常はない「いのち」を生きる

今週末はまとまった積雪を覚悟していましたが、積雪はなく、冷たい雨が降っています。今日は夕方からお通夜、明日は葬儀となりました。老人ホームに入居されていたとのことで、お会いしたことがなく、昨日、初めてお顔を拝見しました。私自身、常ということはないいのちをいただいて生きていることを思い知らされます。くるべき時が来たら終わっていかなければなりません。そのことを受け止めないで、死を他人事にしたり、遠ざけたりすることはもったいないことであると思うようになりました。

白木の板に法名を記し、読経する『仏説阿弥陀経』、親鸞聖人の和讃に目を通し、皆さんにお配りする手製の経本をセットしました。

日常生活を中断して、故人の死と向きあう時間をご遺族は与えられました。気忙しいこととは存じますが、心静かにお参りいただければと思います。 合掌

投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。