浄土真宗本願寺派における国会とでもいうべき宗会で行われた報告が本願寺派の月刊誌『宗報』に掲載され、午後、かなりの時間をとって読みました。

コロナ禍のなか、緊縮財政であることなど、なかなかの苦境です。
ですが、それはお寺に限らないことです。問題は、コロナが仮に終息したとして、浄土真宗のみ教えは果たして継続・相続されていくのかということです。
報告の中心的なテーマは「伝わる伝道」にあります。
「伝える」というお坊さん目線ではなく、「伝わる」という受け手目線です。
「人々の価値観が変化する現代社会において、常に現場や受け手目線を忘れず、『伝わる伝道』への本質的な転換を図る」とあります。
本願寺派では、コロナ感染症対策の一環として『本願寺新報』(新聞です)の見開きページを使ってメッセージポスターを発信しました。
当初は、うちのお寺でも掲示板に貼り出したのですが、途中でやめました。
理由は、率直に言って意味が分からないからです。
今回の報告では、メッセージポスターについてインターネット調査を利用し、男女500人から千人を対象にしたアンケート調査を行ったこと、そして、その厳しい結果についてふれられています。
例えば、「コロナらしい時はお医者さま、不安になる時は不安になる。『そのまま救う』の弥陀の慈悲。おやさしい南無阿弥陀仏にありがとう」とのメッセージ。確かうちのお寺でも貼り出したと記憶しています。このメッセージ、20代でとてもよくわかったと答えた人は0%です。
「親(弥陀)のご苦労」「そのままの救い」「阿弥陀さまにお任せするしかない」
などなど、本願寺派の布教ではよく使われるフレーズがあります。長い話の中ならば理解できることもありますが、私自身はほぼふれません。そのまま使っても伝わらないということ、そして、現段階では、まだ自分の言葉に語りなおすことができていないからです。おそらく、昔は伝わったのでしょうし、今も、伝わる方はいらっしゃいますが、お寺との関わりが薄い方にこうした話は通じないのが実際です。
ただ、親鸞聖人のみ教えを現代的に捉え直す、わかる言葉で語りなおしていくということについては常日頃より問題意識を持っています。
報告では、NHK『チコちゃんに叱られる』で『般若心経』の心を現代の言葉で同時通訳するという企画を行い、Twitter上で反響があったという話が紹介されていました。
そういえば、昨年、「『般若心経』を暗記しているけど、意味がわからない」という方に、内容をお話し、その上で浄土教の教えについてお話ししたことがあります。ちょど習字教室で『般若心経』を書いている頃で、私も気になって意味を調べたことがひょんな形で生きました。
本願寺派も、私自身も努力方向は明確であると思います。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
井上ひさしさんがおっしゃっている通りです。
いうは易しですが、頑張りましょう。