本日は早朝より、岩井温泉区のいっせい清掃、その後、岩美町クリーンアップ作戦(道端のゴミ拾い)、四十九日のお勤めと納骨、午後も四十九日のお勤めと納骨と慌ただしい日中でした。暑い1日でしたが、十分すぎるほど水分補給をして乗り切りました。

午前と午後、2回、網代のお墓に行きました。
午後、お参りしたご門徒さんのお墓は、先祖代々のお墓と、戦死者の方のお墓がありました。戦死者の方は、四十九日をお勤めした方のおじいさんにあたるそうです。「骨はないと思います」とのこと。遺された遺族としては、お墓を建てないわけにいかなかったのでしょう。

帰りがけ、あるご門徒さんがお墓掃除の最中でした。この方の家のお墓も2つ墓石が建っています。そのうち一つは戦死者のお墓です。やはり骨はないそうです。
墓石には「義」という文字のついた法名が刻まれていました。法名をつけたのは、西法寺の第13世と思われます。一体、その「義」とは何を意味するのでしょうか。正義なのか、あるいは忠義なのでしょうか。
むさぼりという煩悩に引きずられて、喜びを失い、不足だけで生きているいのちを餓鬼といいます。戦争とは、まさにそのような状況のことをいうのでしょう。
お盆は、餓鬼道に落ちた目連尊者(お釈迦様の弟子)のお母さんを救い出す物語に起源があります。
足りるを知らないいのちのありようを見つめ直し、さまざまなおかげさまで生き、生かされているのだと手をあわせることをやめてしまったら、どんな世の中になるのでしょうか。せめて、お盆くらいは、その期間中にある終戦記念日には、そういう時間を持ちたいものです。