四十九日のお勤めがご自宅でありました。朝晩とCDをかけつつ「正信念仏偈」を読まれたそうです。7日ごとのお勤めを途切れずに行いましたが、みるみる上手になり、ほぼ暗譜されていることがきょう一緒に読んで分かりました。「この歳になるまでお寺さんとは縁がなくて」と謙遜されるおばあちゃんなのです。すっかりファンになりました。
「こんなに毎週きていると、来週からお勤めがないのは寂しいですねー」と私。これ本心です。
「何をいわれるですか。またいつでもあがってください」とご門徒さん。
帰る際に、「忘れてました。先日いただいたカレイがとてもおいしかったです。ありがとうございました」とお礼をいうと、「ちょっと待ってください。昨日干したカレイがあるから持って帰って」と。
「来週も網代に来る予定があるので、また寄ります」とごあいさつして帰りました。
仏事の簡略化はコロナ以前からの流れですが、いっそうその流れが加速しているように思います。お寺と関わることや、そのための時間をとることに意味を見出せないということもあるでしょう。私だって数年前までそうでしたから、偉そうなことは言えないのです。
しかし、こうして毎週お会いすると、亡き人の思い出話がきかれたり、ご門徒さんの人柄や人生について知ることができたり、逆に質問にお答えしたりと、新たなつながりが生まれ、そしてご門徒さんから学ぶべきことがたくさんあることを思い知らされるのです。
日常の法務をはじめ、インターネット、寺報、役員会など、つながりをつくる活動に引き続きつとめつつ、じりっじりっと距離を近づけて、お寺がよりどころの一つになれるようにしていきたいと思います。