご門徒さんです。首相公舎にご本尊を置いているのか存じませんが、阿弥陀さまは泣いておられると思います。

夕食のあとは読書の時間

坊守です。

大した仕事もしていないのに、くたびれる季節です。岩美の本日の最高気温は25℃、カラダが暑さに順応するまで、気をつけて過ごしましょう。

午前中、草引きや、お寺フェス用の長机を蔵からひっぱり出して以降は左手に本を持ってウロウロして過ごしました。又吉直樹さんのエッセイ本『月と散文』です。

もともと読書好きでしたが、クルマ社会に来てからは、必要に迫られた本くらいしか開いていませんでした。
移動中にラジオ番組を聴くようになり、又吉さんがパーソナリティをしている「あとは寝るだけの時間」(NHK R1 月曜夜9時5分から放送)という番組が面白くて、そこからこの本を手にすることに。

お勤めが終わった住職も合流して、夕食後の食卓は、テレビも音楽も無しの静かな読書の時間です(住職が開いているのは、自由律俳句の尾崎放哉について又吉さんと金子兜太さんが書いたもの)。住職は放哉が好きなのです。

仕事や課題ではない、読むこと自体が目的の読書時間の面白さを久しぶりに味わっています。物語に没頭して文字が見えなくなって初めて日が暮れたことに気づいたり、ご飯に呼ばれても生返事でしまいに怒られたり、大学生の頃も降りるはずのバス停をすっ飛ばしたりしていました。

久しぶりのこの感覚、忘れていたのはもったいなかった。読書再開だな。

小径のなまえ

ケガを負い、体力回復のためなのか、数日、前庭と中庭にじっとしていたシマちゃんが、昨日の夕方、新しい小径の石の上に座っていました。そして、しばらく様子をうかがったのち、駐車場の方に出ていきました。ナワバリを見はる気持ちになったのでしょうか。

知り合いの方にこの写真を送ったところ、「ジブリみたい!」

以前から、この通路を一番利用していたのは、間違いなくシマちゃんです。小径が新しくなったことに気がついたでしょうか。

シマちゃん、この道の名前を「ネコの小径」にすることにしたので、どうぞ遠慮なく使ってください。

103歳のご生涯を想う

103歳のご門徒さんが往生され、午後、臨終のお勤めにうかがいました。
大正10年生まれ。6人兄妹の3番目、きょうだいの一人は戦死されています。
「きょうだいで80まで生きたもんは他におらん。ばあさんは、他のもんの分まで生きた」と甥っ子のYさん。

若い頃から働き、同じ集落内に嫁がれました。昔は、嫁ぐ際に、箱仏壇を持たせたそうです。小さい仏さんのこと。私は見たことがありません。仏さんを大事にする風習があったのでしょう。「学校に行く前に、仏さんを拝んでいかなかったら、親から怒られたと母が言っとりました」と娘さん。娘さんといっても、お孫さんもいらっしゃいます。103年の人生というのは、なかなかすごいです。


3人の子どもを育て、おばあちゃんになってからは、お孫さんを長く育てられたそうです。「何をしても怒られた」「甘やかされました」。おばあちゃんは、厳しくも優しかったのではないでしょうか。明日は、そのお孫さん2人が枕元で一緒に過ごすそうです。

娘さんがおっしゃいました。「入院した時に、『京都参りに行ってきたで』と手紙を託したら、『2人(夫婦)で参っただか』と言っていたそうです。最後まで頭ははっきりしていました。父も大谷本廟(京都)に納骨したので、母もそうしてあげたい」

5月末、漁の時期が終わり、お盆が過ぎ、8月31日には、また漁がはじまるというのが海のサイクルです。以前は、お盆が過ぎたあと、多くのご門徒さんが本山参りをされていたそうです。故人様も、ずいぶん前に生前法名を本山からいただいていました。今、法名が記された紙を眺めて、そこに込められた仏さまの願いを味わっているところです。

来週は、娘さんと旦那さんが揃って、西法寺で法名を受けられます。

「28日だったら、大変なことだったで。ばあさんは、ちゃんと分かってる。大したもんだ」と、同じく法名を28日に受けられる甥っ子さん。

念仏者の大先輩でもある故人さまの思い出をうかがい、本当に気持ちが入りました。