昨日は自宅でのお通夜でした。部屋には生前、漁に生き、船長として安全操業に尽力されたことを讃えるたくさんの表彰状が掲げられ、なかには金婚式のお祝いの表彰状もありました。涙される方も多く、穏やかで優しかったという故人さまの人柄が偲ばれました。
昭和5年生まれ。戦後直後から漁に生き、私たちの生活を長年、支えてくださいました。ありがとうございましたという言葉しかありません。
長年連れ添った奥さんは、「もう一回、起きんだか、目を開けんだか」と深い悲しみを抱えつつも、なんまんだぶとつぶやいておられました。
こういうことを目に焼き付けて、記憶しておくことが私の役目なのかもしれません。そして、悲しみを少しでもともにし、それもごえんとしてともに生きていく日々が始まったのだと思います。
今日の葬儀も、いつものように大きな声を出しておつとめさせていただきます。
私も三月に大変よくしてくださった叔父との今生の別れをしました。訃報を聞いたとき、コロナを心底憎みました。叔父は病をかかえていたので、会うことを控えていました。4月、5月あたりに会いにいこうと計画を練っていたんですが、とうとうそれも叶わずでした。なんの恩返しも出来ず大変悔やみました。
目を閉じると叔父が笑っていますが、目を開けるといません。どっちの世界がほんとなのかなとまるで雲の中にいるみたいです。
しばらくはこんな生活がつづくなあと思います。
文章下手で、長くすみませんでした。
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コメントありがとうございます。
心中お察しします。
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