午前中は25回忌のお勤めでした。おそらく中学時代以来の再会となった同級生も。「変わってないなあ」とお互いに確認しあいました。
今日は、年回法要というお勤めをご縁に、一、永六輔さんの「南無阿弥陀仏」について、二、「恩」と「報」という二つの内容についてごく短くお話ししました。A4の紙を1枚、お配りして読み上げるスタイルです。
永六輔さんの「南無阿弥陀仏」については、著書にあるこんな説明から。
「ナームというのはサンスクリット語で、(南無)は当て字です。(あなたについていきます、あなたを信じます、あなたがすきです)という意味。アイラブユーでもナームでもいいです。つまり、阿弥陀仏が好きです、阿弥陀仏を信じますと、いうこと。仏さまは阿弥陀仏だけじゃないんですね。日本の神さまと同じで、いっぱいいて、その中のお一人が阿弥陀さん。この阿弥陀さんの教へのなかで、阿弥陀さんご自身がいちばん大事にしているのが、(誰かを救うことによって、自分も救われる)という考え方なんです。そうすると、(南無阿弥陀仏)と言うのは、誰かを救うことによって自分も救われるという考え方を信じます、ということでしょ。みなさんがたとえばお寺さんの前だったり、ご法事があったときに言っている、ナマンダブ、ナマンダブというのは、そういうことです」(永六輔著『伝言』より)
好きだからこそ、少しでも真似して生きていきたい、生きていこう。それがお念仏申すものの生き方ではないかと思っています。
「恩」と「報」は親鸞聖人の和讃
「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし」
を引用させていただいて、
「恩」には「誰かが私にしてくれたことを覚えておく」という意味が、「報」には「報いる」とともに「報せる」という意味があります。誰かに受けた恩を、今度は、また誰かに渡して(報せて)生きていきましょうということです。法事とは、そういう集まりではないでしょうか。
といった内容をお話ししました。
日頃お世話になっているご門徒さんが、「なんだあ、ええことが書いてあるで。持って帰ってよう読ませてもらいます」とおっしゃっておられました。
永六輔さんのように、難しい仏教用語を使わず、わかりやすく楽しく仏の教えを伝えることは容易なことではありません。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
こちらは井上ひさしさんの言葉です。
そのためにも勉強、ということですね!