次の日曜はお寺の集いの2回目です。テーマは『正信念仏偈』。親鸞聖人が書かれたお聖教です。この2日ばかり本を読みあさり、お話しする内容を考えているのですが、なんだか解説チックな話になりそうで、いかんなぁと。

すると、蓮如さんの言葉がふと目に止まりました。
「まずお聖教を読め」「繰り返し読め」「何が書いてあるかという疑問がわいてきたら学習をはじめよ」
そこで、繰り返し、繰り返し、読んでみるのでした。
そうだ。親鸞聖人は解説のために書かれたのではないのです。教えに出会えた喜びを、その教えを、この私まで届けてくれた祖師方への深い感謝を、そして苦難の連続の人生であったとしても、生かされ、生きる喜びを記されたのでした。
帰命無量寿如来 南無不可思議光
仏の命に帰するとはお任せするということ。それは何もしないということではなく、教えに従って生きるということ。全てを救いとることをいちばんの願いとされる仏の願いを頭に入れて、どんなに不十分であっても、私も、その道を歩ませていただこう。南無阿弥陀仏と称えつつ。それが今現在の受け止めです。
ちょっと目が覚めてきました。私が解説するなど力不足でできません。繰り返し読んで、自分の心にも届いた親鸞聖人の生きる喜びと感動をみなさんと少しでも共有できれば。