朝のお勤めの際、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の浄土三部経を毎日、読経しています。『無量寿経』と『観無量寿経』は長いので、数日かかりますが、何度か読み返すうちに少しずつですがスムーズに読めるようになってきました。
今日は『無量寿経』の中の阿弥陀仏の48願を読みました。
実は私、3番目の願いが一番好きなのです。
設我得仏 国中人天 不悉真金色者 不取正覚
たとひわれ仏(ぶつ)を得(え)たらんに、国中(こくちゅう)の人天(にんでん)、ことごとく真金色(しんこんじき)ならずは、正覚(しょうがく)を取(と)らじ。
これを「悉皆金色(しっかいこんじき)の願」といい、全てのいのちが金色に光り輝くことがなければ、さとりを開かない(仏にならない)と誓われています。
なぜそんなことを願われたのか。それは全てのいのちが金色ではない現実があるからに他なりません。
優と劣、損と得、上と下、こうした区分の中に知らず知らずに身を置いて生きているのが私たちです。
阿弥陀さまの願いを受け止めることで、我が身のありように気付かされるのです。そして、「救っていかなければ」と誓われた阿弥陀仏に頭が下がり、手が合わさるのではないでしょうか。さやかではあっても、「自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現」につとめたいと思うのでした。