ブッダのことばにハッとする

昨日からの雪が降り続いています。今日も朝は雪かき。明日が心配です。

法事もなく、こういう日は、読書に限ります。

最近は、お釈迦さまの時代の原始仏教について勉強してみようとあれこれ本を読んでいます。今日は、中村元さんの『原始仏典を読む』(岩波現代文庫)、『ブッダの言葉』(岩波文庫)を読んでい他のですが、こんな言葉が目に飛び込んできました。

「殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである」

どうして殺りくや戦争が起きてしまうのか。武器をとり、打つことが恐怖を生み、引き金がひかれ、事態がエスカレートしていくということをお釈迦さまは説いておられます。

ロシアがウクライナの国境付近に大軍を派遣し、圧力を強める中、同国東部の新ロシア派の支配地域の「独立」を一方的に宣言しました。事態は一気に緊迫しています。

世界各国が連携を深め、ロシアの暴走を何とか食い止めて欲しいと、願うばかりです。引き金が引かれてしまえば憎しみが連鎖していくことになるのでしょうから。

さらに読み進めていくと、ブッダの遺したと伝えられる「修行者の心境を述べた」ことばに目が止まりました。

「われわれは万人の友である。万人の仲間である。一切の生きとし生けるものの同情者である。慈しみの心を修めて、つねに無傷害を楽しむ」

この言葉についての中村先生の解説が素晴らしい。長いですが、引用します。

「世の他人は自分を敵と見なし、あるいは自分の悪口を言うかもしれない。けれども自分のほうからは万人を友と見なす。もし悪口を自分に対して言う人があるならば、静かに考える。ああ、なるほど、こういう因縁でもって、あの人はああいうことを言うのだ、ああいう仕打ちを私に対してするのだ。そう思って因縁の因果関係をずっとたどって分析して解釈しますと、向こうの人個人に対する憎しみの気持ちというのはだんだん消えていくわけです。無障害を楽しむ。……この「無障害」ということは、ことばで人を傷つけない、他人と争わない、ということにもなります」(『原始仏典を読む』283〜284頁)

思わず膝を打つ、ブッダの言葉、そして中村先生の解説でした。

投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

“ブッダのことばにハッとする” への 2 件のフィードバック

  1. 自分とは違う考え方の相手の感情の捉え方「エンパシー」という方法がありますが、はるか昔、原始仏教の時代にこんなことを提示できていたなんて、すごいですね。

    いいね

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。