阪神淡路大震災から今日で27年を迎えました。当時は京都市内に住んでいました。友人たちと1月20日に神戸市に入り、募金で買った日用品を被災した方たちに届けたことを思い出します。大阪からのルートは寸断されていました。京都から兵庫の三田(さんだ)へ。そこからまた乗り換えて神戸市内に入った記憶があります。どこまでいけたのかはよく覚えていませんが神戸市内まで入ることができました。駅をでると倒壊した高速道路、陥没した交差点、壁だけを残して崩れ落ちたビルディングなど、信じられない光景が広がっていました。それから数回、炊き出しのボランティアにも参加しました。当時は個人補償の制度がありませんでした。被災者の方たちが声をあげ、1998年に被災者生活支援法が成立。その後の法改正により最大で300万円が支給されるようになりました。
きょうニュースで、市民団体による追悼の言葉が「忘」れないだったと報じていました。なるほどと思いました。
「すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし」
人は皆、やるせない世の中を嘆いていくらかは煩悩も薄らぐようにも見えたが、地震から月日が経ち時が過ぎると、もう言葉にして口にする人さえいない。
鴨長明『方丈記』の一節です。人は時が経てば忘れていくものです。
だからこそ、「忘れない」というメッセージ、大切ではないでしょうか。