今日は午前中、明日の役員会の準備、お寺フェスのチラシ作り、そして、西法寺通信の仕上げ作業。
午後は、中陰法要にうかがいました。
読経のあと、アンパンマンの作者、故やなせたかしさんの本を紹介しました。
やなせさんが作った「手のひらを太陽に」。著書を読んで、1番が「かなしいんだ」、そして2番が「うれしいんだ」であることに私自身、とてもハッとさせられました。
「生きてなきゃ『かなしい』という気持ちになることもないんですね。そして、かなしみがあるから喜びがある。かなしいっていうのは、ただ涙を流してっていうことではなしに、いずれ我々は死ぬ、愛別離苦のこの世界にいるわけなんです。ですから『かなしい』ほうを先にした。それで二番は『うれしい』に。ようは悲喜こもごもに合わせたんです」(『何のためにうまれてきたの?——希望のありか』(PHP研究所2013年 68ページ)
愛別離苦は仏教の言葉です。お釈迦様は、ご臨終にあたって悲しみにくれている弟子のアナンに、「全て愛するものから離れなければならないといつも説いてきたではないか」とやさしく諭されたそうです。アナンは奮起し、25年間の説法の旅で、耳にのこったお釈迦さまの言葉を、後世に伝えられました。
先月から仏間には、「おばあちゃんに見てほしい」とお孫さんの書道の作品が、中陰壇から見て正面に掲げられています。その書を眺めていると、穏やかな気持ちになります。おじいちゃんとともに、そのお孫さんも毎週のように座ってお参りしています。
お孫さんもまた、おばあちゃんが身をもって教えてくださった、別れという悲しみから、何かを学んでおられるのではないでしょうか。