良書との出会いというのは、人生に大きな影響を与えることがあります。
『菩薩の願い〜大乗仏教のめざすもの』
40代後半で僧侶の道をめざすことになった私を、励まし、そして、今も照らしてくれる1冊です。

いくつかの仏教経典を取り上げ、その要点を記した書です。仏教の知識がなくても十分読めます。
執筆されたのは丘山新さん。残念なことに昨年の4月、ご往生されました。
昨日、京都の本願寺派の僧侶養成機関である中央仏教学院より同窓会報が届き、そこに丘山さんの名前がありました。
昨年3月、丘山さんは中央仏教学院の院長に就任されたばかりであったそうです。私は全く知りませんでした。
新院長が不在の中、記念行事を執り行ったことを7年間院長をつとめた北塔光昇さん中心にあたられたことが記されていました。

2018年の春、住職資格を得るための合宿がありました。講師として丘山先生がお見えになりました。その時、お話しされたことでとても印象深く覚えているのは、浄土真宗の社会性ということです。そういう言葉をつかわたわけではありませんが、「社会に開かれた浄土真宗をめざしましょう」というメッセージを随所に感じました。いただいた資料は今も大事にとってあります。
その半年後くらいだったでしょうか。週に1回、龍谷大学で開かれる宗学院別科という学びの場に、鳥取から通っていました。本願寺の近くを歩いていた時、偶然、丘山先生の姿を見かけ、「丘山先生ですか。去年、中仏に通っていたんですが、講師の方から丘山先生の『菩薩の願い』をすすめられて読みました。とても励まされて、線を引いて何度も読んだんです」と話しかけました。先生は、「嬉しいなあ。いつでも研究所に遊びに来てください」とおっしゃいました。当時、丘山さんは本願寺総合研究所というところの所長をされていました。
残念ながらそれ以降、お会いしたことはありません。
わずかの出会いであった私でさえ、大きな影響を受けたのですから、身近に接していたみなさんの悲しみはいかばかりであっただろうかと思います。
本の最後に、丘山さんはこんな言葉をつづっています。
「今どこかで流される血、流される涙。この『世界苦』をすべての人が我がもの、自分の苦悩として感じ取ることができますように」
「私たちがそれぞれに、『誰かの痛みは、私の痛みだ」と感じ取ることができますように」
「少しでも、『世界の誰かの痛み』をとりのぞこうと、みながそれぞれに努力できますように」
との言葉があります。初めて読んだとき、これが真の仏教徒というものかと感銘を覚えました。
これからも何かにつけて『菩薩の願い』を開いて、教えに耳を傾けることになりそうです。