昨日、お通夜でご門徒さん宅にうかがいました。送迎をしてくれたのは坊守です。さて帰宅しようと車に乗るとエンジンがかかりません。バッテリーが上がってしまったようです。
困りました。近くの自動車整備会社に電話しましたが、営業時間外でつながりません。
ご近所のご門徒さんのところに、「○○さん、助けてー」とお邪魔したところ、すぐに軽トラで来てくださいました。

復旧作業をしていただいて、無事エンジンがかかり、ホッとしました。
「お礼なんていいけぇ」
先日、Eテレ「100分de名著」『資本論』をみました。そこで講師の斉藤さんが、富と商品はイコールではないのに、資本主義社会ではあらゆるものが商品化され、それに私たちは踊らされると話していました。マルクスの言うところの商品の物象化です。医療や福祉や図書館などは社会的な富であって、商品化、もうけだけで突き進むと歪みも生まれます。しかし、いまや、あらゆるものが商品化される世の中になっています。そしてお金のあるなしで生活は左右されます。
昨日のことから学ばされました。つながって支え合い、助け合って生きていくこと。これも富なのだということを。
商品の豊かさだけでなく、富のゆたかな社会こそ、コロナを体験した(している)私たちがめざすべき道なのかもしれません。
雪道のお勤めでしたから、ひさしぶりに住職の送迎を引き受けたのですが、迎えに行って、待機していた路肩でエンジンがかからなくなるとは、想像もしなかったトラブルでした。
修理工場に電話がつながらず、途方にくれかけた時、軽トラで駆けつけて下さった檀家さんの顔を見て心から安堵しました。わたしも、誰かが困っていたら、駆けつける人でありたいです。
ちやみに、資本論の「富」の概念とこの出来事を重ねた住職は、墨の袈裟に雪駄で真っ暗な雪道を猛ダッシュして檀家さん宅に行ってくれました。転倒しなかったのが不思議です。
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