「しがらみ」か「つながり」か

4月も中旬ですが、大きなあられが降りました。きょうは肌寒く、午前中は本堂のストーブを稼働しての法事となりました。なかなかストーブを片付けられない4月です。

お参りの方のなかに中学時代の同級生の姿も。法事の施主であるお兄さんから私のことを聞いたそうです。せっかくですから、お寺の通信を差し上げました。ホームページをみてくれたらうれしいなぁ。以後、よろしくお願いします。

考えてみると、法事で同級生と会うのは5人目となりました。再会はうれしいことです。

午後は作業をしつつつ、本を読んでいます。西本願寺・第25代門主 大谷光淳氏の著書『仏の教え』のなかにこんな一節が。

「相手の身になって考えることができない。そういう自分への気づきが仏教における原点です」

「人との関係性を『しがらみ』とみるか、『つながり」とみるかで世の中の見え方は大きく違ってきます。他人の過失を見ず、自分の行いを見つめ、整えていくことで、さまざまな人の間にあって、非難にも、また称賛にも動じずいられるでしょう。完全にはできなくともお互いにそういう心持ちであれば、『しがらみ』は『つながり』と見えてくるに違いありません」

私などは、鳥取、山陰という田舎の『しがらみ』がイヤで、お寺の『しがらみ』がイヤで外に出たわけです。ところが、今のとなっては『しがらみ』ではなく、『つながり』であったのだと日々、思い知らされています。ご門主の言われる通りだなあと納得。

「しがらみ」ではなく、「つながり」でいきましょう。

投稿者: 西法寺

西法寺のHPを管理している釈大朗です。よろしくお願いします。

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