昨日、中陰法要にうかがいました。ご往生されてから28日目、四七日(よなのか)の集まりです。仏間の外には小さな庭がありました。「父が元気だった頃はよく手入れをしていました。梅がきれいに咲きます」と娘さん。昔話や世間話に花が咲き、なんとも和やかなひと時でした。小さなひ孫さんも無邪気に遊んでいました。
これはある本に書いてあったことです。随筆家の若松英輔さんの著書『悲しみの秘儀』に次のような話があるそうです。「悲しい」という言葉は、悲しい・哀しいだけでなく、「愛(かな)し」あるいは「美(かな)し」という漢字をあててきたそうです。「悲しみにはいつも、愛しむ心が生きていて、そこには美としか呼ぶことができない何かが宿っているというのである」
法要に集まった方たちのお話を聞きながら思っていたのです。若松さんがおっしゃる通りだ。悲しいとは愛おしい、美しいことなんだなあ、そこには日本人が古くから大切にしてきた心があるのだなあと。