午前中、春の彼岸会のお勤めでした。寺族ふくめ14人のお参りでした。
「正信偈」をあげ、ご講師のお話を聴聞しました。

「当地にうかがったのは初めて」とおっしゃる窪田英俊さん。
島根県太田市の願林寺のご住職さんです。
窪田さんは、金子みすゞさんの「大漁」という歌を紹介されました。ご存知の方もいらっしゃるでしょう。
「浜は祭りのようだけど 海の中では何万の 鰯のとむらいするのだろう」
窪田さんは、「彼女が生きた時代、震災や食糧難、世界的な感染症の広がりがあった。
そんな中だからこそ、大漁はみんな嬉しい。けれども彼女は、誰も見向きもしなかったいのちへの愛しみをうたったのです」
なるほど。そういう時代背景を耳に入れると、また違った味わいがあります。
そして、「コロナは小さきいのち、弱い立場を暴いた」と。
そうかもしれません。強い人はより強く、弱い人はより弱く、悲しいけれども、コロナはその世界の現実を映し出しました。
窪田さんは、親鸞聖人の言葉から「凡夫(ぼんぶ)というは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらがみにみちみちて、欲(よく)もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終(りんじゅう)の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」を紹介されました。
窪田さんは、その私を心配して、まさにいま、ここで阿弥陀仏が私に「なんまんだぶ」と喚んでくださっておられるのではないか。しかし、その救いを拒絶し、生きているのが私です。でも、そうじゃないでしょう(それではいけないでしょう)
そのように話されました。
そして、「喚んでくださる思いが、私の生きる糧になる」「普段の生活の中で阿弥陀様のお心をいただいて、そのお心にそえるような生き方をしないといけないじゃないですかね。つまらんことで争っている場合じゃないですよ」と。
浄土真宗のみ教えにふれていただくと、我が身を振り返る、我が身に、自分は何のために生きているのか自然と問いかけている自分に出会うことができる、そのように私は思っています。そういう時間を、ご門徒のみなさんに持っていただけるよう、あなたも努めていきなさいよと背中を押される気がした春の彼岸会でした。
お参りいただいたみなさま、そして遠路、ご講師で来てくださった窪田さん、ありがとうございました。