昨日、自民党内の会合で、性的少数者(LGBT)の法案をめぐって、出席者から差別的な発言がなされたということが報じられています。当事者の苦しみや願いに鈍感といわれても仕方がないでしょう。
私自身も改めて学ばないとと思い、この間、参考にしてきた本願寺関係の資料を読み直しました。
この中で、本願寺総合研究所の丘山願海所長は、「わが宗門が、苦悩する人びと、少数者に寄り添うことを使命とするのであれば、『結婚』という法的な面で解決されていない現状であっても、例えば、先にみた渋谷区の『パートナーシップ証明書』などにも倣って、『パートナーシップ仏前結婚式』を執り行うことに、教理的には問題ないであろう」と記しています。
「言うまでもなく、第十八願に示されるように、阿弥陀さまのお救いは、『十方衆生』、すなわち人種や性別、国や地域を越えてすべての人びとに届けるものです。・・・だとすれば、当然、同性愛者の人たちもそこから排除されることはないのです」
「差別を受けてきている性的少数者の人たちを受け入れるべきだけれども、同時に、彼らに対して批判的な立場の人たちも、やはり受け入れるべきだ、という内容でした。つまり、立場を同じする相手とも、異にする相手とも、等しく共に歩んでいくということが、社会問題に関わる際の念仏者の姿勢として重要だということです」(いずれも本願寺派僧侶・宮地崇氏)
差別感情を振りまくことを放置することは許されないでしょう。しかし、この問題について事実を知らず、不安を感じている人たちを排除すると問題の解決につながりません。誰もが大切にされる社会に向けて、理解を深め、ともに力をあわせることが欠かせないと考えます。