葬儀をおつとめして

今月4件目となる葬儀をおつとめしました。
1か月の間に4件の葬儀は2020年5月以来のことです。

荼毘に付される前、娘さんが「お母さん、熱くないかな」と涙していました。
最後の1日を病室で共にされたということです。呼吸が薄れゆくお母さんに、「頑張ったね」と声をかけたとうかがいました。

嫁いできて、朝から夕方まで、長年フルタイムで働いたお母さんでした。しつけは父の仕事でした。母はほんとうにのんびりとした人でした」

一昨日の臨終勤行の際、娘さんからお母さんの思い出話をうかがいました。「聞かれると、思い出すことがいろいろとありますね」

母を思う気持ちは特別のものかもしれません。

もう4年前のことです。2018年の4月、東京からこちらに帰ってきたばかりの月でしたが、この時も葬儀が多くあり、父はあいにく入院中。私はよくわからないままに葬儀をおつとめしていました。

ある葬儀の際、お母さんを見送った息子さんが、「この2週間ほど、毎日病室に行ったんです。延命治療はしませんでした。母はゆっくりと、穏やかに息を引き取っていきました。人の最後というのは、ああいうものなのでしょうか」と教えてくださいました。「晩年の母は介護が必要でした。私はよく車椅子を押したんです。母は私に『ありがとう、ありがとう』というんですよ。親子なのに変ですよね」。

僧侶という仕事は、普通なら聞くことのできない尊い話に出会うことがあるものなのです。

投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

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