合間を見つけては視聴できていなかった真宗講座(本願寺広島別院主催)を視聴しています。
今日の話はマニアックなので、お読みすることは特に薦めません…。
今日まで続く寺檀制度というものがあります。どこかのお寺に所属するということです。はじまったのは江戸時代から。私は、徳川幕府が、キリシタン規制のために、どこかのお寺に所属するようにと民に強制したのだと思っていました。
しかし、「本願寺の歴史3」という講義の中で講師の三浦真証さんが、実際にはどうだったのかというお話をされました。
それによると、江戸時代になり、農業生産が安定するようになり、家族という単位が確立し、村が発展し、その中で先祖を供養するという欲求が高まり、集落にお寺が必要になってきた、ということでした。そして増えていくお寺を把握するために生まれたのが寺檀制度ではないか、という説明でした。
16世紀の初め頃には数百だった本願寺派の寺院は、17世紀末には8000をこえるまでに増えているそうです。西法寺も江戸時代初期に創建されました。他宗派も同じような変遷を経ているとのこと。
三浦さんは、「教団の運営は、家制度の変化によって規定される。家族の感覚が変わるならば教団は変わらざるを得ないということ」とお話しされました。
上からの強制で生まれたと思っていましたが、下からの欲求で生まれてきた制度とも言えそうです。私にとっては新たな知見でありました。
ちゃんと歴史を踏まえて、これからを考えないといけないなと思った次第です。
勉強はしてみるものです。